聴いて宣べ伝える人

ローマの信徒への手紙 10章14節~21節

 ローマ書9章~11章は、“全人類の救い”(または“万人の救い”)と言われる個所です。しかしその背景には、いわゆる“イスラエル問題”がその中に大きなウエイトを占めております。先に神に選ばれ、多くの恵と約束をいただいたはずのイスラエルが、なぜ、いまもイエス・キリストの福音を拒み続けているのか、これがイスラエル問題です。そしてこのイスラエルが、イエス・キリストの福音を信じて受け入れて初めて、全人類の救いが達成するのです。また、一方わたくしたちにとってイスラエルとは誰でしょうか、そして今どんな状況に置かれている人でしょうか、このことも考えながら本日の聖書箇所へと進みます。
 
新しくキリストを信じる人が起こされていくためには、キリストを宣べ伝える人がいて、その人の口を通して伝える福音を、また人が聞いて信じ、キリストを信じる人となっていくのです。その発端となる伝道者について、「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」(イザヤ書52章7節から引用)と、伝道者の心、立ち振る舞いをたたえております。
 イスラエルの民はかつて旧約の時代に、バビロン捕囚という困難な経験をしました。彼らはシナゴーグ(礼拝所)で礼拝、そして信仰を守りながら、“良き知らせ”すなわち、解放の知らせ、さらに故国帰還のときを、いまかいまかと待ち続けておりました。彼らの気持ちが伝わってまいります。

 そしてローマ書の本日箇所は、「信仰は聞くことにより始まるのです」と、その先を伝えております。イスラエルの民はキリストの福音を聞いたことがなかったのだろうか、と多少皮肉交じりに問いを発します。否否そんなことはない。イスラエルはもちろん福音を聞いている。福音のみ言葉は世界の果てにまで及んでいたから。誠にその通りです。
 さらに神は、“イスラエルより先に異邦人をキリスト信仰へと導き、これに対するイスラエルの嫉妬心をあおり、しかる後にイスラエルをキリストへと導こうとしておられる”、ここには、なんとも人間らしささえ感じます。

 そして神は、「イスラエルについては『わたしは不従順で反抗する民に、一日中手を差し伸べた』と記されております。この言葉はわたしたちに、ルカ福音書(15章)の“放蕩息子の父親”の息子に対する愛とその思いを感じさせます。

 いつもわたしたちを呼んでいてくださる神の招きに応えて生きる者であり続けましょう。

(牧師 永田邦夫)