話は夜中まで

使徒言行録 20章7〜12節

 皆さんは、学校の授業中に、あるいは何かの講演会で、または教会の礼拝で説教を聞いている時など、誰かの話を聞いている時に眠くなって困った経験はないでしょうか。居眠りするということは、人間誰しもよくあることだと思います。前の晩遅くまで本を読んでいたり、テレビを見ていたり、何かしていて寝るのが遅くなってしまいますと、誰でも次の日は眠気が押し寄せてきます。じっと座って人の話を聞いているならなおさら自然と眠くなってきます。

 おかしなことですが、「さあ、今から居眠りしても良いです。」と言われても簡単には居眠りできないのですが、眠ってはいけない、眠るまいとすればするほど、何か強い力で引き込まれて眠くなるのは不思議です。腕や腿をつねったりしても効き目がない時は、本当に困ってしまいます。話す人と聞く人との間に活発な対話があれば、前の晩に多少寝ていなくても居眠りなどしないのでしょうが、相手だけが話をして、自分は黙って聞くだけだとするならば、たとえその話がどんなに大切であっても自然と眠くなってしまうことが往々にしてあります。

 聖書の中には、「目を覚まして祈っていなさい。」と言われたのに寝てしまった弟子たちのことが書かれています(マタイによる福音書26章36-46節参照)。「心が燃えていても、肉体は弱い。」とイエスは語られていますが、イエスの側近にいたペトロやヤコブ、ヨハネという代表的な弟子たちでさえ、この居眠りには勝てなかったのです。

 聖書にはいろいろなことが書いてありますが、居眠りをして3階の窓から落ちて死んでしまった人のことが書かれているのはここだけです。彼の名前はエウティコ(口語訳ではユテコ)。まるで女の子のように可愛い名前ですから、一度聞いたらきっと忘れられないと思います。彼はパウロの説教を聞いているうちに眠くなってしまい、三階の窓にもたれかかってぐっすり眠ってしまったようです。こっくりこっくり舟をこいでいて、とうとうそこから下に落ちてしまったというのです。

 さて、この出来事がいつどこで起きたのかということですが、このユニークな事件は、マケドニア州(今のギリシア)を回って伝道していたパウロたちが、フィリピから船でトロアス(今のトルコ半島の先端、エーゲ海に面した港町)に着いて、そこで一週間滞在した時の出来事です。今朝お読みした使徒言行録は、口語訳聖書では使徒行伝と訳されていました。そして、その使徒行伝はまたの名を聖霊行伝とも言われました。それは、イエスの十字架と復活の後で、信じる者に降った聖霊の力を受けたペトロやパウロたち、主の弟子たちが、聖霊に導かれて各地を伝道していったことが書かれているからです。この時、パウロたちは聖霊に導かれてトロアスという港町で伝道活動をしていたのです。

 この出来事が起きたのは、7節に「週の初めの日」と書いてありますから、主の日です。みんなで主の日の礼拝をしていたのです。主イエスは週の初めの日、つまり日曜日の朝、死からよみがえられました。ですからキリストを信じる者たちは、それまでは土曜日に祝っていた安息日を日曜日に移して、この日をキリスト・イエスの復活の記念日としてお祝いするようになったのです。

 けれども使徒言行録に書かれているキリスト教歴史の初期であるこの頃には、まだ日曜日が安息日にはなっていませんでした。キリスト教というのは、まだまだユダヤ教の一派であり、大きな力を持っていたわけではないのです。主の日は、安息日である土曜日の次の日ですから、普通は皆仕事をしなければなりませんでした。

 そういうわけですから、当時、キリスト信仰に生きている人々の生活様式が書かれたものを見ますと、彼らは明け方に礼拝したとも伝えられています。朝、太陽が昇って来るのを見ながら、キリスト・イエスのよみがえりを思い、主の復活を喜び祝って賛美を歌い、御言葉を聞いたのです。朝の礼拝をしてそれから各自の仕事に向かったのでしょう。それからまた、仕事が終わってから、夕方に集まる礼拝もあったようです。日の出とともに主を礼拝して仕事に出かけた人たちが、また集まってきたのです。キリストを信じる者たちは、疲れを覚えることもなく、喜んで主を賛美し、主に感謝し、主を礼拝するために集まったのです。

 7節に「わたしたちがパンを裂くために集まっていると」と書いてあります。パンを裂くという表現は「主の晩餐」を祝うことを表していますから、トロアスの人たちは夕食の愛さんを共にして主の晩餐を祝ったのでしょう。そしてそこでキリストの御業を語る説教がなされたのだと思います。

 しかしこの場所は、今の私たちが礼拝しているような教会として建てられた建物ではなかったと思います。トロアスに住んでいた人で、キリストを信じてバプテスマを受けた人の家であろうと考えられます。信仰仲間の家に皆が集まって主を礼拝していたのです。きっとその家は人々が集まることができるほどの大きな家だったのでしょう。三階にはおそらく広い部屋があったに違いありません。そこに主を信じる仲間たちが集まっていたのだと思います。

 写真などで見る地中海沿岸にあるギリシアの町々は、どの家も壁が白く塗られています。真っ青な海に白い壁の家々、その極めて美しい街並みがトロアスという港町でした。「(8節)わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。」夜の闇の中に白い家々が立ち並ぶ街の中で、彼らが主を礼拝していたこの家はひときわ輝いていたと思います。大勢が集まっていたのですから、明かりがたくさん必要で、たくさんのともし火が灯されていたのです。

 現代のように、夜でも明るい街並みではありません。夜になれば真っ暗になってみんな寝てしまう時代です。それなのにこの家だけはともし火が灯され、光輝いているのです。ともし火というのは、今のような電灯ではなくて、油を燃やして灯す明かりです。周りの家々は暗く寝静まっている中で、その家だけがあかあかと輝いて闇の中に浮かんでいる状況を想像すると良いかと思います。

 パウロがトロアスにいたのは7日間だけでした。7節に「パウロは翌日出発する予定で人々に話をした」とありますから、パウロは次の日(つまり月曜日)にはもうそこを出発する予定だったようです。ということは、この日曜日はパウロがトロアスに滞在していた間のたった一度の日曜日だと言うことになります。

 パウロ先生が来られているそうだ、是非その先生を囲んで晩餐を共にしよう、そして説教を聞き主を礼拝しよう、と考えた人たちが、その日一日、仕事に励みながら、そのことを楽しみにしていたのだと思います。そして仕事を終えて集まって来たのです。パウロは集まって来た人々と語り合い、夜中まで語り続けたのです。しかしここで話されたのは世間話ではありません。お互いの信仰のこと、神の救いのこと、主イエス・キリストのこと、そして自分たちの教会の闘いのことなどを語り合い、パウロの話を聞いたのだと思います。

 そこにエウティコという青年がいて、窓に腰を掛けていました。もしかすると多くの人でいっぱいの部屋は、たくさんのともし火のために部屋の空気が悪くなってむんむんしていたのかもしれません。エウティコ青年は窓の方に近づいて新鮮な空気を吸いたかったのかもしれません。あるいは席が満席だったから、窓に腰掛けていたのかもしれません。

 ではエウティコはどうして眠ってしまったのでしょうか。それははっきりと「パウロの話が長々と続いたので」と9節に書かれています。熱を帯びて語るパウロの説教はなかなか終わらなかったのです。説教が長くてずっと続いているので、眠くなってきたのです。礼拝が夜中までずっと続いているのですから、眠くなる人は他にもたくさんいたことでしょう。

 ところがここで大変なことが起きました。それらの人の眠気を覚ます事件が起きたのです。どういう拍子でか分かりませんが、窓に腰掛けていたエウティコが下に落ちてしまったのです。人々は驚いてすぐに下に飛んで降りました。そこに行って倒れているエウティコを起こしてみたら既に死んでいたというのです。当然、その集会は大混乱に陥ったことでしょう。パウロの長い説教はエウティコの落下によって直ちに中断されました。パウロが何を話していたのかわかりませんが、その話よりも、今、一人の青年の命が危ないのです。人々は総立ちになって、事の成り行きを見守っていたと思います。

「(10節)パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」パウロもすぐに下に降りて行きました。行ってエウティコの上にかがみ込んで、抱きかかえたのです。そして「まだ生きている」と言いました。きっとエウティコは今日でいう気絶していた状態か、仮死状態だったのではないでしょうか。彼はすぐに元気になったようです。パウロたちはまるで何事もなかったかのように落ち着いて3階に戻って来て、生き返ったエウティコと共に、無事でよかったと喜びながらパンを裂いて食べて、夜明けまでパウロはまた人々と語り合って過ごしたのです。助けられた青年は元気になり、今まで以上に神の教えを聞いて慰められたと思います。11節にはそれからパウロたちは出発したと書いてあります。つまり、そこにいた人々はとうとう一睡もしないでいたというわけです。

 このようなハプニングを伴った夜を徹しての礼拝は、今では考えられませんが、「(12節)人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。」のです。きっとこのエウティコ青年はみんなによく知られていた青年だったのかもしれません。人々と一緒に自宅に帰り、その生活の中にずっと、その時の慰めが残っていたというのです。一度はもう死んでしまったと嘆き悲しんでいた人にとってはエウティコに命があったことは、素晴らしい慰めの出来事だったのです。

 7節8節には「わたしたち」と記されていますが、この使徒言行録を書いたルカがパウロと一緒にいたのでしょう。ルカにとっても忘れられない一夜であり、忘れられない出来事だったのだと思います。この時の情景は、今私たちがこれを読んでいても、まるでそこに居合わせたかのような思いになります。ここには人々の暖かい交流があり、教会がどのようにして出来上がっていったかがわかるような出来事です。初期のキリスト教会の伝道の姿、伝道していく中での生き生きとした事件だと思います。

 暗い夜に、ある一軒の家が光に満ちている。ある大きな家の三階の広間で、信仰を同じくする仲間たちが集まって神の話を聞いているのです。それは今、社会の暗い闇の中で、主の福音の光を掲げて歩んでいる私たちの姿を想像します。私たちは主の光を掲げ、ともし続けているのです。聖書の中には、ともし火や光という言葉がたくさん出てきます。神そのものが光であられるからです。天地創造の始めに、神は「光あれ」と言われました(創世記1章3節)。またイエスは弟子たちに「わたしは世の光である。」(ヨハネによる福音書8章12節)と言われました。まさに、神を信じる者の集まりである教会が、このトロアスでも光を放っていたのです。

 トロアスのこの家の教会の姿は、光に生きる希望を教えてくれます。主を信じる光をともして暗い夜に集まって来た信仰の仲間たちの姿に励まされます。教会は光に満ちた所です。私たちは、暗い冷たい社会で生きるのに疲れた時に、暖かい希望のある光の教会に帰ってくることができるのです。今の社会は物質的には豊かかもしれませんが、その心は貧しく暗く、心を病む人が多くなっています。その方々に必要なのは光です。光を感じて、光の優しさ、暖かさ、希望の道を見出して生きていくのです。教会は誰もが神の光の中に生きるところです。私たちは今、愛する友らのために、助けを求め、癒しを求め、慰めや励ましを求めて祈っています。新しい週もまた神の光の中で、み手の業を信じて祈り続け、共々に慰められたいと願っております。

(牧師 常廣澄子)