使徒とされた者

ローマの信徒への手紙 1章1〜15節

 聖書は古代から人類の歴史に深く関わってきた書物ですが、その中でもこのローマの信徒への手紙ほど大きな影響を与えた文書はないと言われています。アウグスティヌスをはじめとする初代教父たちや、宗教改革期のカルヴァンやルターたちを経て、現代の多くの神学者たちに至るまで、キリスト教の発展に寄与した人たちはほとんどこの手紙から大きな神の霊感を受けました。

 この手紙は、パウロが書いた多くの文書の中で最も長いもので、その内容はキリスト教の中心となる重要な真理が論理的、組織的にまとめて書いてあります。ですからこの手紙は古くから一種の神学論文のように扱われてきました。しかしお読みした1章の冒頭には、差出人と宛先人がはっきりと書かれていて挨拶の言葉があります。最後の16章のところにも締めくくりの挨拶がありますから、全体として見るならば、これはやはり論文ではなく、ある状況のもとで書かれた信仰的な手紙であり、神の真理という深い内容が込められた偉大な手紙だと考えられます。

 それでは、この手紙はどのような事情のもとに書かれたのでしょうか。パウロが書いた手紙はたくさんありますが、それらはたいていパウロかパウロの弟子たちがたてた教会に宛てて書かれています。しかしこの手紙はそうではありません。パウロがまだ一度も行ったことがないローマの教会に宛てて書かれているのです。これには何か特別の理由があるに違いありません。

 ローマという都市は、言うまでもなくローマ帝国の首都です。「すべての道はローマに通じる」という言葉にも表れているように、当時すべての学問や芸術、文化はローマを目指していたのです。ですから、パウロがそのローマにある教会に対して深い関心を持っていたであろうことは想像できます。パウロが機会を見てローマに行きたいと思ったことも当然かもしれません。使徒言行録19章21節に彼の言葉が書かれています。「わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない。」と。また今朝お読みしたところの15節にも「それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。」と率直に書かれています。ローマに行ってそこで福音を語ることはパウロの夢だったのです。

 では、その宛先であるローマ教会とはどのような教会であったのでしょうか。先に言いましたように、この教会はパウロが建てたものではありませんが、かなり以前から存在していたようです。
 伝説では使徒ペトロが建てたと言われていますが、ペトロがローマに来た紀元60年前後には、ローマ教会はすでに大きく立派なものになっていたのです。

 使徒言行録2章に聖霊降臨の日のことが書かれていますが、約束された聖霊が弟子たちの上に降った時、そこには「ローマから来て(エルサレムに)滞在中の者」(使徒言行録2章10節)がいたと書かれています。もしそれらの人たちが信仰を得て主の福音をローマに持ち帰ったとするならば、ローマ教会の始まりはペンテコステの頃だと言うことができます。あるいはまた、ステファノが殉教した時に、エルサレムにいた信徒たちが迫害を恐れてローマに逃れ、そこで教会を始めたということも考えられます。ともあれ、紀元40年頃にはローマにはキリストの教会が存在していたようです。

 さて、今朝はまず始めの挨拶の部分を見ていきたいと思います。「(1節)キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから」これが差出人であるパウロの自己紹介です。「私は生粋のユダヤ人で、ガマリエル大先生から学んだ律法学者である、私はローマの市民権も持っています。」というような世間体の良い肩書はありません。「キリスト・イエスの僕」「神の福音のために選びだされた者」「召されて使徒となった者」というように、非常に福音的な自己紹介です。そしてこれらに共通しているのは、自分はもはや自分自身のものではなく、自分以上のお方に属している者なのだという意識が込められていることです。

 まず僕というのは自由人ではなく主人のものです。選び出された者は自分の好きなことをするのではなく、与えられたこと(ここでは福音を語る仕事)をするのです。また使徒というのは、自分を遣わした方のために存在する者です。ここに私たちキリストを信じる者の本来あるべき姿があります。キリスト者は自分のために存在しているのではなく、キリストのものであり、福音のために存在しているのだということです。これがパウロの心であり、私たちのあるべき姿でもあります。

 次に宛先ですが、「(7節)神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。」とあります。ローマは大帝国の首都ですから、貴族や富豪や軍人や政治家や知識人など立派な人が数多く住んでいたと思われます。しかしパウロがこの手紙の宛先人として念頭に置いていたのは、少数の隠れた人たちでした。社会的にはきっと地位の低い、ほとんど無きに等しい人々だったことでしょう。しかし神に愛され、召されて聖なる者となった人たちでした。聖なる者というのは、神によって信仰が与えられ、聖別された者という意味です。そして「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」と祈りの言葉が続きます。ここにパウロが心を込めているように、真の恵みと平和は、父なる神から、イエス・キリストを通して私たちの所に降ってくるのです。

 それからパウロは、福音とは何かということを語ります。「(2〜3節)この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。」福音(エウアンゲリオン)とは良い音信(おとずれ)、喜びの便りという意味です。神が人間の罪を担われその救いを完成されたというグッドニュースです。福音は神から人間への語りかけなのです。そしてこの福音は、何の予告もなく突然現れたものではありません。長い準備期間を経て、ついに私たち人間に与えられたものです。「この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもの」とあるように、イザヤやエレミヤなど古代イスラエルの預言者たちはこの福音について語っています。彼らはそれぞれの時代に神による救いの言葉を聞いたのです。福音は旧約聖書に予告されています。そして、この福音の主題はイエス・キリストです。神が人間を愛しておられるという事実は、イエス・キリストを通して現わされました。神が人間となられ、その罪を贖い、その救いを完成されたということはイエスによって具体化したのです。ですからイエス・キリストこそ福音の中心です。

 パウロはさらに続けて御子イエスについて書いています。「(3〜4節)御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。」イエスは人間の側から見るならば、ダビデの子孫から生まれた一人のユダヤ人であり、時間と空間の中に存在した人でした。しかし聖なる霊によれば、つまり神の立場から見るならば、復活という出来事によって、神の子であることが明らかにされたのです。パウロがここで語っているのは、イエスは人の子であると同時に神の子であるということです。イエスの内に、人と神、今の時と永遠の時が触れ合っているのです。ですから汚れた罪深い人間もまたイエスにあって聖なる神と一つになることができるのです。神と人間は次元が違いますから、人間の側から神に行く道はありませんが、神は人間を内に包みこんでおられますから、神からは人間に降る道があります。神の言葉である福音は神から人間へ向かう道であり、この福音の具体化したものがイエス・キリストなのです。

 では、このイエスに対して私たちはどのような関係を持っているのでしょうか。「(5〜6節)わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。」パウロは復活のイエスに出会って神の恵みを知り、使徒の務めを受けました。それはすべての人を信仰による従順へ導くためだと言います。ここで「信仰による従順へと導く」と書かれているのは、人間が本来従順な者ではなく、神に反抗している者だということでしょう。人間は快楽やお金儲けにはどんどん集まってきますし、世間話や噂話は大好きです。しかし神を信じることや罪からの救いの話になると、たちまち心を閉ざしてしまい、自分には関係ないことだとそっぽを向いてしまいます。人に福音を語るということは実に困難で大変なことなのです。それは祈りによって、神の力によらないならば、人間には不可能な事です。このローマの信徒たちも、ここに集っている私たちもかつては皆そうであったのです。ローマにいる信徒たちとパウロの間には共通の価値観があり、神の真理を共有しています。

 パウロはさらに続けて語ります。「(8〜12節)まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。」ここを読むと、パウロがこの手紙を書きたいと思ったのは、ローマ教会の評判を伝え聞いたことによることがわかります。それはおそらくアクラとプリスカという夫婦の信者がクラウディウス帝の時にローマから追放されてコリントに移って来た時のことでしょう(使徒言行録18章参照)。パウロは彼らと一緒にテント造りの仕事をしながら福音を語ったのです。パウロは彼らからローマ教会のことを聞き、そこにいるまだあったことのない信者のために祈るようになったのだと思います。

 そしてここに、パウロがいつかローマの教会を訪ねたいと思っていた理由が書かれています。それは11-12節にあるように、キリストの使徒として、ローマ教会の信徒たちの信仰を確かなものにし、信じる者同士互いに慰めあい励ましあい、信仰の交わりを深めたいということです。しかし、この願いはなかなか実現しなかったのです。「(13節)兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。」何か困難な事情があったようです。

 パウロのローマ行きを妨げていたのは何でしょうか。未知の大都市に行くという人間的なためらいでしょうか。パウロはアテネ伝道では苦い経験をしています。またコリントでは、教会が分裂して争っています。自分に対する評判もいまいちです(第二コリント10章10節参照)。その上、この手紙を書いていた頃、パウロにはしなくてはならないことがあったのです。それは各地の教会から集めた献金を、窮乏しているエルサレム教会に届けることでした。それを果たすためにはローマとは反対の方向に行かなくてはなりません。当然ローマ行きが遅れます。そこで彼はコリントにいてこの手紙を書いたのです。もし彼がそこからローマに直行していたら、この手紙は書かれませんでした。これは神の不思議な御計画だと思います。

 この手紙が書かれたそのような背景がわかってきますと、パウロの気持ちが伝わってまいります。パウロはまだ見ぬローマへの思いを抱きながら、強く心に決心していることがあるのです。それが「(14節)わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。」パウロは福音という宝を神から託されました。それはパウロ一人が独占するものではなく、すべての人に渡すべきもの、お伝えするものです。そのことに対する強い責任感を感じているのです。パウロは「(15節)それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。」と訴えているのです。コリントの信徒への手紙一9章16節には「わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。」とまで書いています。

 私たちはこのパウロの篤い思いに触れて心を燃やされたいと願います。私たちは今キリストを信じる者、使徒とされているのです。使徒というのは遣わされたお方のために存在する者です。私たちは今、厳しい時代に生かされていますが、新しい週もどうかキリストの証し人として生きていけますようにと願っております。

(牧師 常廣澄子)