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主の霊が降る

「聖霊降臨節」(ペンテコステ)と呼ばれる特別のお祝いの日です。ペンテコステというのは五十日目という意味のギリシア語で、過越祭から五十日目に当たる収穫感謝を祝う祭り(五旬祭)だったからです。そしてそれは過越祭、仮庵祭と並ぶ三つの重要な祭りの一つでした。ただ過越祭、仮庵祭が一週間続くのに対して、五旬祭はたった一日の祭りでした。今朝はその五旬祭の日に起きた聖霊降臨の出来事をみ言葉から聞いていきたいと思います。

漁師を弟子にする

本日の説教題は、「漁師を弟子にする」で、どちらかと言いますと、イエスさまの視点での表題ですが、わたしたちの視点からは「漁師から弟子への転身」です。早速、聖書に目を通して参ります。1節「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。」とあります。ここで“ゲネサレト”とはガリラヤ湖のことです。因みにこの名称は、ガリラヤ湖北西岸で、水が豊富で肥沃な土地の名前、ゲネサレトからとったものです。その湖畔にイエスさまが立っておられると、群衆が神の言葉を聞こうとして周りに押し寄せて来た、とあります。このときすでに、イエスさまの評判は人々に広く行きわたっていたのです。

シモンのしゅうとめの癒し

その出来事とは、先ずカファルナウムでの安息日の礼拝説教中に、イエスに向かって大声で叫ぶ、悪霊に取りつかれた男性の悪霊を追放された出来事に始まり、礼拝が終わって直ぐに、シモン・ペトロの家に場所を移し、高い熱に苦しんでいるシモンのしゅうとめの、高熱を追放された出来事があります。そしてさらに、日が暮れ、すなわち安息日が終わってから、そこに連れて来られた多くの病気の人をイエスさまが癒されました。そして日が明けた翌朝、イエスさまは、独り静かな場所に行って、それから先にわたる御国の福音伝道の抱負について、人々に語る場面へと続いております。以上が本日のメッセージの内容です。

主の見守り

この詩編121編は詩編の中でも、最も多くの人々に親しまれている詩ではないかと思います。私たちが礼拝でよく歌う新生讃美歌435番「山辺に向かいてわれ」は、この詩編121編をもとに別所梅之助が作詞したものです。詩編の歌の多くが神への信頼と感謝を表していますが、中でもこの詩編121編はシンプルですが、それだけに力強く神の配慮や守りへの感謝と信頼を歌っています。

神のすばらしい約束

本日からペトロの手紙二を読んでいきたいと思います。ペトロの手紙一と二は、同じようにペトロの手紙という名前がついていますが、文体や使われている用語が大変異なっていますので、はたして同じペトロが書いたのだろうかと疑問となっています。ペトロの手紙一は、古典的な大変美しいギリシア語で書かれていて、これはギリシア語に堪能であったシルワノが代筆したことが、ペトロの手紙一5章12節にはっきり書かれています。しかしこのペトロの手紙二の文体は大変難しい上に技巧的なところがあるので、シルワノではなく、筆記者としてペトロが誰か他の人を用いたのかもしれません。誰が書いたかはともかくとして、殉教の死を間近にしたペトロが、ローマの獄中で記したものと考えることもできると思います。ペトロは紀元66年のネロ帝の迫害の時に殉教したと伝えられているのです。

生命の畏敬

人間社会における倫理規定の中でも、一番最初に書かれている教え「殺してはならない」という殺人の禁止についてご一緒に考えてみたいと思います。殺人の禁止というのは、つまり命を大事にすることです。今朝お読みいただいたみ言葉は、以前にも二回にわたって細かくお話しさせていただきましたので、覚えておられる方もあると思います。律法の完成者と言われるイエスが、神が人間に与えられた律法の本質を易しくお語りになっている箇所です。

教えと悪霊払い

ルカによる福音書からの福音のメッセージを、続けてご一緒に聞いております。現在は、イエスさまのガリラヤ伝道の初期に起こった出来事が中心となっておりまして、本日は、カファルナウムでの伝道からのメッセージです。  本日箇所冒頭、31節、32節には「イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。」とあります。この二節にわたる紹介の言葉は、イエスさまのカファルナウムに下ってからの伝道がすでに始まっていて、順調なスタートを見せている、そのような印象を受けます。  といいますのも、実はその前の場所、ご自分がお育ちになったナザレでの伝道は、実に辛い結果となってしまい、そのナザレを後にしての、カファルナウム行きだったのです。そこでの伝道が順調なスタートが切れたことは、ここを読むわたしたちにも、喜びと安堵感を届けてくれます。

キリストの復活

イースターの喜びを感謝いたします。イースターは、キリストが苦難と死を過ぎ越して復活されたことを記念してお祝いする喜びの日です。キリスト教の初期にはキリストが復活された週の初めの日、つまり毎週毎週日曜日の度にキリストの死と復活を覚えて礼拝を捧げていたのですが、2〜3世紀頃に通常の礼拝とは別に、ユダヤ教の過ぎ越し祭の頃に一年に一度、盛大に祝われるようになりました。ところが当時は日付がばらばらであったようで、325年のニカイア公会議で話し合い、春分後の最初の満月の次の日曜日をイースターとするということが定着していったようです。

神の御手の下で

今朝はペトロの手紙一の最後の5章から聞いていきたいと思います。まず「(1節)さて、わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。」ここには長老と書かれていますが、私たちの教会では執事として選ばれている方々とか、教会制度の中で牧師と協力して教会のいろいろなことに責任を持つ方々のことを言っています。しかし私たちはバプテストの群れであり、万人祭司という精神がありますから、教会の中の誰彼を区別するのではなく、すべての信徒に向かって語られている個所として読んでいくのが良いと思います。

イエスのガリラヤでの伝道開始

ルカによる福音書から、標記の通りの説教です。イエスさまがガリラヤで伝道を開始され、さらにナザレに来ての伝道の様子を伝えている箇所です。なお前回は、バプテスマ直後に“聖霊に満ちて”ヨルダン川から帰られた後、さらに荒野に行って“霊”によって悪魔からの試練を受けられた、その出来事からの説教でした。