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神にある平和

ローマの信徒への手紙 5章1~11節 牧師 常廣澄子     4章では、アブラハムの生涯やダビデの言葉などを通して、神を信じるとはどういうことか、信仰の本質について学んできました。続くこの5章では、信仰によって救われて義とされた者の祝福と喜びについて語られています。「(1節)このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、」信仰によって義とされた者は「神との間に平和を得ている」というすばらしい約束です。平和(エイレーネー)という言葉は、あらゆる善と祝福を意味する言葉です。ユダヤ人は挨拶の時に「あなたに平和がありますように!」と言いますが、それは平和だけではなく、あらゆる善と祝福がありますように!という意味です。

朽ちない冠

コリントの信徒への手紙 一 9章19~27節 牧師 常廣澄子  私たちは今、コリントの信徒への手紙を読み進めていますが、パウロがキリストの福音を自由に語っている姿を見るとほんとうに感動します。パウロが各地を訪問して、あらゆる人たちにキリストの福音を語っているのは、彼の持っている大きな人類愛であったと思いますが、ある意味で、それは自分のような反逆児にさえも現れてくださった復活のイエスに対する感謝の現れです。そして同時に、そのイエスを遣わされた神に対する負い目でもあったのではないでしょうか。ローマの信徒への手紙の1章14節には「わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。」というように「果たすべき責任」とまで言っています。パウロはキリストの福音を語ることでの様々な苦労を、キリストの十字架の苦しみ、あるいは自分が迫害してきたクリスチャンたちの苦しみに重ねていたのかもしれませんし、何よりもその働きをすることを、神の御前にあって大変光栄なことだと感じていたのではないでしょうか。

悪霊追放

ルカによる福音書 9章37~45節 牧師 永田邦夫      本日は、二月第二週の主日礼拝となりました。本日も引き続いて、ルカによる福音書からのメッセージをご一緒に聞いて参りましょう。先ほどお読みいただいた箇所から「悪霊追放」と題しての説教です。その中心的な出来事は、“ある男の人に一人息子がいて、その息子が悪霊に取りつかれて苦しんでいるので、どうか見てやって欲しい、とのある男(父親)からの依頼に、イエスさまが応じられ、その子を癒して、父親にお返しになった”という出来事です。さらのその後に続いて、イエスさまによる、二回目の十字架予告の記事があり、これを含めての出来事が本日の説教箇所となっております。

聖なる者の祈り

ヨハネの黙示録 8章1~5節 牧師 常廣澄子        「ヨハネの黙示録」の著者ヨハネは、今、御霊に感じて、霊の目に映し出されているものを見ています。そして天上の礼拝の様子を私たちに教えてくれています。その祝福に満ちた礼拝の様子は、地上で神への信仰の故に苦しんでいる者たちにとっては大きな慰めであり、忍耐や希望を与えるものでした。

目に見えない現実

列王記下 6章8~17節 宣教師 郭修岩            皆さん、明けましておめでとうございます!神さまからの恵みが豊かな一年となりますように。再び志村教会の礼拝に出席でき、またメッセージを語る機会が与えられることを、心より感謝致します。それと、今まで東京北キリストのために、お祈りとお支えをありがとうございます。まず少し自己紹介をさせていただきます。私は郭 修岩(カク シュウガン)と申します。中国の大連の出身です。2019年からIJCSの派遣宣教師として、東京北キリスト教会で仕えさせていただいています。実は私がシンガポールにいた頃、伊藤世里江先生はメッセージの中でよく志村教会のことを語ってくださいました。先生の志村教会への深い愛情が私によく感じられたのです。一体どのような教会だろうと思いました。前回伊藤先生と一緒に志村教会の礼拝に出席した時、とても歴史があり、信仰熱心、熱意がある教会だと感じられ、とても励まされました。

自由にされた者

コリントの信徒への手紙 一 9章1~18節 牧師 常廣澄子   主イエスを信じる人は、自分を愛して受け止めていてくださるお方を知っていて、いつもその守りと導きを信じていますから本当に自由に生きることができます。現に主にあってのびのびと自由に生きておられるたくさんの素晴らしい方々を私は知っています。本日は9章を読んでいきますが、8章では偶像に供えられた肉についてパウロの自由な態度を見てきました。何を食べようと何も問題はないけれども、もし弱い人たちをつまずかせるようなことがあるのであれば、自分は喜んで肉を食べないと宣言したのです。この手紙を書いているパウロは、コリント教会が置かれている厳しく難しい問題を前にしているわけですがとても自由に語っています。自分でもそう言っています。「(1節)わたしは自由な者ではないか。」パウロのこの自由な思いや行動はどこから来るのでしょうか。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(ヨハネによる福音書3章8節)の御言葉を思い起こします。パウロの自由というのは、このような主の御霊がなせる業なのだと思います。

神のものとされた者

ヨハネの黙示録 7章9~17節 牧師 常廣澄子        新しい年が明けてから、早くも二週間が過ぎてしまいました。元旦には、私たちはここで新年礼拝を捧げましたが、コロナ禍とはいえ、お正月三が日には老若男女多くの人たちが神社仏閣にお参りされたようです。今世の中には問題が山積みですから、神様にお願いすることばかりです。新型コロナウイルスの感染者は、減るどころか、今年に入ってますます増加していて、亡くなる方も増えていますし、ロシアとウクライナの戦争も終わる気配がないまま年を越してしまいました。日常生活においては、物価が高騰していて生きていくのに四苦八苦している方々や、コロナ禍の影響もあって、孤立する方々が増えています。私たちの世界はこれからどうなっていくのでしょうか、不安や心配が後を絶ちません。

変貌のイエス

ルカによる福音書 9章28~36節 牧師 永田邦夫      新しい年、2023年が明けて、本日は第二週の主日礼拝となりました。どうか今年も主の御心に聞きながら、皆さまと共に歩み、そして、聖書が示すメッセージを皆さまにお届けしていきたいと願っております。本日は「変貌のイエス」と題し、ルカによる福音書からのメッセージです。

光の中の相続

コロサイの信徒への手紙 1章9~14節 牧師 常廣澄子    皆さま、新年明けましておめでとうございます。 つい一週間前に、私たちはクリスマス・イブ礼拝、そしてクリスマス礼拝をお捧げして、主イエス・キリストの御降誕をお祝いいたしました。その恵みと喜びがまだ心に満ちている中で、2023年が幕を開けました。誰もが、どうか今年こそ平和な佳い年になって欲しいと祈り願いつつ、新しい年を迎えたことと思います。その祈りに主が応えてくださいますようにと心から願っております。

光は世に来た

ヨハネによる福音書 1章6~18節   牧師 常廣澄子         皆さま、クリスマスおめでとうございます! 子ども讃美歌にもありますが、クリスマスは「うれしい、たのしい、クリスマス」です。 ではクリスマスがおめでたいのはなぜなのでしょうか。 私たちは何をお祝いし、何を喜び、何を感謝するのでしょうか。