ローマの信徒への手紙

人間の不義

人間とはいったいどういう生き物なのでしょうか。過去の多くの戦争で何度も学んだはずですのに、今のこの時もロシアとウクライナの戦争が続いています。そしてこれはこの二ケ国だけの戦争ではなくて、世界中の国々が何らかの形で関わっています。人間が開発した科学技術によって、戦争の様子が逐一報道されていますが、殺されていく多くの兵士や市民たち、特に悲惨な女性や子供たちの姿に心を動かされない人はいないと思います。過去の体験を思い出して戦慄している方もおられるでしょう。この世界は今、本当に罪に満ちています。神は人間に「殺してはならない」と言われているのに堂々と殺人が行われ、「盗んではならない」と言われているのに自分のものにしていく侵略が行われているのです。当事者にとってはそれなりの理由があるのかもしれませんが、神が私たち人間に求めておられる姿でないことだけははっきりしています。

福音の力

ローマの信徒への手紙 1章14〜17節 ローマの信徒への手紙は16章まであり、様々な内容が含まれていますが、今朝お読みした個所は、ローマの信徒への手紙全体の内容を凝縮してまとめたものであるとも言えると思います

使徒とされた者

聖書は古代から人類の歴史に深く関わってきた書物ですが、その中でもこのローマの信徒への手紙ほど大きな影響を与えた文書はないと言われています。アウグスティヌスをはじめとする初代教父たちや、宗教改革期のカルヴァンやルターたちを経て、現代の多くの神学者たちに至るまで、キリスト教の発展に寄与した人たちはほとんどこの手紙から大きな神の霊感を受けました。

あふれるほどのキリストの祝福

初めに本日箇所の概要を見ておきましょう、使徒パウロは、長いことローマ行きを願い続けてきましたが、“いよいよその時が来た”と思いつつも、はやる気持ちを抑えながら、イスパニアへ行く途中でそちらに立ち寄ります、と告げます。しかし、その前に自分には果たさなければならない大仕事があります。それはエルサレム行きです。そのことを無事に済ませてから、そちらに行きます。どうかそのためにも、わたしと祈りを共にしてください、との懇願をもって閉じている、それが本日箇所です。段落的には、自身の行動予定を初めの22節~29節に、そして、祈りについてのお願いが、後半の30節~33節となっています。

神のために働く誇り

この14節では、「兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。」とあります。この節は、先ずパウロが、宛先のローマ教会の人々に対して、親愛の情を込め、コミュニケケーションを図りながら、手紙の纏めに入ろうとしている様子を読み取ることができます。因みにこの節は、原文で「わたしの兄弟たち、わたしはあなたがたについて、次のことを確信しています。」となっています。しかも、“わたしの兄弟たち”という言葉は、ローマ書ではここにしか出てこない言葉です。 ではどのように、ローマ教会の兄弟姉妹たちを信じ切っているのか、を見て参りましょう。

すべての民のための福音

ローマ書からの説教もいよいよ15章に入って参りました。そして、キリスト者の実践生活について、12章からずっと学び、そのメッセージをご一緒に聞いて参りましたが、15章はその締めくくりでもあります。なお、この個所は、1節から13節までが一つの段落ですので、そこからメッセージを聞いて参りましょう。

互いの受容

この個所は、信仰共同体、すなわち教会員同志の信仰生活についてのお勧めです。それは15章13節まで続いております。ローマ書の著者パウロは未だ訪問したことのないローマの教会の人々に対して、これ程までに具体的かつ踏み込んだ内容の勧めの言葉を書き送っている、それは教会すなわち、信仰共同体の信仰生活において、最も重要な事柄であり、また基本的な事柄だからです。 そして、もう一つのことは、パウロが今まで行ってきました、異邦人伝道の中で、“否というほど”経験してきたこととも直接関係しているのです。例えば、第一コリント書8章や、10章には、“偶像に供えた肉を食べることについての問題”が、また、コロサイ書2章16節以下には、“食べ物、飲み物、さらには、特定の日を巡る問題”についてのことが記されております。

隣人愛

二年余り続いておりますローマ書からの説教、現在は「実践生活についての教え」である、12章以降に入っておりまして、本日は13章8節からです。何時ものように、直近の前の部分を確認しながら、先へと進みたいと思います。12章では、この世における実践生活、そのものが“霊的礼拝”、また“理に適った礼拝”である。それは、すでに主イエスさまが、ご自身の十字架の贖いによって、わたしたちを生かしていてくださいますからです。よってわたしたちは、日々“霊的礼拝としての実生活”を送っていくことができます。その礼拝たる実生活においては、「愛に偽りがあってはならない」、「兄弟愛をもって互いに愛し合うように」、との勧めをいただくのです。

神が定めた支配者への従順

2020年度が始まりましてから、会堂での礼拝は本日が二回目となります。会堂の前方講壇の横には、年間主題「主にあって日々新たに」と、聖句「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る」が掲げられておりますが、先週、礼拝が始まる前に、これを執筆してくださったかたが感慨深そうに、この貼り紙を眺めていたのが印象的でした。 わたしたちは、どんな困難な時も、この主題および聖句が示すように、主に望みを置きつつ、日々新たにされて、この苦難から立ち上がり、鷲のように翼を張って立ち上がることができますように、と願っております。

霊に燃え、主に仕える

信仰によって義とされた者としての、わたしたちの日々の生活そのものが“わたしたちのなすべき礼拝である”、“理に適った礼拝である”といわれます。それは、前回説教箇所、ローマ書12章1~8節に示されておりました。これは、キリスト者の実践生活の基本姿勢です。これを受けて、本日箇所、9~21節では、具体的な教えについて、十項目(十二項目ともされる)が記されておりまして、これを名付けて、「愛についての十戒」、ないしは“十二戒”と言われています。先ず初めにそれを見て参りましょう。