コリントの信徒への手紙一

良き管理者

パウロがコリントにある教会の信徒に向けて書いた手紙を読んでいますが、このコリント教会はいろいろな問題を抱えていたようです。アテネやコリントなどギリシアの諸都市にはアゴラという広場があり、人々はそこに集まってきて哲学やいろいろな知識を語り合い、互いに意見を戦わせていました。人々は学問や知識があることを誇りにしていましたし、学閥というのでしょうか、そういう学問をする人たちの間にはある種の派閥や党派があったようで、それが教会の中にまで入り込んできたのです。キリストへの信仰に導き入れられた後でもなお、そのような習性が現れてきてパウロを悩ましていたようです。3章でお読みしたように、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」といったようにグループができて、それぞれ党派心に燃え嫉妬や紛争となって教会を乱していたのです。

真実な土台

パウロは神によって使徒としてたてられてからは、主の福音宣教のために3回にわたる大伝道旅行を試みています。交通の便の極めて困難な時代ではありましたが、シリアのアンテオケ教会を基点として、小アジアの全域をめぐり、マケドニアやアカヤ(今のギリシア)、そしてローマへと地中海を巡る諸国に主の福音を語っていきました。パウロは一か所にあまり長く滞在することはなくて、もっぱらその地に教会の土台を据えることに力を注いだのです。

成長させてくださる神

多くの人は旅を通して目新しい風物や自然に接すると、そのことを書き記すものですが、パウロはたくさんの手紙を書いているにも関わらず、そういう描写がどこにもないことは大変不思議です。その理由として考えられるのは、パウロにとっては一人でも多くの人に主の救いを語り伝えること以外には関心がなかったのかもしれません。さらに、当時の地中海が、今のようにクルージングのような楽しみや遊びの観点で見るものではなく、船が難破することや座礁すること等、危険な航海の思い出や恐ろしい体験につながったこともその一因かもしれません。

神の知恵

パウロは繰り返し、人が信仰を持つのは神の力によること、信仰はこの世の知恵によらないこと説いています。実際イエス・キリストの十字架は、知恵ある人間の目には愚かなことでした。多くの人は、もしイエスが神の子であるならば、そのような弱い惨めな屈辱的な姿はあり得ないことだと考えたのではないでしょうか。ですからキリストへの信仰を持つためには躓きとさえなっています。しかし、世間の人々が愚かだと思うこの出来事の中に、神の知恵が秘められているのだとパウロは言うのです。そしてそれは霊の目が開かれてこそ分かるものであって、どんなにこの世の知識が豊富で弁舌や理屈に長けていようとも、またそういうこの世の知恵や、この世の権力を握っているような支配者であろうとも理解されないものなのだと語っています。そのことをパウロはここで、この十字架の言葉は救われる者にとっては神の力であり、たとえようもない神の知恵なのだと力説しているのです。

神の力によって

神は人間の知恵ではなく、世の人々が軽蔑するような福音の宣教という愚かな手段によって、信じる者を救われるのだということを学びました。それが神の知恵なのだということです。私たちが福音を聞いて信じたのは、私たちがこの世の他の人々より頭が良かったり、優れていたからではありません。つまり信仰は人間の知恵によるのではないということです。また知恵だけでなく、家柄や身分や学歴とかそういったものが他の人に勝っていたというわけでもありません。神が私たちを愛して救いを与えてくださるという福音の言葉を聞いて、ただ素直にそれを信じたことによるのです。

十字架の言葉

本日お読みした個所の前の17節には、「キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。」とパウロの心構えが記されています。キリストがパウロを遣わしたのは、福音を宣べ伝えさせるためであり、その宣べ伝え方は「言葉の知恵」にはよらないのだと語っています。

神の真実

「コリントの信徒への手紙」は、パウロがコリントにある教会に宛てて書いたものです。このコリント教会は、パウロが第二回伝道旅行の時にこの地を訪れ、約一年半程滞在した時につくった教会です(使徒言行録18章参照)。パウロはその後エフェソに移りましたが、そこへコリントからやって来たクロエの家の人たちから、コリント教会の中で争いがあると聞いたものですから(1章11-12節参照)驚いて早速この手紙を書いているのです。パウロはコリントを去ってからも、この教会のことを思って祈り、心を砕いて関わっているのです。

キリストの復活

イースターの喜びを感謝いたします。イースターは、キリストが苦難と死を過ぎ越して復活されたことを記念してお祝いする喜びの日です。キリスト教の初期にはキリストが復活された週の初めの日、つまり毎週毎週日曜日の度にキリストの死と復活を覚えて礼拝を捧げていたのですが、2〜3世紀頃に通常の礼拝とは別に、ユダヤ教の過ぎ越し祭の頃に一年に一度、盛大に祝われるようになりました。ところが当時は日付がばらばらであったようで、325年のニカイア公会議で話し合い、春分後の最初の満月の次の日曜日をイースターとするということが定着していったようです。