聖書

重い皮膚病の人の癒し

本日は、ルカによる福音書から標記の通り「重い皮膚病の人の癒し」と題しての説教です。主イエスは、カファルナウムにいたとき、「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」(本書4章43節)と、巡回宣教の抱負を語られました。さらに弟子選びと並行して、癒しの業を進めてこられました。その癒しの業も、より重い病気へ、より社会的意味合いの大きい病気へと進み、そして律法の決まりとも絡んで、やがてそこにファリサイ派の人々や律法学者が登場してきます。なお、イエスさまによる癒しのわざは、その癒しの業だけ単独にあるのではなく、あくまでも御国の福音伝道の一環としてなされてきたのです。

生涯の日を数える

詩編は150の詩からなっていて、神への感謝や賛美、嘆願や祈りなど、その内容はいろいろです。その時に応じてふさわしい詩編が読まれますが、今朝の詩編90編は、キリスト教の葬儀の時によく読まれる箇所ではないでしょうか。私たち人間の命について、人生について、永遠について、大変美しく哲学的に書かれた詩だと思います。本日の礼拝で歌う新生讃美歌572番「神わが助けぞ」(教団讃美歌88番「過ぎにし昔も来たる代々も」)は、イギリス最高の讃美歌作者アイザック・ワッツがこの詩編90編をもとにして作ったものです。

キリストの栄光

人が悲惨で苦しく耐えられない状況に遭遇した時にはきっと、だれか早くこの状況を見て助けに来てほしいと心から願うと思います。神を信じる私たちは、戦争や争いや醜い欲にまみれたこの世がはやく終わって、神の国、神の平和が来ますようにと、日々「みくにを来たらせたまえ」と、願り願っています。それはイエス・キリストが再びこの世に来られて、地上に神の国を実現してくださると約束されているからです。

主の霊が降る

「聖霊降臨節」(ペンテコステ)と呼ばれる特別のお祝いの日です。ペンテコステというのは五十日目という意味のギリシア語で、過越祭から五十日目に当たる収穫感謝を祝う祭り(五旬祭)だったからです。そしてそれは過越祭、仮庵祭と並ぶ三つの重要な祭りの一つでした。ただ過越祭、仮庵祭が一週間続くのに対して、五旬祭はたった一日の祭りでした。今朝はその五旬祭の日に起きた聖霊降臨の出来事をみ言葉から聞いていきたいと思います。

漁師を弟子にする

本日の説教題は、「漁師を弟子にする」で、どちらかと言いますと、イエスさまの視点での表題ですが、わたしたちの視点からは「漁師から弟子への転身」です。早速、聖書に目を通して参ります。1節「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。」とあります。ここで“ゲネサレト”とはガリラヤ湖のことです。因みにこの名称は、ガリラヤ湖北西岸で、水が豊富で肥沃な土地の名前、ゲネサレトからとったものです。その湖畔にイエスさまが立っておられると、群衆が神の言葉を聞こうとして周りに押し寄せて来た、とあります。このときすでに、イエスさまの評判は人々に広く行きわたっていたのです。

シモンのしゅうとめの癒し

その出来事とは、先ずカファルナウムでの安息日の礼拝説教中に、イエスに向かって大声で叫ぶ、悪霊に取りつかれた男性の悪霊を追放された出来事に始まり、礼拝が終わって直ぐに、シモン・ペトロの家に場所を移し、高い熱に苦しんでいるシモンのしゅうとめの、高熱を追放された出来事があります。そしてさらに、日が暮れ、すなわち安息日が終わってから、そこに連れて来られた多くの病気の人をイエスさまが癒されました。そして日が明けた翌朝、イエスさまは、独り静かな場所に行って、それから先にわたる御国の福音伝道の抱負について、人々に語る場面へと続いております。以上が本日のメッセージの内容です。

主の見守り

この詩編121編は詩編の中でも、最も多くの人々に親しまれている詩ではないかと思います。私たちが礼拝でよく歌う新生讃美歌435番「山辺に向かいてわれ」は、この詩編121編をもとに別所梅之助が作詞したものです。詩編の歌の多くが神への信頼と感謝を表していますが、中でもこの詩編121編はシンプルですが、それだけに力強く神の配慮や守りへの感謝と信頼を歌っています。

神のすばらしい約束

本日からペトロの手紙二を読んでいきたいと思います。ペトロの手紙一と二は、同じようにペトロの手紙という名前がついていますが、文体や使われている用語が大変異なっていますので、はたして同じペトロが書いたのだろうかと疑問となっています。ペトロの手紙一は、古典的な大変美しいギリシア語で書かれていて、これはギリシア語に堪能であったシルワノが代筆したことが、ペトロの手紙一5章12節にはっきり書かれています。しかしこのペトロの手紙二の文体は大変難しい上に技巧的なところがあるので、シルワノではなく、筆記者としてペトロが誰か他の人を用いたのかもしれません。誰が書いたかはともかくとして、殉教の死を間近にしたペトロが、ローマの獄中で記したものと考えることもできると思います。ペトロは紀元66年のネロ帝の迫害の時に殉教したと伝えられているのです。

生命の畏敬

人間社会における倫理規定の中でも、一番最初に書かれている教え「殺してはならない」という殺人の禁止についてご一緒に考えてみたいと思います。殺人の禁止というのは、つまり命を大事にすることです。今朝お読みいただいたみ言葉は、以前にも二回にわたって細かくお話しさせていただきましたので、覚えておられる方もあると思います。律法の完成者と言われるイエスが、神が人間に与えられた律法の本質を易しくお語りになっている箇所です。

教えと悪霊払い

ルカによる福音書からの福音のメッセージを、続けてご一緒に聞いております。現在は、イエスさまのガリラヤ伝道の初期に起こった出来事が中心となっておりまして、本日は、カファルナウムでの伝道からのメッセージです。  本日箇所冒頭、31節、32節には「イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。」とあります。この二節にわたる紹介の言葉は、イエスさまのカファルナウムに下ってからの伝道がすでに始まっていて、順調なスタートを見せている、そのような印象を受けます。  といいますのも、実はその前の場所、ご自分がお育ちになったナザレでの伝道は、実に辛い結果となってしまい、そのナザレを後にしての、カファルナウム行きだったのです。そこでの伝道が順調なスタートが切れたことは、ここを読むわたしたちにも、喜びと安堵感を届けてくれます。