手の萎えた人のいやし

ルカによる福音書 6章6~11節

 “コロナ禍”のため、4月18日の礼拝から約五か月間、教会での礼拝が出来ず、わたしたちは家庭礼拝を強いられてきましたが、先週の主日からようやく、教会での礼拝を持つことができて、本当に嬉しく思います。また、その家庭礼拝の期間中もルカによる福音書からのメッセージを、皆さまとご一緒に聞き続けてくることができたことも感謝です。
 その間のメッセージは、主イエスがガリラヤの漁師であったシモン・ペトロ、ヤコブ、ヨハネ等をガリラヤ湖畔で、「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と招いて弟子とされたときから、故郷ナザレを経て、カファルナウムに移っての福音伝道の歩みについてでした。そして前回は、いわゆる“断食論争”について、今回は、“安息日論争”についての説教となります。
 しかし、イエスさまの伝える福音は、“よき知らせ”“喜びの知らせ”である筈のメッセージに、“水をさすように”、「○○論争」が続くとは、一体どういうことでしょうか。それは、主イエスさまの福音伝道に対峙して活動している律法学者やファリサイ派の人々の存在です。彼等は、旧約時代の律法や掟を唯一の拠り所として信じていて、ただそれを信じるだけではなく、自分たちの考え方や教えに反する一切のものを受け入れず、それを敵対視していたからです。

 しかし、イエスさまの伝道は、初めからそのように緊迫した状態ではありませんでした。それは本当に、順風満帆な伝道のスタートでした。その例を何か所か見てみますと、「カファルナウムでの、安息日の教えの最中に、悪霊に憑かれた人への癒しを行うと、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も追わせず、その男からて出て行ったことに、人々は驚嘆、その噂は、辺り一帯に広まった」と、4章31~37節にあります。また、「ある日、イエスが教えておられるとき、長年、中風を患っていた人を、仲間内で床に乗せイエスさまの許に運んで来ましたが、家の中に入ることができず、屋根から吊り降ろして、イエスの前に辿り着いたのをイエスはご覧になって、『人よ、あなたの罪は赦された』と言われたことで、一悶着(ひともんちゃく)はあったものの、更に、イエスさまの癒しと、励ましのお言葉によって、その中風の人が癒されたことに、人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた」と、5章17~26節にありました。
 このように、イエスさまのガリラヤにおける初期の頃の伝道は、順調なスタートでした。これをある人は、「この時期のイエスさまの歩みは、いわば“ガリラヤの春”だった」と表現しています。正にそのように思います。

 では、早速本日箇所に入りましょう、と言いたいところですが、本日箇所は、直前の段落6章の1節~5節とも深い関係がありまして、いわゆる、“安息日論争”として、一まとめに言われている箇所ですので、本日箇所と合わせて、見ていくことにします。

 1節に「ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは麦の穂を摘み、手でもんで食べた。」とあります。そのときの弟子たちは、伝道の働きのため、空腹を覚えていたであろうことが推測できます。しかし、弟子たちが、安息日であるにも拘らず、麦の穂を摘み、それを食べたこと知ったファリサイ派の人々は「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか、」(2節)と、イエスさまに対してクレームをつけたのです。なおこの聖書箇所、1節に“麦の穂を摘み、手でもんで”とわざわざ記されていることにも注目です。

 この「麦の穂を手で摘む」ことは律法違反にはならないのです。申命記23章26節に「隣人の麦畑に入るときは、手で穂を摘んでもよいが、その麦畑で鎌を使ってはならない」と記されています。これは弱い立場の人への配慮に基づいた規定です。これに関連して、わたしたちは、ルツ記のことを思いだします。「ベツレヘム出身のナオミは、連れ合いと、長男、次男に先立たれ、次男の連れ合いだったルツと共に、モアブを後にしてベツレヘムに戻って来て、親戚筋のボアズの許に身を寄せました。そして、そのボアズから手厚い待遇を受けたのです。ルツは生きていくために行った“落穂拾い”では、周りの人びとからも多くの恵みをいただいた。」というお話です。さらに、これを題材にした、お馴染みの絵画「ミレーの落穂拾い」も有名です。
 ルカ書6章の3節、4節で、イエスさまは、サムエル記上21章4節、5節から、ダビデについての逸話を引用して、たとえ律法の規定があるにせよ、安息日に休むことよりも、人の命を守ること、飢えを凌ぐことの方が、はるかに優先するのだ、との内容の説明をしております。
 そして、最後は決定的なお言葉が5節「人の子は安息日の主である。」です。安息日は、人が功績を積み、またそれを自慢するような日ではない。主イエスは安息日を、救いの恵みを降り注ぐ日として、愛の業をされ、そして癒しの業をされていたのです。また、その途上では、自らも飢えを覚えながらも、弟子たち共々に福音のために励んでおりました。
 “人の子は安息日の主である”このいわば、決め台詞の言葉を聞いたファリサイ派の人々は、この段階では沈黙しておりました。では次の段落に移ります。
 次の段落に入りますと、6節に「また、ほかの安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに一人の人がいて、その右の手が萎えていた。」とあります。
 この記事は、共観福音書すべてにありますが、“右の手が萎えた人”と、わざわざ伝えているのは、ルカ福音書だけです。医者らしいルカの表記である、と言えばそれまでですが、普通、“右手は利き手”であって、その人にとって、右手が不自由なことは、大きなハンデを抱えながら生きることになります。
 この記述の直後に、“あつ、また来たか”と思わせるように、「律法学者たちやファリサイ派の人々は、訴える口実を見つけようとして、イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、注目していた。」と7節にあります。彼らは、虎視眈眈、イエスから目を話すまいと、その場に待ち構えていたことでしょう。
 しかし、イエスさまは先を越されて、8節a「イエスは彼らの考えを見抜いて、右手の萎えた人に、『立って、真ん中に出なさい』」と仰いました。主イエスさまは、これからご自分がなさろうとすることを、出来るだけ多くの人に見ていてほしい、との思いから、その人に“真ん中に出なさい”と言われ、その人もまた、イエスさまに言われた通り、“身を起こし、真ん中に立った”のです(8節b)。

 イエスさまは、続いて、皆に向かって次のように問いました。9節「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」とです。
 どうでしょうか、もしわたしたちがその場に居合わせ、この質問を受けたとしたら、或いは自慢げに「それは善を行うことです。人の命を救うことです。」と答えたかもしれません。しかし聖書のこの場面で、イエスさまのその質問を聞いた律法学者、ファリサイ派の人々は、「うーん、それは、どちらも行ってはいけない安息日ではないか、なのに、今更イエスは、何を言っているんだろう」と怪訝に思ったかも知れません。なぜなら、彼らの信条は、“安息日とは、律法の定めに従って、決められたこと以外は、何も行ってはいけない日”だからです。
 これに反して、イエスさまの教え、そして業の中心は、それがたとえ安息日であっても、神の愛、慈しみと憐みをもって、御国の福音を実践することにあるのです。
 そして、主イエスさまはここで、例の右の手が萎えた人に対して、癒しの業をなさいます。

 10節a「そして、彼ら一同を見回して、その人に、『手を伸ばしなさい』と言われた」とあります。ここでも“一同を見回して”とは、人々を警戒するとか、怯んで恐る恐る行うのではなく、威風堂堂と、“これから行う、わたしの業を見ていなさい”とのお気持ちです。
 そしてその人は、言われた通りにすると、手は元どおりに治りました(10節b)。もしもそこに、わたしたちが居合わせて、この一部始終を見ていたなら、拍手喝采して、皆で喜び合ったことでしょう。
 ところが、「彼ら(律法学者やファリサイ派の人々)は怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った」(11節)と伝えています。なんと恐ろしいことでしょう、彼らは怒り狂い、挙句の果て殺意にまで発展していくのです。(マタイ書、マルコ書の並行記事には「どのようにしてイエスを殺そうかと相談した」と明記しています。)
 前段の安息日の出来事では、イエスの弟子たちが麦の穂を手で摘んで食べた事を、律法学者、ファリサイ派の人々が咎めたことに始まり、イエスさまの「人の子は安息日の主である」との、威厳に満ちたお言葉に、彼らには二の句が出ず、無言のまま口を閉じていました。
 しかし、その後の別の安息日では、彼らはイエスさまの癒しの業に、怒り心頭、荒れ狂って、それが殺意にまで発展していくとは、非常に恐ろしく、そして残念至極です。

 以上のことを、聖書からのメッセージとして聞いたわたしたちは、今一度9節に示された、「安息日に許されている、善を行うこと、命を救うこと」の陰にどれほど、主イエスさまのこの世で、犠牲的な働きがあったか、そして最後は、十字架の贖いの業によって、その愛の業と働きが完成されたことに、わたしたちは、今一度思いを馳せつつ、その福音の働きに、わたしたちも参与させて頂きたいと願っております。これからもご一緒にこの志村教会のために、そして地域のために共に働いて参りましょう。

(牧師 永田邦夫)