十二使徒の選びと癒し

ルカによる福音書 6章12~19節

 教会での礼拝が再開されてから、一カ月余過ぎました。礼拝を通していただく多くの恵みに感謝しております。これから、さらに忙しい時期を迎えますが、それと共にまた沢山の恵みを頂けるものと思っております。
 本日も、ルカによる福音書からのメッセージを、皆さまとご一緒に聞いて参りましょう。本日箇所の十二使徒の選びの記事は、共観福音書すべてに載っております。しかし、わたしたちが夫々の福音書を読むとき、その福音書ならではの豊かな、そして掛替えのないメッセージを聞き取ることができます。

 このルカ福音書は、本日箇所の冒頭の12節に、「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。」とあります。なお、本日箇所の「十二使徒選び」は、5章から6章にかけて、ファリサイ派の人々を中心に始まった、“断食論争”に続く“安息日論争”の後を受け、緊迫した状況の中での十二使徒選びであり、またそれは“伝道の足場固め”でもありました。

 本日箇所の直前では、イエスさまが安息日に行われた、手の萎えた人の癒しの直後には「彼らは怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った。」(6章11節)と、緊迫した場面を敢えて伝えておりました。
 そして、その緊迫した状況が続いている中で、主イエスさまは山に行き、夜を徹しての祈りを捧げ、翌朝の“使徒選び”へと繋がっていきます。振り返ってみますと、主イエスさまはご生涯を通じて、“祈りの人”でした。特に重要なときには、独り、人里離れた所に退いて祈り(ルカ福音書5章16節)、また、使徒たちと山に登り、祈っておられるうちに、お顔の様子が変わる、という出来事があり(“変貌の祈り”;ルカ福音書9章28、29節)、そしてやがて、過越の食事の後の、“オリーブ山での祈り”(ルカ福音書22章39節以下)へと、繋がって参ります。
 わたしたちの教会におきましても、祈りが教会を造り、また逆に、教会が祈り続けることによって、世に立ち続け、福音伝道の足跡を残していくものと信じております。

 次は13節、「朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。」とあります。ここには大切なことが大きく二つあります。一つは、「十二人の使徒選び」です。十二とは、旧約時代のイスラエルの部族の数ですが、主イエスさまは、これに因んで、新しい神の民イスラエル、すなわち“教会”を形成し、その教会を支えていくために必要な人を、使徒として、十二人、選ばれたのです。今、主イエスさまから使徒として選ばれた、この「十二人」ということに思いを馳せますと、わたくしたち志村教会もかつて教会員数が多かった時代には、執事の数を、十二人としていた時代がありました。

 13節について、二つ目の注目点は「使徒」についてです。使徒とはどのような位置づけの人かと言いますと、ギリシャ語で、アポストロス、すなわち“派遣された者”または“代理人”の意味です。このとき、主イエスさまは既に、カファルナウムから始まって各地で伝道され、イエスさまの周りには多くの人々が従ってきていました。この人たちは、いわば、イエスさまの弟子として従ってきていた人たちです。これから先は、その弟子たちの中から、いわば、自分の身代わり、“代理人”として世に、“派遣できるような人”を選び「使徒」(アポストロス)として立てられたのです。先に見てきましたように、イエスさまの福音伝道がさらに大事な段階を迎え、かつ、緊迫した中で、将来を見据えつつ、体制固めとしての“使徒選び”でした。

 では、そのとき選ばれた、使徒たち十二人の名前を先に確認し、さらにはその人たちの特徴も見ていくことにします。14節~16節には、「それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、そして、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、熱心党と呼ばれたシモン、ヤコブの子ユダ、それに後に裏切り者となったイスカリオテのユダである。」とあります。なお、この十二人の使徒のリストは、共観福音書すべてにあります(マタイ福音書の10章2~4節、マルコ福音書の3章16~19節、など)。
 このとき選ばれた十二人の使徒の顔ぶれの中で、冒頭にはいつも、シモン・ペトロが来て、そこからペトロとアンデレ、そしてヤコブとヨハネの二組の兄弟の名前が出てきます。なおこの四人は以前には漁師をしていたことは皆さんご存じの通りです。では、このほかの使徒たちの出自(以前の職業や所属など)を見ていきましょう。まず、徴税人であったマタイです。当時の徴税人とは、文字通り、人々から税を徴収する請負人ですが、彼らは決められた税額以上に、相当の利益を上乗せして税を取り立てることで私腹を肥やしていたために、人々から“罪人呼ばわり”されることもあったのです(ルカ福音書5章30節など)。

 次は15節の、“熱心党と呼ばれたシモン”、のことです。この呼び方は、シモン・ペトロと区別する目的も勿論あったことでしょうが、熱心党とは、ゼロテ党(熱心な者の集まり)とも言われ、極端な愛国心をもち、排他的、国粋的団体の党員であった、と言われます。
 最後は、イスカリオテのユダについてです。その紹介の言葉は、共観福音書すべてが「後に裏切り者となったイスカリオテのユダ」、と記しています。すなわち、ユダは、“後に○○になった”との紹介であることに注目しておきましょう。イスカリオテのユダも、ほかの十一人の使徒と同じように、初めは、イエスの目に留まり、イエスから愛され、憐みを受け、期待されながら、使徒として選ばれたのです。

 ではなぜ、そのユダが後になって、主イエスを裏切ることとなったのか、聖書では直接、金銭欲に駆られて、銀貨30枚(この額は当時の奴隷一人の値段ともいわれる)でイエスを売ってしまったとされ(マタイ福音書26章15節)、またそれは、サタンの仕業である(ルカ福音書22章3節)とも記されています。ついでながら、イスカリオテとは、“ケリヨテ(南ユダの町、ケリヨテ・ヘツロン)出身の人”という意味であり、十二使徒の中では唯一、ガリラヤ出身でない人とされています。
 また一方、これらの十二使徒たちの性格を見ていきますと、積極的で果敢な人、シモン・ペトロ、悲観的で、また懐疑的なトマス(このトマスは、後に、同僚の使徒たちが、復活の主にお会いしたことを聞いて、自分は、主イエスさまの手の釘後を見、その釘後に自分の指を差し込んでみなければ、それを信じることが出来ない(ヨハネ福音書20章25節)、とまで言ったのです。さらには、現実派(徴税人だった)のマタイ、等々、じつに多彩な顔触れでした。これにイスカリオテのユダのことも加えて、多彩な顔触れに、さらに人間の弱さをも加えた、普通の人間の姿そのものをここに映し出しているのです。これはまた、今日の教会においても“主の福音を担い合う群れ、教会の姿”かもしれません。

 今まで、イスカリオテのユダのことに因んで、人間の弱さの面を多く取り上げて参りましたが、これからは、後半部分、すなわち、主イエスさまによって選ばれました十二使徒、さらにはそれを取り囲む多くの弟子たちが、主イエスさまと共に、山を下り、平地に降り立って、力強く福音伝道を開始していく人々の姿を見て参ります。17節から19節です。
 17節「イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、テイルスやシドンの海岸地方から」とありまして、大きくは、主イエスが“夜を徹して祈った末の使徒選び”の場所である山から、大衆伝道の場であり、多くの人々が生活を営んでいる場所、平地に移って来て、“さあ、これから伝道開始”と、意気揚々そこに降り立ったのです。勿論それは、先に選ばれた使徒たち、そして多くの弟子たちと、共なる移動です。

 すると、そこには、更に大勢の弟子、おびただしい民衆がユダヤ全土、エルサレムから、はたまた、テイルスやシドンの海岸地方からやってきたのです。18節には「イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。」とあります。ここには、主イエスの伝道の様子が総括的に記されています。そのため、この箇所は、次の段落以降(「幸いと不幸」の見出しがあり、マタイ福音書の、“山上の教え”に相当する部分)への導入箇所である、とも言われています。

 次に、この“平地での教え”を整理しながら見て参りましょう。①まず、イエスの教えを聞くために人々が集まって来たのです。御国の教えを聞くことは福音伝道の基本です。②次は、病気を癒していただくためです。聖書では「教えを聞くこと」と「病気の癒し」とは、画然とこれらを区別できませんが、当時の人々にとって、教えを聞くこと同様、病気の癒しも大切だったのでしょう。③さらに、汚れた霊に悩まされている人々が、その癒しを求めて集まって来ていたのです。なお、“汚れた霊に取り憑かれた結果”としか思われないような出来事や事件が、今日、ほとんど毎日のように、ニュースに取り上げられています。その当事者に対して、「先ずイエスさまの話を聞いてほしい」と願わずにはいられません。その役割は、わたしたち教会が負っているのです。このことを絶対忘れてはなりません。

 最後は19節「群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。」とあります。主イエスさまから、癒しを受けようとして集まって来た人々は、“何とかしてイエスに触れよう”、“何とかしてイエスさまから力をいただこう”と願いつつ集まって来ていたのです。
 伝道とは、先ず人々の心に触れ、そして、手を差し伸べることです。わたしたちは、このことに何時も心掛け、力をいただきながら、これからも伝道に、ご一緒に励んで参りましょう。

(牧師 永田邦夫)