ヨハネの黙示録

底なしの淵

ヨハネの黙示録 9章1~11節 牧師 常廣澄子        私たちは今、ヨハネの黙示録を通して、著者ヨハネの霊の目に映し出された天上の礼拝の様子を見ています。天の御座の中央に立たれるお方は、豪華な王者の衣をまとうお方ではなく、ほふられた小羊の姿です。それは虐げられ、苦しめられ、傷つけられたお姿でした。この方こそ、神の小羊としてご自分のお身体を捧げられたイエス・キリストに他なりません。このお方は天上にあるもの、地上にあるもの、地下にあるものが口をそろえて「王の王、主の主」として崇められるお方です。そしてこのお方が七つの封印で封じられた巻物を手に取り、その封印を一つひとつ開けていったのです。封印を解いていくことがおできになるのはこの方以外にいないのです。第七の封印を開いた時、神の御前に立っている七人の天使に七つのラッパが与えられ、次々と吹き鳴らされていきましたが、天使がラッパを吹き鳴らす度に、そこには恐るべき審きの光景が映し出されていきました。神の審きというのは、神を神として認めようとしない者に加えられるのです。

天使のラッパが鳴る

ヨハネの黙示録 8章6~13節 牧師 常廣澄子       最近、AI(人口知能)が論文を書いたり、人間の病気を診断したり、医学的な処方を教えてくれたりするということを知り、人間の技術開発はいったいどこまで進歩するのだろうと驚いています。しかしそのようなことは、目まぐるしく進化する人間世界の一端かもしれません。今私たちが生きている世界は、科学技術の目覚ましい発達によって、かつてないほど豊かになり、様々な便利なものに溢れ、季節を問わずいつでも快適に過ごせる時代になっています。しかし一方で、今までは考えられなかったような凶悪な犯罪が横行し、次々と複雑な事件や思いもしない事故が起こっています。ロシアとウクライナの戦争は長期戦となりつつあり、世界の国々は一触即発の緊張状況にあり、いつ破滅的な事件が起きてもおかしくないほどの危うさに満ちています。今の時代は本当に先の見通せない危険な状況にあるように思えます。皆さまは今の世界をどう見ているでしょうか。

聖なる者の祈り

ヨハネの黙示録 8章1~5節 牧師 常廣澄子        「ヨハネの黙示録」の著者ヨハネは、今、御霊に感じて、霊の目に映し出されているものを見ています。そして天上の礼拝の様子を私たちに教えてくれています。その祝福に満ちた礼拝の様子は、地上で神への信仰の故に苦しんでいる者たちにとっては大きな慰めであり、忍耐や希望を与えるものでした。

神のものとされた者

ヨハネの黙示録 7章9~17節 牧師 常廣澄子        新しい年が明けてから、早くも二週間が過ぎてしまいました。元旦には、私たちはここで新年礼拝を捧げましたが、コロナ禍とはいえ、お正月三が日には老若男女多くの人たちが神社仏閣にお参りされたようです。今世の中には問題が山積みですから、神様にお願いすることばかりです。新型コロナウイルスの感染者は、減るどころか、今年に入ってますます増加していて、亡くなる方も増えていますし、ロシアとウクライナの戦争も終わる気配がないまま年を越してしまいました。日常生活においては、物価が高騰していて生きていくのに四苦八苦している方々や、コロナ禍の影響もあって、孤立する方々が増えています。私たちの世界はこれからどうなっていくのでしょうか、不安や心配が後を絶ちません。

大いなる日が来る

ヨハネの黙示録 6章1~17節 牧師 常廣澄子       ヨハネの黙示録は、著者ヨハネを通して示された幻が書かれています。この幻は神から与えられた啓示ともいうことができます。しかしこの幻は大変奇妙で不思議な幻ですので、書かれたものを読んだだけではなかなか理解できません。いや、見方を変えれば、理解できないように書かれていると言った方が良いかもしれません。

巻物を解かれる方

ヨハネの黙示録 5章1~14節 牧師 常廣澄子        ヨハネの黙示録は、著者ヨハネが見た幻について書かれています。この幻は神がヨハネにお示しくださった啓示ということができます。しかしこの幻は大変奇妙で何のことかなかなか分かりづらいのです。そしてそれを見越したかのように、繰り返し繰り返し、「耳ある者は、霊が諸教会に告げることを聞くが良い。」と語られています。今これを読む私たちもまた、心の目、霊的な目を開いてこの幻を見、また霊の耳をしっかり開いて聞いていきたいと思います。 

天の礼拝

ヨハネの黙示録 4章1~11節 牧師 常廣澄子        本日はヨハネの黙示録4章のみ言葉から聞いてまいります。パトモスという島にいた著者ヨハネは、1章10節にありますように「ある主の日のこと

冷たくも熱くもない

ヨハネの黙示録 3章14~22節   神学生 前村俊一      おはようございます。東京バプテスト神学校から派遣された筑波バプテスト教会の前村俊一と申します。本日は志村バプテスト教会の特別礼拝において、説教実習

戸口に立つ方

ヨハネの黙示録 3章14~22節  ヨハネの黙示録には七つの教会に宛てた手紙が収められていますが、今朝の御言葉はその七番目のラオディキアにある教会に宛てた手紙です。エフェソの教会から始まって、一つひとつの教会を使者が訪問してこれらの手紙を届け、その教会の礼拝に出席して手紙を朗読したのだと思います。お気づきのように、これらの手紙はほぼ同じようなパターンで書かれているのですが、似ている所とそうでない所があります。それは、どの手紙にも最初のところに、どういうお方からの手紙かということが書かれているのですが、ラオディキア教会への手紙の冒頭は、大変重々しい表現でイエス・キリストについて表現されています。

開かれた門

「ヨハネの黙示録」の著者ヨハネがアジアにある七つの教会に宛てて書き送った手紙の六番目は、フィラデルフィアの教会に書き送られたものです。これらの七つの教会は皆それぞれの教会が置かれている地名で呼ばれています。その中でもフィラデルフィアという名前は、アメリカに同じ名前の大都市がありますが、何か親しみ深い感じがします。