主の名を呼び求める者の救い

ローマの信徒への手紙 10章5〜13節

 この聖書箇所がわたしたちに伝える福音のメッセージは、大きくは、9章から11章の“全人類の救い”についてであり、さらに詳しくは、直前4節「キリストは律法の終わりになられた」、すなわち、「律法に終止符を打たれた」(原語のギリシア語の解釈)を受けて、律法による義と、信仰による義を別の角度から比較しつつ、さらにわたしたちが、イエス・キリストを救い主として信じる、“信仰による義”(ローマ書の中心的テーマ)へと至る道筋を示しております。そしてそこにはユダヤ人、ギリシア人の区別はなく、主を信じ、主の名を呼び求める者すべてが救われる、と告げております。

 では冒頭5節から、13節の結論に至るまでを詳しく見て参りましょう。神がモーセを通して示された律法の義について、「掟を守る人は掟によって生きる」と、レビ記18章4節、5節に記されていますが、これは、律法と掟のすべてを守り、そしてこれを行う者が、それによって命を得ることができる、と言う意味であり、逆に、これらを全て守れない者はだれでも、神に呪われている、このことは旧約聖書全体に示されている、と、ガラテヤの信徒への手紙3章8節から12節までにパウロは記しております。なお、「神に呪われている」とは、祝福ではなく、神から怒りを受けるということです。

 旧約の民が父祖と仰ぐアブラハムは、その信仰ゆえに義とされた、すなわち、神が行先を告げないときに神を信じて神に従った、それ故にアブラハムは神から義とされた、と言います。そして更にその信仰ゆえに「地上の氏族は全てあなたによって祝福に入る」(創世記12章3節b)と言われたことを受け、ガラテヤ書3章8節でパウロは、次のように記しています。「聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して『あなたのゆえに異邦人は皆祝福される』という福音をアブラハムに予告しました」と記しております。また「律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。『律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている』と書いてあるからです。」とあります(ガラテヤ書3章10節)。

 そして、救い主イエス・キリストは神によってすでに世に遣わされ、その十字架の死と、三日目の復活によって、わたしたち信じる者に、罪の赦しと、更にわたしたちを“生きよ”と永遠の命へと導いていてくださっています。そしてこのことは、すでに実現していますので、今更だれかが、天に上り、また深淵に降り、イエスさまをお連れしなくてもよいのです。そしてイエスさまを信じる者は、そのことを、自分の口(くち)で「イエスは主である」と告白して、バプテスマを受け、教会の群れに加えていただくのです。一人でも多くの方が導かれますように、お祈りいたします。

(牧師 永田邦夫)