2020年01月

導かれる幼子イエス

イエス様の誕生を祝って真っ先に駆けつけたのは、野原で羊を飼っていた羊飼いたちでしたが、その後で、占星術の学者たちもはるばると遠い東の国からお祝いに詣でたことが書かれています。彼らを迎えたユダヤの王ヘロデは、ユダヤの王の誕生と聞いて、自分の地位を脅かすものとして恐れます。占星術の学者たちは宮殿を去り、ベツレヘムに行って幼子イエスに会うと、夢のお告げによってヘロデの許に帰らず、別の道を通って自分たちの国に帰っていきました。一方、ヨセフの夢にも主の天使が現われ、ヘロデがイエスを探し出して殺そうとしているから、エジプトに逃げるようにと告げたのです。ヨセフは驚いて、夜のうちにイエスとマリアを連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいました。イエスは常に神の護りと導きの中にありました。

イスラエルの残りの者

ローマ書9章~11章は、いわば“全人類の救い”を大きなテーマとして進められており、その11章に入った1節で、直前の段落までの“異邦人がイスラエルより先に神の義を得ている”と記されていることなどを踏まえつつ、「では尋ねよう。神は御自分の民を退けられたのであろうか」と、問いを発し、その直後に「決してそうではない」と否定しておりますが、それは、詩編94篇14節の、「神は御自分の民を決しておろそかになさらず、御自分の嗣業を見捨てることはなさいません。」に基づき、「神は、前もって知っておられた御自分の民を決して退けたりなさいませんでした。」と、神の普遍的な愛を示しております。続いて2節後半では、「エリヤについて聖書は何と書いてあるかを知らないのですか」と、列王記上17章から19章に記されている、いわゆる“エリヤ物語”の中で、神がエリヤに示されて大きな恵みと、愛のことを喚起させようとしております。

天に栄光、地に平和

ルカによる福音書が伝える、イエス・キリストの誕生のメッセージについて、2019年度のクリスマス・イブ礼拝の説教からお届けいたします。 第一に、イエス・キリストの誕生のできごとは、“神が人となって世に降って来られた”出来事です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)と示されていますように、神は、すべての人を救い、永遠の命を与えるために、その独り子を惜しまず世に遣わされました。

幼子を抱いて

生まれたばかりの赤ちゃんがもつその柔らさと愛おしさは心底感動するものです。小さな命はそっと扱わなければ今にも壊れてしまいそうな弱さを持っています。御子イエスはそのような小さな肉体を持ってこの世に来てくださいました。それは人間として生きるすべてを体験されたということです。御子イエスは、当時の子どもたちと同じ道をたどられました。律法を守り、八日目に割礼を受け、イエスと命名されました。そしてモーセの律法に定められた清めの期間が過ぎた時、最初に生まれた男の子として神に聖別されるために、エルサレムの神殿に連れて来られたのです。

恵みと真理に満ちた方

イエスは神の御子であられますが、神の身分であることに固執せず、へりくだって人となり、貧しいヨセフとマリアの子どもとしてこの世にお生まれくださいました。14節に「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」と書かれていることがそのことです。この出来事は、神の性格を示していると言ってもよいかもしれません。聖書の神は、人間に語りかける神であるということです。ヘブライ人への手紙1章1-2節「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。」とある通りです。神はいつも天上から私たちの歩みを眺めておられるだけではなく、私たち人間の重荷や苦しみを一緒に担ってくださるために人となってこの世界に降ってくださったのです。