2020年03月

本国は天にある

フィリピの信徒への手紙 3章17〜21節パウロはあちこちで、神に受け入れられるために必要なのは律法を完全に守ることである、という誤った律法主義を批判しています。救いを得るには律法をしっかり守ればよいのだという律法主義はキリストの恵みの福音とは全く相反する考えです。しかし、パウロがここで「キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです(18節)。」と語っているのは、そういう律法主義者ではなく、キリストを信じて教会の仲間になっている人たちの問題なのです。そういう人たちの中に、キリストの十字架、その愛と赦しを否定するような生き方をしている人たち、キリストの十字架を無用とするような生き方をする人たちがいたことが問題となっています。

信じたとおりになるように

イエスが「山上の説教」を終えられ、カファルナウムに戻られた時の出来事です。当時カファルナウムがあるガリラヤ湖周辺地域は、ヘロデ・アンティパスという領主が治めており、そこにはローマ軍が駐屯していました。その軍隊の百人隊長が、イエスが山から下りて来られるのを待っていたかのように、近づいて来て懇願したのです。(6節)「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます。」彼は文字通り百人ぐらいの部隊の隊長ですが、どうも権威を笠に着て威張っている人間ではないようです。自分の部下が病気になったことを心配しています。兵隊の多くは傭兵だったようですが、彼は部下を極力大事にしていたに違いありません。ともに戦場を駆け巡って忠実に働いている仲間を何とか助けてやりたいと思ったのでしょう。その思いは、彼が直接イエスの所に出向いたことでわかります。

良くなりたいか

エルサレム神殿の東側に「羊の門」という門があり、すぐそばにベトザタと呼ばれる池がありました。この池の底からは鉱泉が沸き出ていたようで、水が動いた時、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても癒されると言われていました。それで池の周囲の回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていました。これらの病んだ人々は治りたい、病をいやされて人間らしく生きたいという望みをもって、水が動くのを待っていましたので、そこには自分が誰よりも先に入りたいという生きるための戦いがありました。