2020年04月

来たるべき方

私たちはキリストの贖いを信じてクリスチャンとなりましたが、その信仰が揺らぐことはなかったでしょうか。このところには、バプテスマのヨハネが獄中から使いを送って「来たるべき方はあなたでしょうか?」と疑問を呈したことが書かれています。バプテスマのヨハネという人は、イエスの宣教の先駆者として活動した人です。彼の道備えによってイエスは公生涯をスタートされたのです。そのようなヨハネがいったいどういう気持ちで、イエスにこの質問をしたのでしょう。いったいこの質問の意図は何なのでしょうか。ヨハネともあろう人が今更イエスを疑いだしたのでしょうか。

新しい生活

イースターが過ぎましたこの時期も、わたしたちはコロナウイルスの感染予防のために、家庭礼拝を余儀なくされています。どうか皆さまの上に主の豊かなお守りと祝福がありますようにお祈りいたします。 ローマ書からの「恵みのみ言葉」も、12章に入って参りました。この12章から15章までは、キリストの福音を信じて受け入れた者が、キリスト者として日々どのように生きて行ったらよいか、いわば実践的な生活のことが記されています。そしてここに至る前の部分(12章より以前)は、教え、すなわち教理の部分です。わたしたちは聖書に聞き、そしてこれを信じて受け入れ、日々の生活で、これを生かしながら生きて行く、これが信仰生活です。ですから「教理」と「実践」は切っても切れない関係にあるのです。

恵みの食卓

イースターおめでとうございます。 イースター(復活祭)は、神が私たちの救いのためにこの世に送ってくださった主イエス・キリストを死からよみがえらせたことを喜び、感謝し、祝う日です。神が成されたこの御業によって、主イエスを信じる者の救いが完成しました。 今、私たちは新型コロナウイルス感染拡大防止のため、教会でご一緒にイースター礼拝をお捧げできない状況にありますが、たとえ私たちがどこにいても、どのような状況にあっても主の恵みと祝福の約束は変わりません。皆さまお一人おひとりが今おられるところで、主を見上げ、イースターの喜びを感謝することができますようにと心から願っております。

神の約束

この箇所は「信仰の父アブラハム」と言われているアブラハムの生涯の中でも、最も大切な場面です。父テラ、妻サライそして甥のロトと共にカルデアのウルを出て(創世記11:31)、「行く先を知らずに出発した」(ヘブライ人への手紙11:8)アブラム(99歳の時にアブラハムと命名:17:5)に対して、神が契約を結ぼうと語りかけたことがここに記されています。

本国は天にある

フィリピの信徒への手紙 3章17〜21節パウロはあちこちで、神に受け入れられるために必要なのは律法を完全に守ることである、という誤った律法主義を批判しています。救いを得るには律法をしっかり守ればよいのだという律法主義はキリストの恵みの福音とは全く相反する考えです。しかし、パウロがここで「キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです(18節)。」と語っているのは、そういう律法主義者ではなく、キリストを信じて教会の仲間になっている人たちの問題なのです。そういう人たちの中に、キリストの十字架、その愛と赦しを否定するような生き方をしている人たち、キリストの十字架を無用とするような生き方をする人たちがいたことが問題となっています。