2021年09月

苦難の中の慰め

今朝お読みした個所は、新共同訳聖書では「苦難と感謝」というタイトルになっていますが、ここには「苦難」と「慰め」という言葉が何度も出てきます。コリントの信徒への手紙はパウロによって書かれた手紙ですので、背景にはパウロが体験した様々な出来事があり、その体験を通して得たキリストへの信仰の恵みが語られているのです。

み言葉の危機

今朝は、アモスという紀元前8世紀中頃に活動した預言者の言葉から聞いていきたいと思います。預言者の中でも聖書にその言葉が残っている人を記述預言者と呼んでいますが、アモスは記述預言者の最初の人です。ただアモスが預言者として活躍したのはごくわずかの期間であったようです。

断食問答

ルカによる福音書からの説教を続けておりますが、本日箇所の5章33節に入りますと「人々はイエスに言った。『ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。』」と、唐突な入り方をしています。そして、その中心テーマは「断食」です。因みに直前の段落(前回の説教箇所)では、“罪人と共に食事をすること”が挙げられていました。すなわち、この両者共に食事を巡っての事柄です。さらに前後二つの段落の“流れ”から見ても、本日箇所は前の段落から続いている一つの大きな段落である、と言われています。さらにもう一つ、この大きな段落は、共観福音書すべてに共通している、“大きな問答集の中の一コマ”でもあります。

主を待ち望め

今朝はルターが深く愛したと言われている詩編130編から神の御心を聞いていきたいと思います。この詩編は8節までの比較的短いものですが、豊かな感情表現が盛り込まれていて、人間の罪と神の恵みとの間の深い関係が示されている御言葉です。有名な讃美歌258番(日本基督教団出版局発行讃美歌)は、ルターが自分の気持ちをこの詩編の御言葉に託して作られたと言われています。この讃美歌1節の歌詞は、「貴きみかみよ、悩みの淵より 呼ばわるわが身を 顧みたまえや。み赦し受けずば きびしき審きに たれかは堪うべき。」というように、130編の御言葉がそのまま基になっています。