2024年3月24日(主日)
主日礼拝
使徒言行録 5章17~42節
牧師 常廣澄子
イエスが復活されて天に上げられた後、聖霊が降りました。その聖霊を受けた使徒たちは生き生きと力あるしるしや奇跡を行い、主を信じる者がどんどん増えていきました。そういう中で、前回お話したアナニアとサッピラ夫妻の事件が起こったわけですが、これは教会内部で始めて生じた罪と裁きの出来事であり、すべての人に非常な恐れが生じました。しかしこの事件によって、初代教会が主の霊に満ちたどれほど聖い集まりであったかがわかったのです。ですからこの事件は初代教会に対するつまづきどころか、神の前に正しく生きようとする人々に畏敬の念を覚えさせました。人々はソロモンの回廊に集まって集会を開いていた信徒たちを称賛していました。エルサレムだけでなく付近の町や村からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れてきたのですが、使徒たちの手によって一人残らずいやされました。初代教会や使徒たちが人々に与えた影響がいかに大きかったかがわかります。
このように、使徒たちや主を信じる者たちが民衆から尊敬され、主を信じる者の数がますます増えていったことは、大祭司とその仲間のサドカイ派の人々に怒りに満ちたねたみの感情を抱かせました。
「(17-18節)そこで、大祭司とその仲間のサドカイ派の人々は皆立ち上がり、ねたみに燃えて、 使徒たちを捕らえて公の牢に入れた。」彼らはねたみに燃えて使徒たちを捕らえ、牢に入れてしまったのです。「(19-20節)ところが、夜中に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出し、『行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい』と言った。」牢に囚われていた使徒たちは「主の天使」によって助け出されたのです。天使というと翼を持った光輝く姿を想像するかもしれません。確かにそういう時もありますし、人間の場合もあります。天使というのは、神が人間の事柄に介入する時に用いられる使者を指しているのです。
主の天使は、夜中に牢の戸を開け、彼らを外に連れ出すと、神殿の境内に行って命の言葉を語りなさい、と告げたのです。「(21節)これを聞いた使徒たちは、夜明けごろ境内に入って教え始めた。」すると、天使の言葉を聞いた使徒たちはすぐに行動し、夜明け頃に神殿の境内に入って教え始めたのです。そんなに早い時間には、誰もいないのではないかと思うかもしれませんが、神殿ではもう最初の犠牲が捧げられ、儀式が始まっているのです。使徒たちは救いだされてから、一瞬たりとも無駄にしないように、命の言葉を語り始めたのです。「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」(テモテへの手紙二4章2節)という御言葉を思い起こします。夜明けでも夜更けでも、神の言葉はいつでも語られるべきなのです。
こういう事情を知らない大祭司とその仲間たちは、議会を召集して使徒たちを尋問する準備を進めていました。「(21節)一方、大祭司とその仲間が集まり、最高法院、すなわちイスラエルの子らの長老会全体を召集し、使徒たちを引き出すために、人を牢に差し向けた。」まず使徒たちを牢から引き出して来る必要があります。しかし「(22-24節)下役たちが行ってみると、使徒たちは牢にいなかった。彼らは戻って来て報告した。『牢にはしっかり鍵がかかっていたうえに、戸の前には番兵が立っていました。ところが、開けてみると、中にはだれもいませんでした。』この報告を聞いた神殿守衛長と祭司長たちは、どうなることかと、使徒たちのことで思い惑った。」使徒たちを議会に引き出してこようと遣わされた使いは、牢には鍵がかかっていたし、戸の前には番兵が立っていたのに、使徒たちがいなくなっていた、と報告したのです。これを聞いた大祭司たちは唖然としてこの事態をどう考えたら良いのかわかりませんでした。いったいどうなるのだろうと思い惑ったというのは、最もなことです。
そこに使者が来て告げました。「(25節)そのとき、人が来て、『御覧ください。あなたがたが牢に入れた者たちが、境内にいて民衆に教えています』と告げた。」何と、牢からいなくなっていた使徒たちは、神殿で民衆に教えていると言うではありませんか。彼らは、自分たちが命じたことが無駄になっていることを知らされました。しかし、自分たちの愚かさを悟ることもできず、もう一度使徒たちを捕らえて引き連れてきました(26節)。さすがに今回は民衆が反抗することを恐れて手荒なことはしませんでした。使徒たちの行為が、民衆に喜ばれていたのは明らかでしたし、民衆を助けたり教えたりしている時に、議員たちが妬みによって捕らえに来たのがわかりましたから、なおさら無理なことはしなかったのです。
さて逮捕された使徒たちは、議会の真ん中に立たせられ、大祭司の尋問が始まりました。「(28節) あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。それなのに、お前たちはエルサレム中に自分たちの教えを広め、あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている。」まず4章でペトロとヨハネが逮捕された時に命じられた伝道の禁止(4章18節)を守らなかったことが問われています。その次には、イエスを殺した責任を我々に負わせようとしている、という点が問題にされています。イエスを十字架で処刑するようにとピラトに要求した時、ユダヤ議会の当局者たちはエルサレム市民をそそのかして、「その血の責任は、我々と子孫にある」(マタイによる福音書27章25節参照)と叫ばせました。ところが今、イエスの弟子たちはその民衆の人気を得ていて、あの罪の責任を我々当局者側にだけになすりつけようしている、と言っているのでしょう。
これに対して、ペトロや使徒たちはあざやかにこれらの非難をくつがえしています。「(29節)ペトロとほかの使徒たちは答えた。『人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。』」伝道禁止を命じた権威者に従わなかった罪について、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」と答えています。これは前回(4章19節)にも語ったことです。
彼らはれっきとした最も権威あるユダヤ教の専門家たちであって、無神論者でも唯物論者でもありません。生ける真の神がおられることを誰よりも良く知り、信じている人たちです。従って彼らは、使徒たちが言う「人に従うよりも神に従う」原理には心から賛成したはずですが、現実にはどの道が神の道でどの道が人の道か判断できないでいたのです。その理由の一つは、使徒たちを迫害している張本人たちの中には復活を否定する人たちがいたからです。死人の復活はないと決めつけているサドカイ派の教義はイエスの復活を否定していますから、イエスに従う道を神に従う道だとする考えには賛成できなかったのです。
次にイエスの死に対する責任についてですが、この弁明は使徒たちがいつも語っている宣教の内容と同じことでした。「(30-31節)わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。 神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました。」
十字架、つまり木にかけられるというのは、旧約聖書では罪人の死刑として定められた呪われたものでした。そしてユダヤ当局者は確かにイエスを呪いの木にかけて殺したのです。しかし、神の判定は彼らの判決とは全く違っていました。神はこのイエスをよみがえらせたのです。そして御自身の右に上げられました。このようにイエスの死は神に祝福されたものとなったのです。ここに、ユダヤ当局者の命令を守れという、人間側の権威より、神の権威に従わなければならない明確な証拠があります。
また、神がイエスを復活させられ、ご自分の右に上げられたのは、イスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主とするためでした。彼らユダヤ当局者たちは、自分たちはイエス殺しの責任を転嫁されたと言っているけれども、それどころか、始めから自分たちに責任があったことを認めて悔い改め、罪の赦しを得るようにと神は願っておられるのだ、と使徒たちは語っているのです。
私たちも同じように、以前は神も神の救いを知らずにこの世の価値観で生きていました。しかし、その考え方は、私たちの方でおかしいと気づいて改められるものではありません。悔い改めも罪の赦しも、すべては神が与える賜物として私たちの身に起こってくるのです。
ですから、神の赦しと救いを伝えるキリスト教の伝道は、ただイエスの十字架や復活や昇天という出来事を説明して、相手の知性に訴えることではありません。「(32節)わたしたちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます。」使徒たちは、自分たちこそが救い主イエスによって悔い改めと罪の赦しを与えられた実物見本、つまり証人なのです、また、信じる者すべてに与えられる聖霊、このお方こそ本当の証人です、と語っています。伝道というのは、神を信じる者に与えられた聖霊、私たちに悔い改めと赦しを与えて神に従わせてくださる神の御霊が、私たちの言葉も行為も生活もすべてを用いてご自身を証しされている神の御業だと思います。
ペトロとほかの使徒たちが語る言葉は、大祭司やその仲間の者たちの心を刺しました。「(33節)これを聞いた者たちは激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた。」相手を殺そうとすること、これは最も激しい敵対の態度です。自分たちの権威を守り、自分たちのメンツを守りたいという自己保存の執念が使徒たちを殺そうとしたのです。たぶん尋問の会議は騒然となっていたのでしょう。
「(34-35節)ところが、民衆全体から尊敬されている律法の教師で、ファリサイ派に属するガマリエルという人が、議場に立って、使徒たちをしばらく外に出すように命じ、それから、議員たちにこう言った。『イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい。』」この時、ファリサイ派に属する律法の教師ガマリエルという人が立ち上がりました。22章3節を読むとパウロは彼から律法を学んだことがわかります。彼は民衆全体からも尊敬されていました。彼は使徒たちの取り扱いは慎重にするようにと勧めました。
彼の提案は、いますぐ自分たちの力で処理するよりも、神を信頼して、神の摂理に委ねようということです。彼も他の議員同様に、使徒たちとは信条を異にしているのですが、異なる意見や信条の人に対しても寛容な精神を持っていたようです。まず彼は憎しみの対象になっている使徒たちをしばらく外に出させて議場に冷静さを求めています。それから近年起こった二つの事件について語っています。一つはファドス総督の時にテウダが偽メシアを名乗って人心を惑わして殺された事件、もう一つはクレニオが総督の時、ガリラヤのユダが反乱を起こした事件です。これらの暴動は結局いまでは跡形もなくなっていると言います。つまり彼が言いたいことは、歴史の審判に任せておけば良いではないかということです。
「(36-39節)以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数四百人くらいの男が彼に従ったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、つき従った者も皆、ちりぢりにさせられた。そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」確かに紀元1世紀のパレスチナには多くの反乱事件が起こっていました。しかしその記録が断片的であるため、その年代については少々問題があるようですが、ガマリエルが言おうとした要点ははっきりしています。こういう思想や宗教は、人からか神からか二者択一でしかない、もし人から出たものであれば自滅してしまうだろうし、もし神から出たものであれば滅ぼすことはできない、もしそんなことをしたら、我々が神に敵対することになってしまうかもしれないということです。つまりほうっておけ、もし人から出たものなら失敗するであろうと言っているのです。
ガマリエルの考えに賛同した議会一同は、使徒たちを中に呼び入れると、鞭で打って、もうイエスの名によって話してはならないと命じた上で釈放しました(40節)。これに対して、使徒たちはどんな態度を示したでしょうか。「(41-42節) それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。」
ガマリエルの勧告があったので、使徒たちは死刑にはされませんでしたが、鞭で打たれてから釈放されました。きわめて惨い仕打ちです。しかし使徒たちは喜んでいます。その喜びは「イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたこと」を喜んだのです。「人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。」(ルカによる福音書6章22-23節)。そして神殿の境内や家々で、つまり公的にも私的にも、彼らの話題はイエスの福音でした。またしても議会で受けた伝道禁止の命令が破られています。使徒たちは引き続き、いつものように神殿や家々で主を証したのです。すなわち、彼らの態度は毎日少しも変わらなかったのです。それは福音が人からではなく神から出たものだからです。
(牧師 常廣澄子)