ステファノの殉教

2024年8月11日(主日)
主日礼拝『平和礼拝・誕生日祝福』

使徒言行録 7章54~60節
牧師 常廣澄子

 本日は、主にある平和を感謝し、世界の平和を祈り願う平和礼拝としてお捧げしています。本日は、ステファノの最後の場面を読みながら、平和について考えたいと思います。
 さて、ステファノの長い説教は終わりに近づいてきました。ここまでステファノは、彼が冒涜したと言われた「神」について「律法」について「神殿」について、率直かつ明快にその正しい意味を居並ぶ人々に語ってきました。そこには、彼を逮捕した最高法院のメンバーだけでなく、多くの群衆が集まってステファノが語る言葉を聞いていました。彼らはステファノが語っている時、少なからず憤りや怒りの反応を示していたのですが、あの正しいお方イエスを殺したのはあなたがたです、と指摘されたあたりから、ついに堰が切れたようにその怒りが爆発します。「(54節)人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。」そしてついに彼らはステファノを殺害してしまうのです。
 「(55節)ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、(56節)『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言った。」天を見つめたといっても、ここは最高法院という建物の中にある議場ですから、外の青空ではありません。ステファノの霊の目に神の御座が開かれて見えたのです。ステファノは長い演説の間、一度もイエスという名を口にしなかったのですが、歯ぎしりしながらステファノを見つめている人々を前にして、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と叫んだのです。

 ここで「人の子」というのは、ダニエル書7章13節に出てくる「人の子のような者」という預言の言葉から取られたメシアの称号で、イエスがご自分のことを指すのに使われたことは良く知られていてだれにでもわかりました。イエスが逮捕されて裁判を受けた時、最高法院の議員たちを前にしてこのように語られています。「『お前がメシアなら、そうだと言うが良い』と言った。イエスは言われた。『わたしが言っても、あなたがたは決して信じないだろう。わたしが尋ねても、決して答えないだろう。しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。』」(ルカによる福音書22章66~69節)ステファノの言葉が、イエスが語られた言葉と違うところは、「神の右に座る」のではなく、「神の右に立っておられる」と言ったことです。座っているのでなくて、立っておられる、これは何を意味しているのでしょう。

 昔から多くのキリスト教教父たちは、神の右に座っておられたイエスが、愛する僕ステファノの弁明を聞きながら「ステファノがんばれ!」と応援していて、とうとう座ってなどいられず、身を乗り出して立ち上がられたのだと説明しました。あるいはまた、ステファノがいま最高法院の法廷に立たされているように、イエスもまた天上の神の法廷に立っておられたのかもしれません。ステファノが人々の前でその信仰を証している時、イエスもまた父なる神の前で、忠実な僕ステファノのために執り成しておられたのです。イエスは「言っておくが、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す。」(ルカによる福音書12章8節)と約束してくださいました。

 このようにイエスがステファノのことを執り成しておられ、彼を天に迎えようと手を差し伸べているイエスのお姿が見えたからこそ、ステファノは、体を殺してもそれ以上何もできず、魂を滅ぼすことのできない人たちの前で、大胆に力強くイエスへの信仰を言い表すことができたのです。そして、このように自分の身を案じてくださるイエスに向って、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と祈り、安らかに彼の霊を委ねることができたのです。しかしながら、このようにステファノにとっては慰めに満ちた幻でしたが、これを聞いていた者たちにとってはこの上ない神への冒涜だと受け取られました。これ以上ステファノの言葉など聞きたくないと(57節)「大声で叫びながら」つまり発言をかき消そうとしながら、「耳を手でふさぎ」「ステファノ目がけて一斉に襲いかかった」のです。いきりたった人たちのリンチ殺人と言えるかもしれません。

「(58節)都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。」正規の石打ち刑は、神への冒涜罪や極悪罪への刑罰として行われ、一定の手続きがありました。まず、刑を宣告された者は「都の外」に引きずり出されます。市外にある刑場です。そこがイエスを処刑したゴルゴダであったのか、別の場所であったかはわかりませんが、そこに着くと、罪人は衣服を脱がされて鞭打たれます。それから、少なくとも人の背丈の倍以上ある高い崖の頂に立たせ、二人いる証人の一人が罪人を真っ逆さまに突き落とします。普通罪人はこれで死にますが、死ななければ第二の証人が大きな石を罪人の胸元めがけて落とします。それでもまだ息がある場合には、他の人々がいっせいに大小の石つぶてを投げて殺すのです。そういう行為をするには上着は邪魔になったのです。それがここではサウロという若者の足もとに置かれたことが書かれています。サウロの人生にとって、ここには神の不思議な御計画が組み込まれています。

「(59節)人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言った。」証人たちが大きな石を抱えて、ステファノめがけて投げつけていた時、ステファノは彼らのすることには目も止めずに、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と祈っていたというのです。これは、主イエスが十字架の上で祈られた祈りとよく似ています。「そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです。』」(ルカによる福音書23章34節)
 ルカによる福音書という第一巻を書いたルカが、第二巻としてこの使徒言行録をも書き表したのですが、第一巻のイエスの死の場面と、第二巻のステファノの死の場面がほとんど同じ祈りの言葉で綴られているのは、大変興味深いことです。ステファノはまるで第二のキリストのように死んでいったわけです。それは著者ルカが勝手に脚色して書いたのではありません。ステファノ自身が、イエスの言葉を引用して語っているのですから、ステファノは意識して、愛するイエスの御足の後をたどって死んでいったということがわかります。ステファノは殉教者として死んでいきました。そして、殉教者とはもともとは証人という意味です。ステファノは死に至るまで忠実に主イエスを証して生きたのです。
 人間はだれでも、自分の人生を自分が思うように設計し、ある時には演技してでも生きていくことができます。しかし死ぬ時だけは違います。人間は死ぬ時は死ぬこと以外には何もできないのです。私たち主を信じる者が死んでいく時、キリストを証しできたらどんなに幸いでしょうか。けれども重い病気で痛み苦しんでいる時や、激しい迫害にあって苦しみ呻いている時に、主への信仰を証しすることは、たとえ演技であろうともなかなかできるものではありません。自分めがけて石が投げつけられるのを知りながら、イエスに祈ることができたのは、ステファノには日頃からそのような生き方が身についていたからだと思います。

 ステファノの祈りがイエスの祈りと違っている所は、イエスが「父よ」と呼びかけて、父なる神にその霊を委ねられたのに対して、ステファノは「主イエスよ」と呼びかけて、自分の霊を渡していることです。これは、イエスは死んだ後、復活して、今も生きておられ、死者の霊を受け取ってくださるお方であるという信仰告白に他なりません。また、イエスは父なる神に「私の霊を委ねます」と祈られましたが、ステファノは「わたしの霊をお受けください」すなわち「受けとってください」と祈り、信頼しているイエスに自分を全面的にお渡ししています。ステファノは死後に待ち受けている私たち人間の裁きの怖さよりも、私たちを愛して贖いの死を遂げられたお方のもとに行くことができる感謝と喜びがあったのです。

「(60節)それから、ひざまずいて」ステファノが最後の力をふりしぼってしたことは、神の前に出て祈ることでした。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」そして「眠りについた」と書かれています。「死んだ」のでなく「眠りについた」という表現にはステファノに対する限りない優しさがあります。イエスが最後に祈られた言葉は、「そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです。』」(ルカによる福音書23章34節)と、罪を赦していただく理由を語っています。しかしステファノはいろいろ解説しません。すべてを御存知の主は人間の心の奥底までも知っておられ、そこには赦しがあることを信じていたのです。ですからステファノは「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」とだけ祈っています。

 私たちはこのステファノの祈りを通して学びたいと思います。彼は自分のことを一言も祈っていません。むしろ自分を殺そうとした人々のために執り成しています。それは、ステファノがイエス・キリストの福音の真理を確信し、自分の死については解決済みだったからです。アウグスチヌスは、「もしステファノがそのように祈らなかったら、サウロの回心はなかったであろう」と語ったそうですが、ステファノの祈りの言葉はどの一言も空しく地に落ちなかったのです。
最後に、ステファノの祈り「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」この祈りの言葉が持つすばらしい祝福について考えたいと思います。

 8月は15日が第二次世界大戦の敗戦記念日であり、6日と9日には、世界で初めて広島と長崎に原子爆弾という恐ろしい殺りく兵器が投下され、一瞬にして数えきれない尊い命が失われました。先週その追悼行事がありました。記念碑には「安らかにお眠りください、過ちは繰り返しませんから」と刻まれていますが、今なお世界各地で起こっている戦争や争いは止むことがなく、尊い人間が簡単に殺され、住む所を奪われ、傷つき苦しみ悲しんでいる人々がたくさんいます。平和を求める人間世界に、どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。それは私たち人間を愛して、その罪を赦してくださった神の愛を知らないからです。自分が赦されていることを知った人間は、敵意から解放され、隣人を愛して生きていくことができます。そこに神にある本当の平和がつくられていくのです。

 私がまだ学生の時、教会に淵田美津雄というキリスト教巡回伝道師をお招きしての特別集会がありました。彼は元海軍の軍人で1941年12月8日、ハワイの真珠湾を攻撃した時の隊長です。トラトラトラ(我奇襲に成功せり)と打電したことは良く知られています。ですからその集会には、町のあちこちから多くの人がたくさん集まって来て小さな教会に入りきれないほどでした。敗戦後の彼は、誤った戦争をしたということで冷たくあしらわれ、GHQ(占領軍総指令部)に監視され、思想調査やいろいろな取り調べを受けたのです。それを屈辱と感じた彼は、アメリカ側にも非難されるべきところがあるはずだと考え、それを占領軍に突きつけるためにアメリカ側の日本人捕虜の扱いを調査しました。すると思いもしない幾つもの事実に出会ったのです。
 その一つは、日本人捕虜収容所で献身的に働いたマーガレット・コルヴェルの働きを知ったことです。彼女の両親は宣教師でしたが、フィリピンで日本軍に見つかり、アメリカのスパイだと見なされて殺されてしまいました。しかし両親の最後の祈りは今お読みしたステファノのように、「主よ、彼らをおゆるし下さい。この罪を彼らに負わせないでくだい。」でした。これを知った娘のマーガレットは日本人捕虜収容所で働くことを決意したのです。この事実を知った淵田は雷に打たれたようだと語っています。
 もう一つは、東京を爆撃した飛行機の操縦士だったジェイク・ディシェイダーという人との出会いでした。彼は日本側の捕虜になっていたのですが、戦後は日本人の魂の救いのために宣教師となって働きました。彼の証しが書かれたトラクトを渋谷駅前で受け取った淵田は深く感動して教会の門をくぐり、その後主の赦しと救いを知って洗礼を受けました。自分はキリストの赦しを知ってからはあらゆる敵意から解放されたと喜び、その救いの体験を証ししながら、アメリカと日本で伝道しました。「リメンバー・パールハーバー」と日本を恨んでいる多くのアメリカの人々に、イエスの愛と赦しを語るのは大変な事でしたが、神は彼を平和の伝道者として豊かに用いられたのです。

 本当の平和は、私たちが神に赦され、平和の神と共に歩むことから始まります。どうか私たちの新しい一週間が主の平和に満たされますように、また、厳しい世界情勢が続いていますが、神の御手が人類世界を助けてくださいますようにと心から祈り願っております。

(牧師 常廣澄子)

聖書の引用は、『 聖書 新共同訳 』©️1987, 1988共同訳聖書実行委員会 日本聖書協会による。