万国の預言者

2025年6月29日(主日)
主日礼拝
エレミヤ書 1章1~10節
牧師 常廣 澄子

 エレミヤは悲しみの預言者、あるいは苦難の預言者と言われています。レンブラントが描いたエレミヤは、左手で頬を支え、洞窟の壁に寄りかかっているのですが、神の言葉を語るという、自分に課せられた預言活動の空しさを思っているのでしょうか、神の言葉に心を留めない傲慢な人間に対しての諦めのようなものが感じられます。システィーナ礼拝堂の天井画には、ミケランジェロが描いたエレミヤの姿があります。ここに描かれたエレミヤは、肩幅広くがっしりしているのですが、右手で顎を抑え、大きな重荷を負わされて何か考え込んでいるかのように見えます。とにかく、エレミヤが預言活動をしていた時代、人々は皆、彼の預言を馬鹿にして無視し、神の言葉をおろそかにしたために遂に国が滅んでしまったのです。

 エレミヤは今から2600年ほど前、つまり紀元前650年頃に、エルサレムの北東5キロメートルほどのところにある、ベニヤミンの地アナトトで生まれました。「1:1彼はベニヤミンの地のアナトトの祭司ヒルキヤの子であった。」エレミヤの父はヒルキヤと言い、ソロモンによってアナトトに追放された祭司アビアタルの家系に属していました(列王記上1-2章参照)。彼の家族はアナトトに住んでいて、父ヒルキヤはそこから徒歩で2時間ほどのエルサレムの神殿に出かけていって祭司の役目を果たしていたようです。

 ではそんな田舎に育った祭司の子エレミヤが、なぜ預言者として神に召され、都エルサレムで働かなければならなかったのでしょうか。たぶんそれは彼が都にあこがれたわけではなかったと思います。都に出て一旗揚げようという野心があったわけでもなかったでしょう。むしろ彼の性格から考えれば、田舎で静かに暮らしていたかったのではないでしょうか。エレミヤという人は、実際は極めて内面的な内気な性格の人で、預言者イザヤとは対照的に限りなく優しく純粋で、乙女のような心情の人であったそうです。

 神はいろいろな階層から預言者としての働き人を召し出されます。アモスは牧者であり農夫でした。ホセアについてはよくわかりませんが、イザヤはたぶん貴族であったと言われています。エレミヤやエゼキエルは祭司の子でした。彼らに一たび神の言葉が臨んだら、彼らは預言者として神の言葉を語らざるを得なかったのです。アモスは語っています。「主なる神が語られる。誰が預言せずにいられようか。」(アモス書3章8節)

 預言者とされた者は、自分についても自分の過去についても何も語りません。彼らがどういう生い立ちであったのか、どのような教育を受けてきたのか、知識人としての教養はあったのかなどは、神の言葉の前に何の意味もないからです。彼らはそういうことは語りませんし、語る必要もありません。神の言葉が彼らに臨んだ時、そこから預言者としての新しい生涯が始まるからです。彼らが召しを受け、神の言葉を託されて預言者として生き始める時が、彼らの新しい人生の誕生でした。ですから神の言葉に重点があるのです。それは神による新しい創造だとも言えると思います。神の創造と選びには深い関係があります。私たち人間が神によって創造されたということは、特別なものとして神に選ばれたということだからです。

 しかし、神の言葉を語るということは、神学の思想や、宗教的なイデオロギーを語るのではありません。その時代の中で、その時代に対する神の審き、あるいは救いの言葉として語っていくのです。預言者が語る神の言葉は、深い山の中や大きな木の陰で瞑想して出てくるものでもありませんし、研究室や書斎で勉強して出てくるものでもありません。神と共にある預言者がその時代に結びつけられたところから生まれ、神に与えられて語られる言葉です。そういう意味で預言者が語る言葉は、場所ではなくその時代と時に結びつくものです。ですから、人々に向かって神の言葉が語りかけられるということは、その時代に向かって神が語っているということでもあります。神を離れては預言者の働きはありませんし、その時代を離れても預言者の働きは用をなしません。私たちの信仰が日々の生活や仕事をしながら養われ成長していくように、時代から離れた預言者の言葉はありませんし、もしあったとしてもそれは無意味です。エレミヤに臨んだ神の言葉はどのように彼を動かし、彼の生きていた時代に関わっていったのでしょうか。そのことは、彼が生きていた時代だけでなく、今日の私たちに対してどういうことを教えているのでしょうか。

 エレミヤは、紀元前626年に主の言葉が彼に臨み、預言者となるべく神に召されました。「1:2 主の言葉が彼に臨んだのは、ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第十三年のことであり、1:3 更にユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの時代にも臨み、ユダの王、ヨシヤの子ゼデキヤの治世の第十一年の終わり、すなわち、その年の五月に、エルサレムの住民が捕囚となるまで続いた。」エレミヤはダビデ王朝最後の五人の王の時代に活動したのですが、ここにはエレミヤが関係したヨシヤとヨヤキムとゼデキヤの三人の王の名が記されています。(ヨシヤの次にエホアハズ、ヨヤキムとゼデキヤの間にヨヤキンの短い治世がありましたがここには書かれていません。)

 エレミヤがどこまでヨシヤ王の宗教改革に共鳴していたかどうかはわかりませんが、神の教えから外れ、律法の精神から遠く離れた人々の生活を見聞きし、単なる外面的な改革という試みだけでは十分ではないことは良くわかっていたと思います。なぜなら、エレミヤが預言者として活動を開始した時には、北王国イスラエルは既に滅亡していて、住民のほとんどはアッシリアに捕囚となっていました。そしてエレミヤの生きていた時代の後半、紀元前587年にエルサレムは陥落し、民はバビロンに捕らえ移され、ダビデ王からおよそ400年間続いたイスラエル王国は滅びてしまったのです。イスラエルの国が滅びに至るまでの40年間(紀元前626~587年)、この半世紀にわたる、この国の最も大きな危機の時代に、命がけで神の言葉を伝えた預言者、それがエレミヤです。彼は心の宗教を説き、国民の新生には深い倫理的な義の面がもたらされなければならないことを一生懸命に語り伝えたのです。

 「1:4 主の言葉がわたしに臨んだ。1:5 『わたしはあなたを母の胎内に造る前から あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に わたしはあなたを聖別し 諸国民の預言者として立てた。』」
「あなたを母の胎内に造る前から」この「造る」という言葉は、形造るという意味です。ちょうど陶工が粘土で陶器を形造る時のようです。神は最初の人間アダムを土の塵で形造ったと記されています(創世記2章7節)。それは言うまでもなく、人間は神の創造によるものだということです。そして神の創造というのは、突き詰めて言えば、神無くして人間はあり得ないということなのです。宗教というものはすべて、神と人間との関係を教えるものですが、聖書は、神がまずあって人間があることを教えています。

 次に神はエレミヤに向かって「あなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた」と語ります。「知る」というのは、別の言葉で言えば、「選ぶ」ということになります。預言者アモスはイスラエルの民に向かって「地上の全部族の中からわたしが選んだのはお前たちだけだ。」(アモス書3章2節)と言いました。このように旧約時代、イスラエルの民にあった根本思想は神の選びでした。しかし選びということは、イスラエルの民が神の選んだ民であったというだけではありません。私たちすべての人間一人ひとりは、神の選びによって存在していると考えることができるのです。

 しかしながら、預言者として神から召されたという選びは、当時二十歳前後の若者エレミヤにとっては思いもよらぬことだったでしょう。「1:6 わたしは言った。『ああ、わが主なる神よ わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。』」エレミヤの答えは神の前にある畏れであり謙虚さです。それに対して神は「1:7 しかし、主はわたしに言われた。『若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ 遣わそうとも、行って わたしが命じることをすべて語れ。 1:8 彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて 必ず救い出す』と主は言われた。」かつてモーセが召命を拒んだ時にも神はこのように語って、預言者を励ます約束をなさいました。
 しかしながら、この無限大の宇宙の中の、この大きな自然界に生きている人間は、いかに小さくはかない存在でしょうか。今世界は、戦争している国同士が互いに相手の国をやっつけようと爆弾を落としあっていますが、小さな人間の命はひとたまりもなく痛めつけられています。それはまるで粟粒のような小さな存在であり、愚かな戦争の悲惨さの中で、人間は塵から生まれ塵に帰っていく束の間の存在にすぎないことを思い知らされたりしています。ところが、神はそのような弱く愚かな人間を選んで、これに栄えと誉れを与え、神の足元に従わせたと歌っているのです。詩編8編5-6節です。「8:5 そのあなたが御心に留めてくださるとは人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう あなたが顧みてくださるとは。8:6 神に僅かに劣るものとして人を造り なお、栄光と威光を冠としていただかせ 8:7 御手によって造られたものをすべて治めるように その足もとに置かれました。」

 エレミヤの時代は中近東の諸文明の間に激しい闘争があった時代です。イスラエルの長い歴史において最も危ない時代であり 悲劇的な時代でした。イスラエルの民はこの闘争に巻き込まれていました。なぜなら、彼らがいた土地は肥沃な三日月地帯として知られ、その地域でも中心的な位置を占めていたからです。このパレスチナという地域は、北と南をつなぐ一つの橋のような場所であり、西の地中海と東のアラビア砂漠をつなぐ、商業上、軍事上のつなぎ目でした。エレミヤがいた時代、この地域にはさまざまな文化と強烈な国家的忠誠心をもった諸民族が居住していました。これらの小国家群は、南のエジプト、北のアッシリア、東のバビロンといった大帝国に挟まれていて、軍事的、政治的重心がまさにバビロンへ移行していきつつある時代だったのです。エレミヤの数十年にわたる波乱に満ちた預言活動は、こうした国家間の動きも左右する時代であったことを忘れてはなりません。

「わたしはあなたを聖別し 諸国民の預言者として立てた」と言われているように、エレミヤは小さなイスラエル国の預言者でしたが、その預言は周辺諸国に関わるものでした。口語訳聖書では「万国の預言者」とあります。万国の預言者とは、その語る言葉が万国興亡の運命に関係するという意味です。イスラエルの預言者は、自分の国のみならず、その近隣諸国や時の政治的勢力などのあり方についても痛烈な批判をしました。神は自分の民だけの審判者ではなく、諸国民もまた神の審きのもとに置かれていることを知っていたからです。このことは、預言者にとっては、イスラエルの神こそが世界の神、歴史に働く神であることを意味していました。自分たちイスラエルは、諸国民の中の一つの民にすぎないことをも自覚していたのです。このように預言者は、真にイスラエル的な視座に立ちつつも、なお諸国の支配を神に委ねる純粋な信仰を持っていました。

 エレミヤはそのような歴史的背景の中で神の声を聞いていました。「1:9 主は手を伸ばして、わたしの口に触れ 主はわたしに言われた。『見よ、わたしはあなたの口に わたしの言葉を授ける。』」
エレミヤ書のあちこちに「主の言葉がわたしに臨んだ。」「主はわたしにこう言われた。」「主からエレミヤに臨んだ言葉」「万軍の主はこう言われる。」等々と繰り返されています。エレミヤは、神がほんとうに私たち人間に語っているのだから、神の声に耳を傾けるようにと熱心に民に呼びかけました。それは神の言葉が決定的なものだからです。なぜなら、神は語ることを行うからです。神は出来事において語っているのです。「1:10抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは建て、植えるために。」

 エレミヤ書を学ぶことで、私たちには何が見えてくるでしょうか。何が聞こえてくるでしょうか。毎日見たり聞いたりしている最近の世界情勢は、物事の真相なのでしょうか。何を基準に考えればよいのでしょうか。エレミヤは預言者の中でも非常にものを深く見る人だったようです。それは彼が神と深く交わった預言者だからです。神との交わりによってその思想が深くされ、大きくされていったのです。預言者の言葉を学ぶことは、彼らを通して世界や社会を見る見方を学ぶだけではありません。むしろ自分自身の生き方を顧み、自分の心を探って、自分の生き方や歩みはこれで良いのだろうかと、自分自身を反省することかもしれません。