2025年8月3日(主日)
主日礼拝『 主の晩餐 』
エレミヤ書 1章11~19節
牧師 常廣 澄子
前回は、エルサレムの北東にあるアナトトという地で祭司ヒルキヤの子として生まれたエレミヤが、ある時、神から預言者としての召命を受け、以後40年間、神から託された言葉を語るために働いたことをお話ししました。しかしこのエレミヤ書は、エレミヤという偉大な預言者の伝記とか偉人伝のようなものではありません。確かにこの書には、エレミヤが神の言葉を語っていく中で同胞たちから疎まれ、命の危険にさらされ、その心に失意と大きな痛みを抱えながら生きて行ったことが書かれています。ですからエレミヤは「涙の預言者」「悲しみの預言者」とも言われていて、私たちは彼の生涯に引き付けられます。元東大総長の矢内原忠雄は、その著書「余の尊敬する人物」としてあげられている四人の中の一人にエレミヤをあげています。逆境の中でも恐れずに真実を語っていくエレミヤの強さと聖さに惹かれたのかもしれません。しかしエレミヤ書は彼のそういう生涯について書いてあるのでないのです。
10節に、エレミヤ書全体の基調ともいえる御言葉が書かれています。「1:10 見よ、今日、あなたに 諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し あるいは建て、植えるために。」ここには六つの動詞が並んでいますが、最初の四つ「抜き、壊し、滅ぼし、破壊し」は、ヘブライ語では接続詞でつながれて一気に語られています。そして一呼吸おいて、次の二つ「建て、植える」が続いています。この切れ目を境にして、前の四つで古き時代の崩壊と終わりを知らせ、後の二つでまだ知らない未知の世界、神が計画されている新しい時代を暗示しているのです。
歴史的には、前半の四つ「抜き、壊し、滅ぼし、破壊し」は、紀元前587年、エルサレムが崩壊し、主な国民が捕囚となっていったことを示唆していると考えられます。また、後半の二つ「建て、植える」は、ぺルシア王キュロスが台頭して、紀元前539年、捕囚となっていた民がバビロンから解放され、エルサレムに帰還して、エルサレム第二神殿が再建されて、新たに共同体が回復していった事を暗示しているものと考えられます。つまりその間の、紀元前587年から539年までの半世紀にわたるのがバビロン捕囚です。民が捕囚となっている期間は、自分たちの国はありません。自分たちの信じている神を礼拝し、拠り所としていた神殿は破壊され、すべてを失ってしまった崩壊の時代でした。
エレミヤが生きていた時代は、中近東の諸国に激しい戦いが頻発していた時代で、イスラエルの長い歴史においても最も危なくて悲劇的な時代でした。東の方に起こった大帝国バビロンがイスラエルを占領し、人々はバビロンに捕囚となってしまったのです。捕囚となったイスラエルの民は、捕囚先のバビロンでは確かに身の安全と経済的な生活の保障はなされていましたが、彼らは捕囚の現実を直視することができず、自分たちの栄華と思い出が詰まった過去に縋り付いていました。彼らの生きる勇気は萎えて、故郷を想っては嘆いていたのです。
そのことが歌われているのが詩編137編です。「137:1 バビロンの流れのほとりに座り シオンを思って、わたしたちは泣いた。137:2 竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。 137:3 わたしたちを捕囚にした民が 歌をうたえと言うから わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして 『歌って聞かせよ、シオンの歌を』と言うから。 137:4 どうして歌うことができようか 主のための歌を、異教の地で。」
そのように、イスラエルの民がかつてうまくいっていた時代の面影にしがみつき、昔の生き方を手放すことができないでいる状況の中で、エレミヤ書は書かれました。ですから、エレミヤは古い時代は決定的に終わったのだと悟らせ、これまでの生き方に決別を迫っているのです。そして神が与えられたもう一つの約束「建て、植える」という神の壮大な御業について語ったのです。まさに今から始まろうとしている神の働き、新しい世界の始まりへと民を整え導くためです。
しかしこれは簡単なことではありません。誰であっても、かつて味わった居心地の良いあたたかい陽だまりの良さは忘れられないものです。過ぎ去った過去ほど美しい思い出が残っているのです。ですから、私たち人間はそういう過去をなかなか手放すことができません。人々は平和がないのに「平和、平和」と言い(6章14節、8章11節)、偽預言者が古き良き時代への回帰を告げると、その言葉を信じて簡単に作り話にそれていってしまうのです。偽預言者が語ることは、異郷にいるイスラエルの民の心を揺さぶり、切ないほどに郷愁を掻き立てたからです(28章参照)。このように揺れ動く捕囚の民に対して、エレミヤは、新しい契約を「建て、植える」と語りかける神の約束を証して語っていったのです。
この個所(1章10節)は、神学的には、大変深い意味を持っています。神による大いなる破壊作業から新しい創造にあずかるという導きです。捕囚から解放に至るのは、大いなる審判を受けた民が救済されるということでもあります。さらに言葉を深めるなら、死から新しい命へ向かわせる御業だと言う事もできるかもしれません。
主イエスはご自身の死と復活を「壊し」「三日で建て直す」出来事として語られました。ヨハネによる福音書2章19-22節にはこのように書かれています。「2:19 イエスは答えて言われた。『この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。』 2:20 それでユダヤ人たちは、『この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか』と言った。 2:21 イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。 2:22 イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。」
私たちはこのイエスを救い主と信じ、復活して今天にあるイエスが、再びこの地上に来られるのを持ち望んでいます。最初のものが過ぎ去って、「新しい天と新しい地」「新しいエルサレム」が来るのを待ち望んでいる民なのです(ヨハネの黙示録21章参照)。何という祝福された民に加えられていることでしょう。
さてこのように、当時の破壊的ともいえる大いなる神の裁きの下で、エレミヤは神の言葉を語りましたが、それはエレミヤが神の言葉に捕らえられてこの世と格闘し、逆境にあってもなお語り続ける神の愛と熱情に生きていたからです。現代の人間関係はあまりにも冷え切っていますが、エレミヤ書にある神の語りかけは、この世の罪の現実を嘆きつつも、人間に対する愛にあふれる神の言葉に満ちています。いつの時代も神の言葉は生きて力があるのです。
11節から16節には、二つの幻が書かれています。まず11-12節「1:11 主の言葉がわたしに臨んだ。『エレミヤよ、何が見えるか。』わたしは答えた。『アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。』 1:12 主はわたしに言われた。『あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと見張っている(ショーケード)。』」ここは、冬枯れのようにささくれだった社会の只中で、真っ先に新しい季節の到来を告げるアーモンドの花に寄せて、語っている所です。そのヘブライ語の発音(シャーケード)の語呂に合わせて告げています。神は、熱い心で今まさに獲物に飛びかかろうとする者のように「見張っている」(ショーケード)のだと語ります。これは神の神聖な目的である、裁きであり、且つ救いということです。このテーマは何ものにも勝ってエレミヤ書の土台としてふさわしいものです。
現代社会は、まるで我が世の春を謳歌しているかのように、人を人とも思わずに殺して大金を手に入れる人がいたり、人間の欲と貪りの罪は大きく、不正や不義に捻じ曲げられた社会となっています。神の語る峻厳な剣のような言葉は、人々の心には届かず、あちこちに破滅の兆候が芽生えているにも関わらず、それを正そうという風潮もありません。しかし、神の目は節穴ではありません。私たち人間の有様を見張っている神がおられることを忘れてはなりません。
次の13-16節の幻には、北の方からどんどん傾けられている、煮えたぎる大鍋によって呼び覚まされた同じような託宣が書かれています。「1:13 主の言葉が再びわたしに臨んで言われた。『何が見えるか。』わたしは答えた。『煮えたぎる鍋が見えます。北からこちらへ傾いています。』1:14 主はわたしに言われた。北から災いが襲いかかる この地に住む者すべてに。1:15 北のすべての民とすべての国に わたしは今、呼びかける、と主は言われる。彼らはやって来て、エルサレムの門の前に 都をとりまく城壁と ユダのすべての町に向かって それぞれ王座を据える。1:16 わたしは、わが民の甚だしい悪に対して 裁きを告げる。彼らはわたしを捨て、他の神々に香をたき 手で造ったものの前にひれ伏した。」ここに書かれている幻は、北からのバビロンの手によって、神に不従順な民に裁きが加えられるということです。
以上、これら二つの幻によって、エレミヤ書全体の中心的なテーマが要約されて語られていることは大変注目すべきことです。
1章の最後は、再び預言者エレミヤを任命する場面にもどっています。「1:17 あなたは腰に帯を締め 立って、彼らに語れ わたしが命じることをすべて。彼らの前におののくな わたし自身があなたを 彼らの前でおののかせることがないように。 1:18 わたしは今日、あなたをこの国全土に向けて 堅固な町とし、鉄の柱、青銅の城壁として ユダの王やその高官たち その祭司や国の民に立ち向かわせる。1:19 彼らはあなたに戦いを挑むが 勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて、救い出すと 主は言われた。」エレミヤに対し、彼の職務に不動で忠実であるようにと勧め、今一度前途に横たわる不穏な年月の間、彼の身の安全を守ることが約束されています。神は御自身が選ばれた者を愛して助け、導き、いつも共にいてくださるのです。エレミヤに語られた約束は、今の私たちにも語られていることです。