ヨハネの黙示録22章8~21節 牧師 常廣 澄子 2022年から月に一度のペースで読んできたこのヨハネの黙示録は、本日で結びの部分となります。ここは黙示録の最後であり、新約聖書の最後にあたります。迫害を受けていた初代教会の人たちはこの書物を通して何を聞き取っていたのでしょうか。彼らは最も神の御言葉が届けられにくい時代、御言葉を聞き取りにくい困難な時代を生きていた方々です。そういう時代にあって、ヨハネが見た幻をもとに書かれたこの黙示録から、神の教えを学び、御心を聞いていたのです。
66 ヨハネの黙示録

66 ヨハネの黙示録
イエスよ、来てください

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命の水のほとりで
ヨハネの黙示録22章1~7節 牧師 常廣 澄子 先日はイースター(召天者を覚えて)礼拝に続き、その週の土曜日には教会の墓地で墓前礼拝が行われました。その時には歌いませんでしたが、天に帰られた方々を想って集まる時によく歌われる讃美歌に、新生讃美歌602番があります。1節の歌詞はこのようになっています。「まもなくかなたの 流れのそばで 楽しく会いましょう また友だちと 神さまのそばの きれいなきれいな川で みんなで集まる日の ああなつかしや」ここに出てくる「神さまのそばのきれいな川」というのが、今朝お読みした聖書個所の1節にある「水晶のように輝く命の水の川」のことです。

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聖なる神の都
ヨハネの黙示録21章9~27節 牧師 常廣 澄子 私たちは今、ヨハネの黙示録を読み進めていますが、この黙示録は決してわかりやすいものではありません。奇想天外な事が書かれていますからなかなか理解できません。漠然と読んだだけでは、何が書かれているのかわからないのです。いつも申し上げていますように、そもそもこの黙示録は普通の人が読んでもわからないように書いてあるからです。それはこの文書が初代教会時代にクリスチャンたちが迫害されていた時代に書かれたものだからです。イエス・キリストを信じていることがわからないようにいろいろカムフラージュして書かれているのです。けれども、私たちはここまで少しずつ、辛抱強く神の言葉を聞き取ろうと努力してきました。

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初めであり終わりである方
ヨハネの黙示録 21章1~8節 牧師 常廣 澄子 ヨハネの黙示録を読み進めています。このあたりは黙示録の最高地点ともいえるところです。難しいですがこの黙示録の御言葉には、おそらく聖書全体が言おうとしていることが書き込まれているのではないかと思います。ヨハネが見たり聞いたりしたことをしっかり受け留めていきましょう。

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命の書に名を記される者
ヨハネの黙示録 20章11~15節 牧師 常廣 澄子 ヨハネの黙示録を読み進めていますが、いよいよ最高地点に近づいています。ここまで読んできておわかりのように、著者ヨハネは、ある時天からの声がして「ここに上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう(4章1節)。」と言われてからずっと、神の霊に導かれて様々な場面を見てきました。

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悪の力の敗北
ヨハネの黙示録 20章1~10節 牧師 常廣 澄子 皆さま、新年、明けましておめでとうございます。私たちは先月、クリスマスを迎え、主イエスの御降誕をお祝いしました。本日はそのインマヌエルの主と共に新しい年を迎えて新年の礼拝に与っております。心から感謝いたします。しかし今なお世界の各地には、国と国、民族と民族の争いが止むことなく続き、毎日のように多くの尊い命が失われています。人々の悲しみ苦しみ嘆きの声が響いています。人々は平和な日常を生きたいのに、それを破壊する人間たちの罪深い有様があります。いったいいつになったら平和な世界が実現するのでしょうか。いったい人間はどうしてこのように憎み合ったり、殺し合ったりしているのでしょうか。それは、これまで黙示録を通して読んできたことによると、今のこの世界が、天から落とされた巨大な竜(年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者:12章9節参照)によって支配されているからだということでした。

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白馬の騎手キリスト
ヨハネの黙示録 19章11~21節 牧師 常廣 澄子 童話の中には、悪者に囚われてしまったお姫様を助け出すために、白馬にまたがった素敵な王子様が登場するお話があります。悪者をばっさばっさとやっつけてお姫様を救い出すハンサムな王子様に、子どもたちは声援を送り、心をときめかします。今日の聖書箇所には、そのような白馬の騎士が登場してきます。まず11節を読むと、天が開かれてヨハネは驚くべき光景を見させられるのです。

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婚宴に招かれる者
ヨハネの黙示録 19章1~10節 牧師 常廣 澄子 お読みいただいた箇所には「ハレルヤ」という賛美が響き渡っています。「ハレルヤ」という言葉は、教会に行ったことがない人でも、どこかで聞いたことがあると思います。よく知られているのは「ハレルヤコーラス」ではないでしょうか。クリスマスの時期によく演奏されるヘンデル作曲の「メサイヤ」で歌われる大合唱です。この曲が1743年にロンドンで演奏された時、ハレルヤの合唱になった時に当時の国王ジョージ2世が感動して起立されたので、その場にいた聴衆も皆立ち上がったそうです。それ以来、ハレルヤコーラスの時には聴衆が起立して聞くような習慣が起こったのだと言われています。

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大いなるバビロンは倒れた
ヨハネの黙示録 18章1~24節 牧師 常廣 澄子 このヨハネの黙示録には奇妙な獣たちが出て来ますし、想像することが難しいような幻想的な場面がいろいろ描かれています。それはこの黙示録が、キリスト信徒たちが自由にものを言えなかった時代に書かれたので、こういう表現をとらざるを得なかったのです。そういう厳しい時代に、神の霊に導かれたヨハネが書いたものですから、それを聞く者も読む者も、神の霊に導かれなければ、これらの事柄の意味をほんとうに理解することはできないのだと思います。17章9節に「ここに、知恵のある心が必要である」と書かれていますが、これは神を信じ、神を崇め、神を畏れる知恵のことです。神が示されたこの出来事はいったい何を語っているのだろう、何とか理解したいと、神の前に謙虚に出て行く者に、神の御心が明らかにされていくのではないでしょうか。

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キリストの勝利
ヨハネの黙示録 17章1~18節 牧師 常廣澄子 皆さまとご一緒に難解なヨハネの黙示録を読み進めていますが、今朝お読みした個所も、すぐには何が書いてあるのか解らないような箇所です。けれども、今まで読んできたことから考えると、少なくともここには終末的な場面が書かれているということが想像できます。 1節を見ますと、七つの鉢を持っている七人の天使の一人が来て、ヨハネに語り掛け、「ここへ来なさい。」と連れ出します。「(1節)さて七人の天使の一人が来て、わたしに語りかけた。『ここへ来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。(2節)地上の王たちは、この女とみだらなことをし、地上に住む人々は、この女のみだらな行いのぶどう酒に酔ってしまった。』(3節)そして、この天使は“霊”に満たされたわたしを荒れ野に連れて行った。わたしは、赤い獣にまたがっている一人の女を見た。」