神の国は近づいた

マルコによる福音書 1章14~20節 牧師 常廣澄子     今の世界情勢や人間社会の有様を見ますと、本日の説教題は間違いではないのかと思われるかもしれません。心が痛むような悲惨な出来事が多いこの頃です。神の国が近づくどころか、ますます遠ざかっているように感じられても仕方がないと思います。しかし、この御言葉でイエスは確かに「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」と語っておられるのです。

ペトロの説教

使徒言行録 3章11~26節 牧師 常廣澄子         前回はペトロとヨハネが午後3時の祈りに神殿に上って行った時のことをお話ししました。ペトロは、神殿の「美しい門」の所で施しを乞うていた、生まれながら足の不自由な男を見て、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。」と言って彼の右手をとって立ち上がらせたのです。癒された男は躍り上がって立って歩きだし、神を賛美しながら二人と一緒に神殿に入っていきました。そしてその後も弟子たちに付きまとっていました。

子どもを愛するイエス様

マルコによる福音書 10章13~16節 牧師 常廣澄子    本日は「子ども祝福」がありました。今は少子高齢化の時代で子どもの数が少なくなっています。教会に与えられている子どもたちは教会の宝です。先ほど子どもたち一人ひとりの成長を感謝し、皆で神の祝福をお祈りできたことは本当に感謝です。今、世界の状況は混沌としてわかりませんが、どうかこの子どもたちの未来を神が守り導いてくださいますようにと心から願っております

神の国の到来

ルカによる福音書 11章14~28節 牧師 永田邦夫     本日もご一緒に、引き続きルカによる福音書からのメッセージをお聞きして参りましょう。 本日箇所に入りますと、その冒頭14節aは 「イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする悪霊であった。」 と、主イエスが日常的に、悪霊追放による病気の癒しを行っておられたことを伺わせる記述です

天の戦い

ヨハネの黙示録 12章7~18節 牧師 常廣澄子        今までに繰り返し語ってきましたが、「ヨハネの黙示録」が書かれた時代は、キリスト者が迫害され、皇帝礼拝や偶像礼拝が強要されるような大変厳しい時代でした。その苦しさと生きづらさのゆえに、キリストへの信仰を持って生きるということを断念する者もあったようです。また周囲からキリスト信仰を捨てるように強いられたりもしました。そういう時代ですから、普通に読んでもわからないような表現を用いて書かれ、ただ聖霊によってわからせていただいたのです

一つの体に多くの部分

コリントの信徒への手紙 一 12章12~27節 牧師 常廣澄子 パウロは、コリント教会の中に分派や党派があり、互いに対立し争っていることを耳にして心を痛めていました。そのことをこの手紙の冒頭(1章10-11節)で触れていますので、パウロにとってはその問題が並々ならぬ関心事であったことがわかります。そしてその対立や分争というのは、単なる立場や意見の相違というような次元のことではなく、互いに譲れないほどその人の人格に関わるようなものであったようです。つまり個々人に与えられている賜物に関わるものでした。

正義と公義の神様

エレミヤ書 21章8~10節 林 大仁 神学生         涙の預言者、エレミヤは、ユダ王国のヨシヤ王13年の時に預言者としての働きを始め、ヨアハズ王、ヨヤキム王、ヨヤキン王、それから最後の王であるゼデキヤ王に至るまでの40余年を、神を離れ、偶像崇拝の罪を犯し続けるユダ民族へ下される神の正義を預言し、バビロンに降伏することを語り続けた。21章は、いよいよ差し迫ったバビロン王ネブカドネツァルのエルサレム侵攻を前にゼデキヤ王が主の御心を伺おうとエレミヤのところに送った祭司らを前に、エレミヤが改めて神の厳しい裁きを告げる場面である。

キリストの名によって歩け

使徒言行録 3章1~10節 牧師 常廣澄子           初代教会の信徒たちがどのような信仰生活をしていたかが、2章の後半に書かれていましたが、43節にあるように、使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていましたので、人々には「恐れ」が生じていました。また、毎日心を一つにして神殿に参り、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から「好意」も寄せられていました。今朝お読みしたところには、その初期の頃に起こった一つの出来事が詳しく語られています。

求める者への約束

ルカによる福音書 11章5~13節 牧師 永田邦夫      本日も皆さんとご一緒にルカによる福音書からのメッセージを聞いて参りましょう。 新共同訳聖書には、11章1節から13節まで、「祈るときには」の小見出しがついていますので、この箇所全体が、“祈りについての箇所”であることが分かります

大きなしるしが現れた

ヨハネの黙示録 12章1~6節 牧師 常廣澄子        聖書の中でも、ヨハネの黙示録は読んでいて、大変わかりにくくて理解しにくいところがたくさんある文書です。それは当時、キリスト教会が始まったばかりの頃はいろいろな迫害がありましたので、普通に書いたのではすぐにわかってしまいますから、わざと読んでもわからないように書かれているからです。けれども、著者ヨハネが神の霊に導かれて、天に引き上げられて見たその映像は、まるでコンピューターグラフィックで描かれたように精密な情景だったようで、それを伝えているヨハネの文章はまるで現実にそこにいるかのように生々しいものがあります。