ルカによる福音書

罪の赦し 病の癒し

ルカによる福音書からの説教が続いておりまして、本日の説教は、標題の通りですが、直前までの流れの大筋を確認しますと、ガリラヤ伝道たけなわの中で、主イエスはカファルナウムにおられたとき、さらに巡回宣教の拡大の抱負を語られました(4章43節)。そして、漁師のシモン・ペトロ、ゼベダイの子ヤコブ、ヨハネたちを弟子として招かれ(5章1節~11節)、さらに本日箇所の直前では、“重い皮膚病の人の癒し”(5章12節~16節)をされ、そして、本日箇所へと進んできました。

重い皮膚病の人の癒し

本日は、ルカによる福音書から標記の通り「重い皮膚病の人の癒し」と題しての説教です。主イエスは、カファルナウムにいたとき、「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」(本書4章43節)と、巡回宣教の抱負を語られました。さらに弟子選びと並行して、癒しの業を進めてこられました。その癒しの業も、より重い病気へ、より社会的意味合いの大きい病気へと進み、そして律法の決まりとも絡んで、やがてそこにファリサイ派の人々や律法学者が登場してきます。なお、イエスさまによる癒しのわざは、その癒しの業だけ単独にあるのではなく、あくまでも御国の福音伝道の一環としてなされてきたのです。

シモンのしゅうとめの癒し

その出来事とは、先ずカファルナウムでの安息日の礼拝説教中に、イエスに向かって大声で叫ぶ、悪霊に取りつかれた男性の悪霊を追放された出来事に始まり、礼拝が終わって直ぐに、シモン・ペトロの家に場所を移し、高い熱に苦しんでいるシモンのしゅうとめの、高熱を追放された出来事があります。そしてさらに、日が暮れ、すなわち安息日が終わってから、そこに連れて来られた多くの病気の人をイエスさまが癒されました。そして日が明けた翌朝、イエスさまは、独り静かな場所に行って、それから先にわたる御国の福音伝道の抱負について、人々に語る場面へと続いております。以上が本日のメッセージの内容です。

教えと悪霊払い

ルカによる福音書からの福音のメッセージを、続けてご一緒に聞いております。現在は、イエスさまのガリラヤ伝道の初期に起こった出来事が中心となっておりまして、本日は、カファルナウムでの伝道からのメッセージです。  本日箇所冒頭、31節、32節には「イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。」とあります。この二節にわたる紹介の言葉は、イエスさまのカファルナウムに下ってからの伝道がすでに始まっていて、順調なスタートを見せている、そのような印象を受けます。  といいますのも、実はその前の場所、ご自分がお育ちになったナザレでの伝道は、実に辛い結果となってしまい、そのナザレを後にしての、カファルナウム行きだったのです。そこでの伝道が順調なスタートが切れたことは、ここを読むわたしたちにも、喜びと安堵感を届けてくれます。

不正な管理人

この個所はイエスのたとえ話の一つですが、これは誰が聞いても何か不道徳でずる賢い男の話のように思います。イエスはどうしてこのようなたとえ話をなさったのでしょうか。ご一緒に聞いていきたいと思います。まず「(1節)ある金持ちに一人の管理人がいた。」当時、エルサレムに住む金持ちの多くは、地方に農園を持っていて、自分の土地を小作人に貸し付けていました。そして僕たちの中から管理人を派遣してその管理と経営を委ねていました。つまり彼に全財産を任せていたわけです。ところがこの管理人は任されているのは主人の財産であるのを知りながら、それをまるで自分の物であるかのように自分勝手にやりたい放題に使っていたのではないでしょうか。たぶんそれが目に余ったので、部下の誰かが主人に言いつけてしまったようです。「この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。」と書かれているとおりです。

神殿で献げられたイエス

旧約時代を本当に信仰深く生きてきた人と、旧約時代から多くの預言者を通して預言されてきた、救い主メシアなるイエスさまとの出会いの出来事は、今現在のわたしたちの世界で起こっている、“古い年、苦難に満ちた年から、希望に満ちた新しい年への幕開け”、と理解することもできます。では初めから、皆さんと一緒にその出来事を辿っていきましょう。

主イエスさまの誕生予告

ルカ福音書は文字通り、ルカが書いてローマの高官テオフィロに献呈したものですが、1章4節に「お受けになった教えが確実なものであることを、よく分っていただきたいのであります。」とあり、この短い節の中に、“キリストの教えが確かで安全なもの、そして、世界の人々が信じるに値するものである”、とのルカの信仰と篤い思いが込められているのです。そしてさらに、当時すでにローマの高官にまで、キリスト教が伝わっていたことも知ることができます。

戻って来た一人

アドベントのろうそくが二本灯り、私たちは今、救い主イエス様の御降誕を祝うクリスマスを待ち望みながら一日一日を過ごしています。ただ、今年は新型コロナウイルス感染拡大という思いもしない出来事が全世界を襲っていて、一年を越そうとする今なお、先が見通せない状況にあります。そういう中で、今私たちは師走という一年最後の月を過ごしています。今年の流行語は「三密」に決まりましたが、今年は新型コロナウイルス感染防止のため、それぞれの生活が制約され、特別な一年であったと思います。でもそのように厳しい日々でしたが、私たちは護られて今ここにいます。そのことを心から感謝したいと思います。今朝は感謝するためにイエスのところに戻って来た一人のサマリヤ人のお話を通して、御言葉から聞いていきたいと思います。

実のならない木

ルカによる福音書 13章1〜9節 近年、地球規模で気象が大きく変化していて、自然災害が多くなりました。地震や津波や大雨の被害等で多くの方が大変な被害を受け、苦しんでおられます。今は新型コロナウイルスという疫病

無くした銀貨

ルカによる福音書15章には三つのたとえ話が書かれています。「見失った羊のたとえ」「無くした銀貨のたとえ」「放蕩息子のたとえ」です。今朝お読みいただいたのは、真ん中にあるたとえ話で、最も短いものです。この箇所はその前の「見失った羊のたとえ」の陰に隠れて、さっと読み過ごしている個所かもしれません。実はこれら二つの話は一対になっていて、同じ趣旨のことを語っていると考えられています。つまり同じ主題について事柄を変えて二回語ることによって内容が一層協調されるからです。