ナインの若者の蘇生

ルカによる福音書 7章11~17節

 今年度も、聖書から主のみ言葉をしっかりと聞きながら、それを皆さまと分かち合っていきたいと願っております。ところで、今世界に目を向けますと、この時もロシアによるウクライナ侵攻が続いており、その解決の糸口さえ見いだせない状況です。一刻も早くそれが終わりになるように、これが多くの人々の共通の願いです。ここでの最大の問題点は、“人の命の軽視”です。神は御自分にかたどって人をお造りになった、その被造者である人間同士が、自分の主義主張を中心にして、他者の命を軽視し、その命を奪ってよい筈はありません。このことをよく理解してほしいと願うばかりです。

 本日の説教は、夫に先立たれ寡婦となったナインに住む女性が、追討ちをかけられるように、いま一人息子が死に、悲しみと孤独のどん底に突き落とされている葬送の途中、主イエスさまがこれに出会われ、その息子を蘇生させる、という出来ごとがメッセージの中心です。
 ルカによる福音書7章11節「それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。」と、いつものパターンで始まります。イエスさまはカファルナウムでの伝道に続き、ナイン(ナザレの南東約9キロにあり、現在のネインと同定されている)という町に来ました。

 12節「イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。」とあります。当時イスラエルの町はそれぞれ、周りが城壁で囲われていました。そしてその町の人々の墓は城門の外に設けられていたのです。そして死者が出た場合には、死者をその日のうちに、墓に運ぶのが普通だったそうです。なお、現在もその墓穴は多く発掘されています。またいまこの箇所で、「棺(かん)が担ぎ出されるところ」と記されている“棺”は、日本のごとく、丈夫な板で作られた箱型の棺とは違い、担架のような籠であった、とも言われています。

 13節「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。」とあります。この節には多くのことが盛り込まれています。先ず初め、イエスさまのことをこの箇所では、「主は」と呼んでいることです。その時のイエスさまのお言葉と業(わざ)には権威とお力があり、そのまま“主なる神”のお言葉や業と理解されての表現です。次は、主イエスさまの御心と、その思い、についてです。葬送の先頭に立って、悲しみの極みに達し、号泣していたであろう母親を“憐れに思い”、この言葉の原語(ギリシア語)は“スプランクニゾマイ”すなわち、“腸(はらわた)がちぎれるほどの思い”です。その思いが、母親に掛けられた言葉、「もう泣かなくてもよい」となったのです。

 14節、「そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止った、イエスは、『若者よ、あなたに言う。起きなさい』と言われた。」とあります。イエスさまが棺に手をかけられたとき、一瞬、そこには静寂が走ったことでしょう。そして、人々は立ち止りました。続いて若者に向かって掛けられたお言葉、それはあたかも眠っている人を起こすときのお言葉のように「起きなさい」でした。

 15節「すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。」とあります。因みにこの節を、岩波版聖書は「すると、死者(死んでいたはずの者)は上半身を起こし、語りだした。そしてイエスは彼をその母に渡した。」としております。
今ここでわたしたちが、この世にあっての“生と死”、そして、主イエスさまの十字架の死と復活を通して、わたしたちにお与えくださる、“永遠の生命”のことに思いを巡らしてみたいのですが、それは後程といたします。

 聖書に戻りまして、14節、15節に関連し、新約聖書から、もう少し広く見て参りましょう。主イエスさまの呼びかけに応えて、死者が生き返り、元の生活へと戻された出来事は、新約聖書に、本日箇所を含め全部で三か所あります。本日箇所に次ぐ二番目の出来事は、“ヤイロの娘の蘇生”(マルコによる福音書5章21節~43節)、三番目は“ラザロを生き返らせた出来事”(ヨハネによる福音書11章1節~44節)です。そして、ヤイロの娘に対して、イエスさまは、「その手を取り『タリタ・クム、起きなさい』と言われると、娘は起き上がり、歩き出した。」(マルコによる福音書5章41~42節)とあります。次はラザロに対しての出来事、ラザロが死んで墓に葬られ、すでに四日も経ってからのこと、イエスさまが墓で、「ラザロ、出てきなさい。」と大声で叫ばれると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た出来事です(ヨハネによる福音書11章43~44節)。

 聖書の本日箇所に戻り、16節です「人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、『大預言者が我々の間に現われた』と言い、また、『神はその民を心にかけてくださった』と言った。」とあります。これはいずれも旧約聖書の出来事に基づいた言葉です。前半の“大預言者云々”について辿って見てみましょう。それは、北イスラエルの預言者エリヤについての出来事からの引用です。
旧約聖書、列王記上17章17節~24節から、預言者エリヤ(彼はヨルダン川の東岸に住み,毛衣を着て、腰に革帯を締めていた、と伝えられていることから、バプテスマのヨハネに似ています)は、主のご命令により、シドンのサレプタ(地中海沿いの場所)に行って、住んでいたときのこと、その家の女主人(彼女はやもめであった)の息子が重い病気を患い、遂に息を引き取った。エリヤはその母親から、「あなたは、わたしに罪を思い出させ、息子を死なせるためにここに来たのですか。」と、ひどい愚痴を聞かされたのです。このときエリヤは、その息子を母親から受け取り、その息子に自分の体を重ねつつ、「主よ、わが神よ、この子の命を元に返してください。」と、神に向かって三度祈った、とあります。その結果、遂に息子を生き返らせることができ、息子を母親に返してやったのです。そのとき母親は、先ほどの愚痴を他所(よそ)にして「今わたしは分かりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です。」と告白しておりました。

 本日箇所16節に戻りまして、生き返らせられた息子を前にして、人々が言った「大預言者が我々の間に現われた」の言葉が、預言者エリヤを想定しているのと比べて、ルカによる福音書の本日箇所では、預言者ではなく、御子イエスさまご自身が主役であることに大きな違いがあります。

 ではここで、今まで後送りにしてきました、この世にあっての、わたしたちの“生と死”そしてやがて主がわたしたちにお与えくださると約束をいただいている“永遠の命”のことを考えて見たいと思いますが、その前に、新約聖書に出てきました三つ目の“死者の蘇生”の出来事である、ラザロの蘇生について(ヨハネによる福音書11章より)見てからにしましょう。
•ラザロは姉たちマリア、マルタと共にべタニアに住んでいた(因みにべタニアはエルサレムの東方、約3キロにあり、イエスさまは伝道の拠点として時々ここを訪れていたのです)。
•ラザロが重い病気になり、姉妹はイエスさまの許に人を遣ってこのことをお伝えした。
•これを聞いたイエスさまは「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がこれによって栄光を受けるためである。」と言いながら、なおも今までいた場所に二日間滞在していました。
•その後イエスさまは、「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」と言われたのですが、弟子たちはその意味をよく理解できませんでした。
•イエスさまがべタニアに行かれたとき、ラザロはすでに死んで墓に葬られ、四日も経っていた。そのときマルタはイエスさまに「主よ、ここにいてくださったら、弟は死ななかったのに。」と、愚痴をこぼしたのです。
•そこで、主イエスさまは言われた「あなたの兄弟は復活する」と。そしてさらに「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれでも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」と続けて言われました。

 7.主イエスは墓に行かれてから、人々に墓石を取り除けさせ、天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。」こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい。」と大声で叫ばれた。すると死んでいた人が手足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に向かって「ほどいてやって、行かせなさい。」と言われました。以上が、ラザロの死からよみがえりまでの経過です。

 ラザロの死からのよみがえりは、主なる神、そして御子イエスさまの栄光が、ここに現わされた、いわば、後々に主イエスさまの十字架の死と復活によって、これを信じる人々に与えられる、永遠の命の先取り的な出来事であった、と解釈することが出来ます。これがラザロのよみがえりの最大のポイントです。

 この度わたしたちは、ルカによる福音書7章から、「ナインの若者の蘇生」ほか、「ヤイロの娘の蘇生」、「ラザロのよみがえり」など、死者の蘇生のできごとを示されました。これらは何れも、主なる神、そして御子キリストの栄光が現わされるためのもの、と言う、決して滅びることがない、大きな恵みの中で、わたしたちを捉えていてくださることを示されて感謝いたします。これからもわたしたちは、その大きな恵みの中で、与えられている命を大切にしながら、その恵みに応えつつ、生きていけますようにと願っております。

(牧師 永田邦夫)