十二使徒の派遣

2022年10月9日 主日礼拝

ルカによる福音書 9章1~9節
牧師 永田邦夫

 本日も、ルカによる福音書からのメッセージをご一緒に聞いて参りましょう。司会者からお読みいただいた箇所から、「十二使徒の派遣」と題しての説教です。なお、本日のメッセージを皆さまにより深くご理解いただくために、本日の説教箇所にいたるまでの、主イエスさまの足取りと、十二使徒への係りについて、先に確認したうえで、本日箇所に入って参ります。

 主イエスさまはガリラヤでの伝道を始めるにあたり、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコによる福音書1章15節)と、“御国の到来”を告げ、そして伝道を進める中で、祈るために山に行き、夜を徹しての祈りの後、やがて使徒として独り立ちさせる十二人を、弟子の中から選びました。その後さらに、イエスさまは伝道を続けながら、十二人を傍に置きつつ、使徒としての訓練を続けてきました。そしていよいよ本日箇所は、その十二人を使徒として独り立ちさせ派遣する、いわば“任命式”のときです。

 普通、「○○の任命・派遣式」と言いますと、心が躍(おど)り、高らかにラッパが鳴り響いてその開始を告げる、そんなときを想像しますが、いまこの、「十二使徒の任命・派遣式」は全く違います。どのように違うかと言いますと、先ず、主イエスさまご自身にとって“非常に緊迫した時を迎えている”、ということです。もう一つは、時の支配者(領主ヘロデ)も、イエスさまの様子を察知して、イエスとはどんな人か、それを知ろうとしていた、と言うことです。では先に、その両者の様子を、具体的に見ておきましょう。

 先ず、主イエスさまご自身のことです。“ご自身のこと”と言いましても、個人的なことではなく、“イエスさまを中心とした御国の福音伝道の歩み”が、その時すでに、緊迫した状態となっていた、と言うことです。

 主イエスさまの、この世での福音伝道の期間は、僅かに三年間でしたが、ご自身でそのことを察知しておられたと信じます。それは、本書のルカによる福音書、本日箇所に続く9章で、第一回目のご自身の死と復活の予告(9章21-27節)があり、同じく9章では“変貌の祈り”(9章28-36節)そして、“エルサレム行きの予告”(9章51-56節)等々があります。もちろん、このエルサレム行きの最後には、十字架と復活の出来事が待っていることを、主イエスさまも察知しておられたのです。また遡って、ガリラヤ伝道の初期の頃、主イエスさまが、安息日に会堂で教えていたときのこと、律法学者やファリサイ派の人々が、「怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った。」(6章11節)と言う一コマがすでにありました。

 次いで、時の支配者ヘロデのことを見ていきます。このルカによる福音書には、本日の説教箇所の中で、十二人の使徒派遣に続いて、「ヘロデの戸惑い」の記事がり、また、共観福音書の並行記事では、十二使徒の派遣の直後に、“迫害予告の記事”、「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」の記事(マタイによる福音書10章16節)もあります。

 では早速、本日箇所9章に入っていきます。1節、2節「イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、」と入っていきます。当時の主イエスさまの福音伝道においては、悪霊追放と、病気のいやしは中心的位置を占めていました。悪霊追放では、カファルナウムの会堂でのこと(4章31-37節)、ゲラサ人の地でのこと(8章26-39節)や、9章37節以降など数々あります。また、病気のいやし、についても数えきれないほど沢山あります。

 なお、主イエスさまが行ってきた、悪霊追放や病気のいやしにおける、その力や権能は、イエスさまご自身が、御父なる神から授かったものです。それが、福音伝道の最初の言葉「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」となっています。そして主イエスさまがいま、十二使徒の派遣に際して、この「力」と「権能」を、弟子たちに授けようとしておられます。そして、2節の言葉は、3節以降への繋ぎの言葉となっています。

 3節「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。」とあります。なお、ここに記された品々は、旅だけでなく人間が生きていくうえで絶対に必要な、食品や衣類、またお金です。しかし主イエスさまは、これから出かける弟子たちの福音伝道の旅には、これらを何も持たずに、着の身着のままで出掛けなさい、と言っています。主イエスさまは、この後、エルサレム途上でも弟子たちに言われました、「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。」(ルカによる福音書12章22-23節)とです。

 この十二人の使徒たちは、主イエスさまから、その福音伝道の力と権能を授けられ、主イエスさまの名代として、また全権大使として、派遣されていくのです。ですから、その旅において必要なものは、その都度、主なる神が直接に与えてくださる、との解釈に基づいております。
神にお仕えする身の使徒たちにとって、その時々に必要なものは、神ご自身が備え、与えてくださるのだ、それを受けて、伝道しなさい、と言う指示です。

 次の4節には「どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。」とあります。要するにどこかの家に入ってから、さらに、良い待遇を求めて点々と居場所を変えることなく、その家を拠点として伝道を続けなさい、と言うことです。このことは、前の3節の考え方を根拠としていることを、皆さまにも、すぐお分かりいただけると思います。

 以上のことは、使徒ペテロやパウロに受け継がれています。例えば、ペトロがヤッファでの伝道の頃、皮なめし職人のシモンの家に滞在して伝道していた記録が、使徒言行録9章の42節にあります。現在も、ヤッファにその家と称されるものが残されており、観光の一つとなっていました。また使徒パウロがコリントでの伝道の時、アキラとその妻プリスキラの家で伝道を行ったのもその例です(使徒言行録18章1-4節)。

 では、行き先で歓迎されなかったときはどうなのか、そのことが次の5節に「だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足に着いた埃を払い落としなさい。」とあります。本日箇所でイエスさまは、使徒としての弟子派遣に際し、二つの諭(さとし)の言葉を告げてきまして、その内容については理解できましたが、この三番目の諭は、今までとガラッと変わり、かなり手厳しい内容となっています。それは、伝道先で、誰もあなたがたを受け入れないなら、その町を去るときには、彼らに対するあなたがたの意思表示として、足に着いた埃を払い落として、その町を去りなさい、との諭です。

 その根拠は次のことから来ています。すなわち、あなたがたは、わたし(主イエスさまのこと)が遣わす使徒であり、御国の到来を告げる、いわば、全権大使の役割を担っている人です。ですから、あなたがたを受け入れない、と言うことは、わたし(主イエス)を拒むことにもなり、さらには、御国の到来をも拒むことになる、と主イエスさまが言われているのです。

 以上、三つの諭の言葉は、主イエスさまが弟子たちに対して、その結果のことを心配しないで、どうか力強く、そして、思いっきり御国の福音を伝えて来なさい、との力づけと、励ましです。
以上を受けて出かけて行った、十二使徒の活躍の様子が、次の6節に「十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。」とあります。本当に素晴らしい働きです。この言葉は、今日のわたしたちへの励ましの言葉であり、またここから、喜びをいただくことが出来ます。

 次の段落、7節~9節について、ここには(新共同訳の)小見出しのとおり、“ヘロデの戸惑い”の様子が記されています。7節aには「ところで、領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。」と、簡潔に記されています。このヘロデとは、ガリラヤの領主ヘロデアンテイパスのことです。そしてヘロデはどうして戸惑ったのか、前の段落で、主イエスが弟子たちを送り出し、送り出されて出て行った弟子たちが、至るところで活躍している、ということを聞いたからです。

 しかし、そのヘロデ自身は、イエスという人がどんな人かは分かっていません、ただ、人々の噂(うわさ)として聞いているだけです。では、その噂とはどんなものであったのか、それが7節bから8節に記されており「というのは、イエスについて、『ヨハネが死者の中から生き返ったのだ』と言う人もいれば、『エリヤが現れたのだ』と言う人もいて、更に、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいたからである。」とあります。

 ではその噂の様子を順に見ていきましょう。まず、ヨハネ(バプテスマのヨハネである)について、そのヨハネは、ヘロデ自身が、実の兄弟の妻ヘロデヤを横取りしたために、ヨハネから咎められ、そのヨハネを遂に亡き者にしてしまったという、悲惨な経緯がヨハネとの間にあったのです。そのためヘロデはこれに苛(さい)まれることもあったでしょう。次はエリヤについて、このエリヤは旧約聖書時代の名高い預言者で、最期は、生きたまま戦車に乗って天に挙げられた(列王記下2章)と言われております。

 以上、全体のまとめに入ります。主イエスさまは先に選んでいた、十二人を使徒として世に送り出し、またその使徒たちが出て行って行き先々で、力強く福音を告げ知らせた様子を本日示されました。この「十二使徒の派遣」は今日のわたくしたちに対する、伝道者としての派遣でもあります。どうかこのことを受け、わたしたちも励まされ、力をいただきながら出て行って、これからも福音を人々に告げ知らせることが出来ますようにと願っております。

(牧師 永田邦夫)