キリストの名によって歩け

2023年10月15日(主日)
主日礼拝

使徒言行録 3章1~10節
牧師 常廣澄子

 初代教会の信徒たちがどのような信仰生活をしていたかが、2章の後半に書かれていましたが、43節にあるように、使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていましたので、人々には「恐れ」が生じていました。また、毎日心を一つにして神殿に参り、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から「好意」も寄せられていました。今朝お読みしたところには、その初期の頃に起こった一つの出来事が詳しく語られています。

 信徒たちは毎日ひたすら心を一つにして祈っていました。その上にキリスト教会が始まってもなお、神殿での祈りの生活を捨ててはいなかったことがわかります。「(1節)ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。」このヨハネは、主イエスが捕らえられて裁判を受けられた時、大祭司の家の中庭まで入っていった勇敢な人です。また、イエスが十字架に架けられた時には、十字架の下にいて、イエスの母マリアを託されたほどにイエスに愛された忠実な弟子でした。ペトロは皆さまもご存じのように大祭司の家の中庭で三度も主を否認してしまいました。しかしイエスが復活された朝には、真っ先に墓に駆け付けましたし、復活のイエスに会ってからは立派に立ち直って教会の指導者の地位に立っていました。この二人は助け合って熱心に教会のために働いていたのです。

 ペトロとヨハネが神殿に上って行った時刻は、午後三時頃でした。(ユダヤでは日の出から日没までを12等分して何時という数え方をしていて、日の出から数えて第九時のことです。)この時間には神殿では夕べの祈りと共にいけにえが捧げられていました。二人が神殿に上って行きつつあるその目の前で、何人かの人によって生まれながら足の不自由な男が運ばれてきたのです。「(2節)すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。」二人が上って行ったこのエルサレム神殿は、大変大きくて立派な神殿でした。四方をぐるっと囲む「異邦人の庭」を通って回廊の階段を上がると、壁で囲まれたところがあります。その壁には北と南にそれぞれ四つずつ、正面の東側には二つの門があって、次の「婦人の庭」や「イスラエル人の庭」「祭司の庭」に通じていました。他の門は皆大きさが同じでしたが、正面東側にあったこの門は青銅でコリント様式に作られ、とりわけ大きくて立派だった上に(高さ50キュビト、幅40キュビト)、分厚い金銀で覆われて精緻を極めた造りでしたので「美しい門」と呼ばれていたのです。

 神殿に来る参詣人の大半はこの門をくぐりました。足の不自由な男は、敬虔な参拝人が集まって来る祈りの時刻を見計らって、最も人通りの多い場所で施しを乞うていたわけです。人々は足の不自由な男が施しを乞うためにこの場所に運ばれて来るのを毎回見ていたのです。不自由な身体にぼろをまとったそのみすぼらしい惨めな姿は、神殿に参る人達の高価な服装や華々しい雰囲気とは対照的だったと思います。しかもそれは毎日の出来事でした。ですからこの奇跡は、大勢の人々が見て知っていた人に起きた紛れもない事実でした。4章22節にはこの男が40歳を過ぎていたことが記されています。

 この男は、ペトロとヨハネが神殿の境内に入ろうとするのを見て施しを乞いました。そこには大勢の通行人がいます。男を運んできた人たちもまだ遠くに去ってはいません。ペトロとヨハネはお金を持っていませんでした。彼らが所有していたお金はきっと共同生活の資金として使われていたのでしょう。しかし二人は男のためにもっと大切なことをしたいと思ったのです。復活の主から与えられた大きな愛の力が湧いてきました。「(6-7節)ペトロは言った。『わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。』そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。」ペトロは男の手を取って立ち上がらせたのです。それを目撃していた人々は非常に驚きました。10節では「我を忘れるほど驚いた」と書かれています。
医者である著者ルカはこの場面を詳しく記録しています。「(7-8節)すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。」その第一段階は「その男の足やくるぶしがしっかりして」第二段階は「躍り上がって立ち」第三段階「歩き出した」のです。「足やくるぶし」が出てくるのは聖書では他に例がありません。生まれてから40年間一度も歩いたことがない人が、普通の人と何も変わらないように歩いているどころか、歩き回ったり、踊ったりしたのです。大変な奇跡です。私達は病気をして一か月も寝ていると、起きた時には足がすくみ、ふらついて歩けないことがあります。それを思うと、ここには疑うことができない奇跡的癒しがあったことがわかります。

 この事件は、身体的、医学的奇跡と言うだけではすまされない出来事でした。この男は、ただ歩けるようになっただけではありません。「神を賛美して、二人と一緒に境内に入っていった」のです。そしてそれ以後もこの男はペトロとヨハネに付きまとっているのです。つまりイエスを信じる集団の仲間入りをしたということです。この後4章ではペトロ達が逮捕されてしまうのですが、取り調べで「この人が何によっていやされたのか」ということについて「あなたがたが十字架につけて殺したイエス・キリストの名によるのです。」と答えています。ここではもう医学的ないやしと信仰的な救いとの区別がつきません。いやしは救いのしるしになっているのです。この事件は、男がイエスの名によって神を賛美するキリスト信徒達の仲間入りをしたこと、すなわち霊魂の救いを得たことのしるしなのです。

「(4節)ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、『わたしたちを見なさい』と言った。」ペトロとヨハネが自分たちを見つめさせたのは、自分たちの偉さを示すためではありません。また男の方もペトロやヨハネについて何か興味を持ったわけでもありません。男はただ二人から何かもらえるだろうと期待していたのです。しかしペトロ達は自分たちが今何によって生きているか、生かされているかを知らせたかったのです。ですから、ペトロはこの男に「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。」と言って、ナザレ人イエスの御名によって立ち上がり、歩くことを命じたのです。この奇跡の出来事で最も大切なのは、何かをいただけるのかと目を注いだ男に対してペトロが語ったこの言葉です。「(6節)わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」では、この男はどうして「イエス・キリストの名によって立ち上がって歩く」ことができたのでしょうか。ペトロは後でこのように語っています。「(12節)イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか。」これは、このいやしの出来事は、自分たちの信仰が強いからできたことではないと言っているのです。そうではなくて、「(16節)あなたがたが見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それはその名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです。」と語っています。

 この男をいやしたのはイエスを信じる信仰の強さや深さではない、ただイエスの御名がこの人を強くしたのだということは、この後の4章10節にも書かれています。「あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。」イエスの御名はただの記号ではありません。人を強くし救う事ができる力です。イエスの御名は、今天に座しておられる主イエスそのもののように、実力を持って今も生きていると言えるのです。

 このように神の名が力あるものであるという表現は、旧約聖書の記事に見られます。ソロモンは、神殿の献堂式で祈って言いました。「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。そして、夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが、『わたしの名をとどめる』と仰せになった所です。この所に向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください。」(列王記上8章27-29節)

 神を神殿に迎え入れて住んでいただくことができないのに、この神殿で祈る祈りを聞き届けていただきたいという矛盾した願いは、どうしたらかなえられるのでしょうか。その矛盾を解くのが、モーセの時代から与えられてきた約束です。すなわち、神が神の名をそこに置いてくださる(住まわせる)という約束です。つまり、尊い神の御名は、天も地も迎え入れることができない神の代わりに、この神殿に住んで祈りを聞いてくださるのだというのです。もともと名というものは、そのものの正体を紹介し啓示するものです。神殿に住んでくださるこの神の御名は、遂にクリスマスの夜、イエスとなって人の世に降られ、神を啓示してくださいました。その神であるイエスが昇天された今、「もう一人の助け主」聖霊がペンテコステの日に教会に住みこまれました。いま教会は聖霊の宮となっています。かつてのソロモンの神殿に神の御名が住んでくださったように、新しい神の神殿イエス・キリストの教会には、今イエス・キリストの御名が住んでおられ、私たちを救ってくださるのです。ですから、この男をいやした力、私たちを救う力は聖霊なのです。それをイエス・キリストの御名と言っているのです。かつてイエスは中風の人をいやされ、目の見えない人を見えるようにし、重い皮膚病の人をいやされました。その同じイエスが、今この世で教会を通して働いておられるということ、それこそがこの出来事が教える霊的真理なのです。

 イエスが今この世の教会に「ナザレのイエスの名」において住んでおられることは、教会の在り方に大きく関係してきます。その最もわかりやすい証拠が、この日ペトロ達が足の不自由な男に示した憐れみの心です。このような障がいを抱えている人や貧しい人や病気の人に対する憐れみと愛の心は、これまでの弟子たちを知る者にとっては決して見過ごせない変化です。イエスに従っていた時の弟子たちは、イエスの名を使って悪霊を追い出した人達を制止したり(ルカによる福音書9章49節)、幼子を連れて来た人々をたしなめたり(同福音書18章15節)、イエスに縋りつく盲人を叱って黙らせたりしました(同福音書18章39節)。またカナンの女が娘を救ってくれと頼んだ時も「この女を追い払ってください」とイエスに求めたのでした(マタイによる福音書15章23節)

 この男は毎日この美しい門の傍で施しを乞うていました。ペトロ達が毎日神殿に上る時に、あるいはずっとそれ以前から男はそこにいたのです。それをペトロ達は気にもかけませんでした。幼子を追い払い、盲人を叱り、女を払いのけた時と同様に、この男をも無視してきました。それがこの日、行き詰まるような場面になったのです。これこそが奇跡です。これこそイエスが信徒を通して働いておられるしるしです。教会はこのような働き、すなわちキリストの臨在を示さなくてはならないと思います。苦しみや悩みを抱え、悲惨な状況に置かれている世の人々に対して、「私たちを見なさい」と言えるだけのものを教会は持っているでしょうか。そういう方々に対して差し出すべきものを持っているでしょうか。彼らを救うのは国の社会保障制度や経済的な裏付けが必要であって、教会の慈善的な行為では何の役にも立たないと思っていないでしょうか。

 この男の前には立派な門があり、神殿があり、捧げられる献金は巨万の富になっていました。そこからなにがしかの金銭がこの男に施されたとは思います。しかしその金銀はこの男を救いませんでした。そこに神殿が立っている、そこに教会があるだけではこの人は歩けないのです。本当に悩める魂が救われるのは金銀ではありません。美しい門と立派な神殿や教会が立っていることだけではないのです。苦しみや悲しみの中にいる方々への愛と関心こそが、孤独でさびしい魂が救われる第一歩です。「彼の手を取って立ち上がらせる」ことこそ本当の救いです。ナザレ人イエスの名において、主が今も生きて働いておられることを伝える「生きた教会」でありたいと願っています。金銀はないけれども、人を立たせて歩かせるイエスの御名が私達にはある、と言える教会でありたいと心から願っております。

(牧師 常廣澄子)