2024年5月26日(主日)
主日礼拝
使徒言行録 7章1~16節
牧師 常廣澄子
お読みいただいた個所は、新共同訳聖書では、その段落のタイトルが「ステファノの説教」となっています。2節から53節まで、ステファノが語った実に長大な説教が書かれているのです。これは、すぐ前の6章11節~14節に「そこで、彼らは人々を唆して、『わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた』と言わせた。また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。『この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」と書かれているように、ステファノは、エルサレム神殿とそれにまつわる儀式や律法に逆らって神とモーセを冒涜したと偽証されて捕らえられてしまったのですが、連れて行かれた最高法院で、大祭司や居並ぶ律法学者たちを前にして、堂々と弁明したのがこの演説なのです。使徒言行録には、この他にもペトロが語った説教や、パウロが語った演説がありますが、その中でもここで語られたステファノの説教が一番長いものです。
最高法院に連れ出されたステファノは、大祭司から「訴えのとおりか」と尋ねられ、弁明する機会が与えられました。こうして長い演説が始まったのです。「(6章15節)最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。」とありますから、この時のステファノは特別に神の御霊に満たされていたのでしょう。
実際、ステファノのこの説教は、今にも殺されかねない人が命がけで釈明し、自分の立場を弁明しているとはとうてい思えないほど、毅然として落ち着いています。自分が無罪であることを説明して、何とか釈放してくれるのを願い求めようとする気配は全くありません。当局側と息詰まるような対決場面になるのは最後の51節~53節の結論部分だけです。それまでは旧約聖書の歴史をアブラハム(2-8節)に始まって、ヨセフ(9-16節)、モーセ(17-38節)、荒れ野のイスラエル(39-44節)、ヨシュア(45節)、ダビデやソロモン(46-50節)という具合に順を追って語り、イスラエルの歴史が神の恵みの物語であると同時に、神の導きに対する人間の不従順と反抗の物語であることを語っています。
しかしこの説教は、ステファノにとっては公の場で語る絶好の機会でした。不当逮捕に対する弁明だけでなく、自分が信じている神のことを語り伝えたいという思いでいっぱいだったに違いありません。この演説で語られているのは、ステファノが冒涜したと言われている神がどういうお方であり、そのお方にどのように従っていくべきかということ、またステファノが冒涜したといわれている律法とはどういうものであるのか、そしてさらにはステファノが冒涜したといわれる「神殿」についての正しい考え方を伝えることでした。そういう意図がこの長い説教の初めから終わりまでを貫いています。ですからこれは、自己弁明というより、むしろ神の民である「真のイスラエル」の伝統を正しく受け継ぐ者こそが真のキリスト者であるということを、積極的に主張している説教だと言えます。今朝はこの長い説教の最初の三分の一ほど、16節までを取りあげて考えていきたいと思います。この部分は真の神とはいかなるお方であるかが語られています。
ステファノは丁重に語り始めました。「(2節)そこで、ステファノは言った。『兄弟であり父である皆さん、聞いてください。』」自分は訴えられているような、イスラエルの伝統に背くような者ではないということを示すために、そこにいる聴衆に向って「兄弟(同胞)」と呼びかけ、最高法院という議会の権威を尊重して「父である皆さん」と敬っています。
続けて本論に入るのですが、ステファノはまずアブラハムのことを語り始めます。イスラエルの歴史がアブラハムにはじまるということは、当時のユダヤ人が一般的に認めていたことでした。「(2-3節)わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました。」ステファノは冒頭で「栄光の神が現れた」ことを語ります。神を冒涜した罪で逮捕されている者が、「栄光の神が現れた」と言って語り出すのは、実に力強い弁明です。「栄光の神」という表現は、詩編29編3節にも出てきます。この後の48節では、神のことを「いと高き方」と最高級の言い方をしています。この神は燃える芝の中からモーセに呼びかけられた方で、栄光に満ち満ちておられるのです。
では「栄光の神」とはどういう神なのでしょうか。この神は、土地と場所に束縛されず、どこにでもおられ、どこにでも現れ、どこででもその栄光を現わされるお方です。イエスが言われた言葉「あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。」(ヨハネによる福音書4章21節)を思い起こします。その「栄光の神」はアブラハムがメソポタミアにいた時に現われ、「あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け」と言われたのです。「(4節)それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。」この「カルデア人の土地」というのは、メソポタミアのことです。アブラハムたちはメソポタミアを出て、ユーフラテス川上流にあるハランに行き、父テラが死ぬまでそこにいました。(創世記11章参照)そして父が死んだ後、アブラハムたちはハランを出発して、約束された土地カナンに移り住んだのです。
アブラハムにとって進むべきところはすべて未知の世界でした。神は常にアブラハムに先立って行かれ、彼にその行く道を示しました。そのことがヘブライ人への手紙11章8節に書いてあります。「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、生き先も知らずに出発したのです。」
「栄光の神」は、アブラハムがまだメソポタミアにいて、何の契約もなく、律法もなく、儀式も何もない時に現われて、約束の言葉を与えられたのです。そのまだ見ない約束を信じて、それに服従するところに神の民の新しい歴史が開かれていったのです。カナンはアブラハムに約束された土地でしたが、その土地はまだ見えるものではありませんでした。「(5節)そこでは財産を何もお与えになりませんでした、一歩の幅の土地さえも。」しかし、カナンに来て、何の相続財産もないアブラハムに対して神は約束されました。「(5節続き)そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』と約束なさったのです。」アブラハムにはただ神の約束だけが与えられたのです。アブラハムが信仰の父と言われるのはそこにあります。ステファノの演説は、へブライ人の手紙にあるように、ここに神が選ばれた信仰の民「真のイスラエル」の原型があることを伝えたかったのでしょう。
これを語りながらステファノは、暗に神の民「真のイスラエル」であるあなた方が「(4節)今あなた方が住んでいるこの土地」(すなわち神殿や、神殿のあるエルサレム)に拘束されているのはどうしたことか、あなた方のありさまを考えてみて欲しいと、自分を訴え逮捕した人達に反駁しているのです。ステファノが彼らに伝えたいのはこういうことです。エルサレムを神の都として絶対化し、固定化し、その神殿だけを神の住居とする考え方は、イスラエルの父祖アブラハムが、まだ見ぬ神の約束を信じて行動した信仰からの退却であり、このような見えるものにより頼む信仰は、真のイスラエルの継承者であることから外れることではないのですか、神の民であるあなた方がより頼むべきものは、形のあるものや土地や財産ではなく、目に見えない神の約束を信じて、ただ神の御言葉により頼む信仰ではないのですか、と。
ステファノは続けて言います。アブラハムは一歩の幅の土地さえも所有していないだけでなく、彼の子孫はカナンを去って外国に移住して、そこで四百年間奴隷の苦役を経験するであろうという神のお告げを受けました(創世記15章13-16節参照)。「(6-7節)神はこう言われました。『彼の子孫は、外国に移住し、四百年の間、奴隷にされて虐げられる。』更に、神は言われました。『彼らを奴隷にする国民は、わたしが裁く。その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを礼拝する。』」ここには四百年とありますが、出エジプト記12章40節では四百三十年となっています。ともあれ、神はやがて彼らをエジプトの地から救い出され、カナンの地で神を礼拝させるという約束が与えられました。ステファノの演説は、聖書が語っていることを踏まえつつも、彼の記憶にあることを自由に語っているように思われます。
「(8節)そして、神はアブラハムと割礼による契約を結ばれました。こうして、アブラハムはイサクをもうけて八日目に割礼を施し、イサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長をもうけて、それぞれ割礼を施したのです。」ここでアブラハムには割礼という一つの印が与えられました(創世記17章10-12節参照)。アブラハムが割礼を受けたのは99歳の時でした(創世記17章24節)。割礼はイスラエルに対して、神の選びと契約の印としての意味を持つようになったのです。そしてその契約の印はアブラハムの子イサクからヤコブへ、ヤコブからその十二人の子ら(イスラエル十二部族)へと、代々にわたって受け継がれていきました。このようなイスラエル族長の歴史は、神の恵みを受け、神を証しして生きる神の民の歩みとして、イスラエルの人々にはしっかり共有されていたのです。
続いて9節~16節にはヨセフ物語が語られ、神への信頼がさらに明らかになっていきます。しかしステファノは、ヨセフが受けた苦難を強調しているわけではありません。ここで強調されているのは、神の救いは人間の不確かさをも貫徹するものだということです。ヨセフは兄弟たちの妬みを受けて、エジプトに奴隷として売り飛ばされてしまいます。しかし神は彼と共におられたのです。「(9-10節)この族長たちはヨセフをねたんで、エジプトへ売ってしまいました。しかし、神はヨセフを離れず、あらゆる苦難から助け出して、エジプト王ファラオのもとで恵みと知恵をお授けになりました。そしてファラオは、彼をエジプトと王の家全体とをつかさどる大臣に任命したのです。」
エジプトでのヨセフの苦難は、神の民の苦しみでもあることが暗示されています。神は艱難からヨセフを救い出し、エジプト王パロの前で恵みを与え、彼はエジプトの大臣に任じられました。ヨセフがエジプトの大臣になったことは、カナンにいたヨセフの家族に有利な結果をもたらしました。というのは、エジプトとカナン全土が大飢饉で食料に窮した時、ヤコブの家の者たちは食料を買いにエジプトに行きました。二回目に行った時、ヨセフは兄弟たちに自分の身の上を明かし、彼らの間に和解が成立したのです。そこでヤコブとその全家族は飢饉を逃れてエジプトに下って行き、ヨセフの助けによって暮らし、やがてヤコブもヤコブの子らもそこで死にました。
ステファノが語った内容には、創世記の記事との間に数や名称など多少の相違があります。ステファノの演説ではエジプトに行った人数は75人(14節)とありますが、創世記46章27節では70人となっています。またステファノ演説では、ヤコブは「(16節)シケムに移され、かつてアブラハムがシケムでハモルの子らから、幾らかの金で買っておいた墓に葬られました。」とありますが、創世記50章13節では「ヤコブの息子たちは、父のなきがらをカナンの土地に運び、マクペラの畑の洞穴に葬った。それは、アブラハムがマムレの前にある畑とともにヘト人エフロンから買い取り、墓地として所有するようになったものである。」とあるのです。
これは募地購入に関する二つの異なった伝承資料があったからだと考えられます。いずれにしてもヤコブとその子らはエジプトで死んだのですが、そのなきがらは神が彼らの子孫に約束されたカナンの土地に葬られたのです。このことは、たとえ彼らがエジプトという異邦の地で死んでも、神の約束を信じる信仰を持って死んだということの証しであったと考えられます。根底にあるのは、神の救いをイスラエルの歴史にさかのぼって追及していることです。
「神殿と律法に逆らう言葉を吐いた」という罪によって、ステファノが逮捕され、このように弁明の演説をしているわけですが、ステファノはここでイスラエルの伝統と歴史に根ざして語っています。神殿がまだ存在していない時代にも、メソポタミアからエジプトに至る、神を信じて歩んだイスラエルの歴史がありました。神は神殿に拘束されていないということがはっきり証しされています。アブラハムはその行く先々で主のために祭壇を築いて主の名を呼んだと言われています(創世記12章8節参照)。神を礼拝する場所も方法も固定的に定められていたわけではなかったのです。ステファノの演説は、神殿と律法の問題に対して根本的に考えるためには、イスラエルの信仰の原型としてアブラハムにはじまる族長の歩みから説き起こす必要があったのです。なぜなら、エルサレム神殿に神の住居が固定され、律法や祭儀によって、人々の心からの自由な信仰が崩れてきたところから、イスラエルの信仰が退廃の歩みを始めたからです。しかし、アブラハムに現われた「栄光の神」は、御霊を送ってくださり、今も私たちと共におられます。この真の神の助けと導きを信頼して生きていきたいと思います。新しい週も、私たち一人ひとりに「栄光の神の導き」が豊かにありますよう、心から祈り願っております。
(牧師 常廣澄子)
聖書の引用は、『 聖書 新共同訳 』©️1987, 1988共同訳聖書実行委員会 日本聖書協会による。