神の住まい

2024年7月21日(主日)
主日礼拝

使徒言行録 7章44~53節
牧師 常廣澄子

 この7章には、ステファノが語った長い説教が書かれています。これまで43節まで読んできました。本日もその続きから学んでいきたいと思います。このステファノは、十二使徒たちを助ける働きをするために、教会が選んだ「霊と知恵に満ちた評判の良い七人」の中の一人です。一般には初代教会の最初の執事として考えられています。6章8節にありますように、彼は恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを人々の間で行っていました。彼は弁舌にもたけていたようで「(6章9節)ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる『解放された奴隷の会堂』に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。(10節) しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった。」とあります。
そこで、彼らは次の11節にあるように、人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせて、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引きだしたわけです。その時、大祭司はじめ最高法院に連なる律法学者たちを前にして語ったのがこの7章です。

 ステファノの説教をたどってみますと、まず彼はイスラエルの民を導かれる「神」とはいかなるお方であるかということを、アブラハムからはじめてヨセフ物語にも言及して語りました。次に「モーセと神から与えられた律法」について切々と論じました。最後は、ステファノ自身が神殿という「聖なる所」を汚したという冒涜罪で捕らえられたことに対して、神殿という真の神の家とは本来どういうものであるかを論じることでした。
 ステファノはまず、神殿ができる前の幕屋について語り始めます。44節でステファノが「証しの幕屋」と呼んでいるのは、神がモーセを通してシナイ山で建てさせた神を礼拝する家のことです。それは荒れ野を旅するイスラエルの民が、分解して持ち運びできるように、木や柱や枠とそれに被せる幕とからなる長方形のテントです。内部は二部屋に区切られていて、手前の聖所と呼ばれる部屋は大きい長方形で、そこには金の燭台、供えのパンの机、香をたく祭壇があり、祭司たちだけが、ともしび、供えのパン、香を持って入ることができました。その奥の至聖所と呼ばれる部屋は、垂れ幕で隔てられた小さい立方体の部屋で、中には十戒が書かれた石の板二枚を納めた掟の箱と、その上蓋には贖いの座がありました。この至聖所には大祭司が年に一度だけ、贖罪日に入ることが許されていました。

 贖いの座の左右両端には、黄金でできた二つのケルビムがおかれ、翼を広げて箱を覆っていました。また隔ての垂れ幕にはケルビムが織りだされていました。この部屋こそ主なる神の部屋であり、神は「わたしは掟の箱の上の一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上からあなたに臨み、わたしがイスラエルの人々に命じることをことごとくあなたに語る。」(出エジプト記25章22節)とモーセに約束しておられたのです。
 掟の箱に入っている十戒は十の言葉からなっていますが、命令というよりも神の御心を表す神の宣言です。それで「証し」とも呼ばれました。それで幕屋全体も「証しの幕屋」と呼ばれたのです。幕屋にはもう一つ「会見の幕屋」という呼び名があります。すなわち神がここで民と会見してくださる所だったからです。イスラエルの人々はここで神を礼拝しましたが、そこに神のお姿を見ることはできません。しかし、神が語られる御言葉によって、神の存在やそのご性質、神が人々に何を求めておられるのかがわかりました。つまり霊的に神と会見したのです。

 ステファノはこの「証しの幕屋」が荒れ野にあったと語っています。つまり、イスラエルの民にとっては、この「証しの幕屋」は教会でした。たとい荒れ野にあるただのテントであったとしても、そこで生ける神の御言葉が語られ、神と会見できるならばそれが教会です。教会というのは、神の御言葉を聞くことによって、神と出会わせていただくところなのです。
 従ってこの幕屋は人間がかってに造るものではありません。神がご自身を証しされ、民と会見される場所ですから、神がその設計を指図されたのです。「(44節後半)これは、見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのものでした。」このことは、後の時代に神殿を建てる時も同じで、聖所や至聖所の間取りは、すべて「証しの幕屋」と同じ比率、同じ構造でした。神殿建築の準備をしたダビデは、息子ソロモンに「これらすべては、主の御手がわたしに臨んで記されたもので、計画された工事の全貌を理解させてくれる。」(歴代誌上28章19節)と語っています。つまり、幕屋にしても神殿にしても、神が計画し設計された形に基づいて造られたのです。

「この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており、そのことは、モーセが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けたとおりです。神は、『見よ、山で示された型どおりに、すべてのものを作れ』と言われたのです。」(ヘブライ人への手紙8章5節)ここには「天にあるものの写しであり影であるもの」と書かれていますが、「天にある聖所のひな型」という意味においては、幕屋も神殿も何ら変わりがありません。見方を変えて言うならば、天国においては、もう幕屋や神殿のような間接的なものはなくなります。黙示録21章22節にはっきりと書かれています。「わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。」
つまりこの世にある幕屋も神殿も、新しい天と地が来るまでの一時的なひな型にすぎないということです。しかしこの幕屋は、イスラエルの民がヨシュアに導かれてカナンの土地を得た後も、次々と受け継がれて、ダビデの時代までそこにあったのだ(45節)とステファノは語っています。

 私たちは、幕屋は持ち運び可能な一時的なもので、神殿の方は堅固で恒久的なものだと思っていますが、驚くべきことに幕屋を使用していた時代、つまりモーセの時代からダビデの時代に至るまでの年数の方が、ソロモンによって神殿が造られてから、その神殿がバビロンに滅ぼされるまでの年数よりも長いのです。イスラエルの民がカナンの地に定着して、もう運搬する必要がないにも関わらず、何百年もの間、幕屋は、祭司たちによってその形や祭儀のやり方を連綿と受け継がれていったのです。もちろん何百年もの間には、柱は腐り、幕は綻びて糸がほどけてきたことでしょう。ですから何度も何度も造り直されたに違いありません。しかし人々は決して勝手に設計を変えようとはしなかったのです。

 神殿を汚したと言ってステファノを逮捕し、神殿に対して狂気じみた崇敬の念を抱くサンヘドリン(最高法院)やリベルテン(解放された奴隷の会堂)の人々に対して、ステファノが神殿以前の幕屋のあり方を高く評価して語っている理由はあきらかです。つまり、幕屋であろうと、神の御言葉があるかぎり立派な教会だったのです。天にある聖所の型に従って造られている限り、幕屋も神殿と同等でした。

 ステファノは次に、神殿に対して彼らが持っている過剰なまでの熱意に対して、少し冷静に考えて欲しいと語りかけていきます。まず「(46節)ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、(47節) 神のために家を建てたのはソロモンでした。」つまり神殿建築は、発案したダビデがすぐにも実行しなくてならないほど必要不可欠なものではなかったということです。ソロモンの時代まで延期してもイスラエルの人々の礼拝生活には何ら差し支えはなかったのです。

 さらに、神殿を建設したソロモン自身が、「いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みにならない」ことを承知していたことが語られます(48節)。列王記上8章27-29節には、エルサレム神殿の献堂式でのソロモンの祈りが書かれています。「(27節)神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。(28節)わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。(29節)そして、夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが、『わたしの名をとどめる』と仰せになった所です。この所に向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください。」いと高き神は、天からこの神殿に向かって目を注がれ、ご自身の「名」を住まわせておられるというのです。人間は幕屋でも神殿でも教会でも、神そのものを見ることはできません。あくまでも神の名、すなわちその存在の証し、御言葉を聞くことを通して、神と出会っていくのです。ただ天の御国に帰った時に、私たちは顔と顔を合わせて神を見、永遠の礼拝を楽しむことができるのです。

 最後にステファノは、神殿の限界を納得させるかのように、預言者イザヤの言葉を引用しています。「(49節)主は言われる。『天はわたしの王座、地はわたしの足台。お前たちは、わたしに どんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。(50節)これらはすべて、わたしの手が造ったものではないか。』」これはイザヤ書66章1~2節からとられていますが、これはその前の65章17節から「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。」と語り始められた救いの時の描写に続いている言葉です。イザヤ時代の後に起こるバビロン捕囚という滅びの時を経て、神は再びイスラエルを救われ、新天新地を創造なさいます。そしてその日には「彼らが呼びかける先に、私は答え、まだ語りかけている間に、聞き届ける。」(イザヤ書65章24節)と言われます。このように神と民との関係は、実に幸いな直接的な交わりに変わっていくというのです。

 イザヤが語っていることは、救いの時が来て、新天新地が現れたら、もう天の聖所のひな型のような幕屋や神殿という住まいは、たとえどんなに立派であろうと無用となるのだ、ということなのです。「名代」を通して礼拝を捧げたり、証しによって会見するというような間接的な交わりでなく、「呼びかける先に答え、語りかけている間に聞き届ける。」そのような直接的な交わりが神と人の間に起こるのです。そして、神の言葉と証しを重んじる人々の中に神は住まわれ、そこを神の家とされるというのです。これこそが、幕屋時代や神殿時代を越えて神が預言されていることなのです。ステファノはここまでに言うべきことを言い尽くしています。つまりユダヤ人の生活の中心をなす二つのこと、つまり律法と神殿が本来の在り方を離れて偶像化されているということです。

 イエス・キリストがこの世に来られて、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」と言われ、「わたしを見た者は、父を見たのだ。」(ヨハネによる福音書14章6節9節)とも言われましたが、ここにいる律法学者や祭司長たちは神に会おうとはしませんでした。彼らが神殿を強盗の巣にしていると嘆いたイエスが、「わたしは三日で神の家を建てよう。」と、ご自身のお身体の復活のことを語られても、イエスが十字架で息を引き取られた時に神殿の幕が真二つに裂けても、彼らは依然として手で造った神殿にしがみついていたのです。

 ここでステファノの説教を聞いている聴衆の多くはユダヤ教の学者たちです。律法を良く知っていましたし、預言者の言葉も聞いていました。ですから、彼らにはステファノが言わんとしていることがわかったはずです。イザヤが預言した新天新地の時が今来ているのだ、これ以上、手で造った神殿での儀式を続け、頑なに律法を守ることは偶像礼拝に等しいことだ言われていることがわかったのです。たぶんここまで聞いて来た彼らは、自分たちの行動や、大事にしている神殿までもが罵倒されたので、歯ぎしりしてステファノをののしり始めたに違いありません。そこで、ステファノもまた今までよりも激しく彼らに向かって語りました。「(51節)かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。(52節)いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。」
 先祖たちと預言者との関係は今や自分たちとイエスとの関係にはねかえってきました。ステファノに言わせれば、彼らがもしも律法を正しく守って、律法や聖所に対して正しい態度がとられていたなら、イエスを十字架につけることはなかったはずだと、彼らを痛烈に非難しているのです。
私たちはステファノが死をも恐れずに語っているこれらの言葉から、本当に神がお住いになられるのは、へりくだって、神の言葉に恐れおののく者の心であることをしっかりと覚えたいと思います。

(牧師 常廣澄子)

聖書の引用は、『 聖書 新共同訳 』©️1987, 1988共同訳聖書実行委員会 日本聖書協会による。