2024年11月17日(主日)
主日礼拝『 子ども祝福 』
使徒言行録 9章1~19a節
牧師 常廣 澄子
私たちは8章で、サマリアでの福音伝道や、エチオピアの高官の救いなど、御霊に満ちたフィリポの素晴らしい働きを見てきましたが、一方ではステファノの殉教をきっかけとして始まったキリスト教徒への迫害はますます激しくなっていました。この9章では迫害の急先鋒となっていたサウロに焦点が当てられています。しかしここでのサウロについての説明は、石を投げつけてステファノを殺した人たちが、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた(7章58節)ということと、彼はステファノの殺害に賛成していた(9章1節)という紹介記事があるだけです。
しかしながら、サウロ(ラテン名はパウロ)のこの不思議な回心物語は、キリスト教歴史において非常に重大な事件ですので、この後の22章3~16節にも26章9~18節にも、サウロ自身の回顧談の形で書かれています。本日は9章の御言葉を中心に、迫害者サウロがいかにして福音の伝道者となっていったかをみていきたいと思います。
「(1節)さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、(2節)ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。」
サウロはキリストを信じる者への怒りで燃えていました。大祭司のところに行ってダマスコの諸会堂あての手紙を求めたのは、サウロのことを知らない地方の諸会堂でも権威をもって仕事をするためでしょう。自分だけの反対運動ではなく、ユダヤ教当局の正当な対応として、エルサレムから逃げて行ったキリスト教徒を逮捕したいのです。ダマスコは、エジプトからパレスチナを通ってメソポタミアへ通じる街道にあり、エルサレムからは北方210キロメートルも離れている都市です。そんな遠くのシリアの都ダマスコまで、キリスト教徒を逮捕する為に追いかけていくとは、実に執念深い行動です。
さて、迫害者サウロがシリアを旅して、ダマスコの近くまで来た時のことです。突然、天からの光が彼の周りを照らしたので、サウロは地に倒れてしまいました(3節)。そして「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いたのです(4節)。ところが、 同行していた人たちには、声は聞こえても、だれの姿も見えませんでした(7節)。
サウロが「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがありました(5節)。ここでサウロが「主よ」と呼びかけていることに注目したいと思います。サウロは、この声の主が自分の上に立つお方であることを認めています。きっとサウロは天からの光の中で、驚くべき圧倒的な存在に出会ったのだと思います。その方は答えました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」(6節)その方は、自分はイエスであると宣言し、この答えを残して消えてしまわれました。サウロは地面から起き上がって、目を開けてみましたが、何も見えません。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行きました(8節)。この後、サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしませんでした(9節)。
聖書は、この三日間、サウロが何を感じ、何を考えていたのかを一言も記していません。しかしサウロの耳にはいつまでも「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という主の声が聞こえ、光り輝く主の御姿が脳裏に焼き付いていたのではないでしょうか。そういうサウロの心がわかるはずもなく、サウロの同行者たちはもちろん、ダマスコのクリスチャンたちは、飲まず食わずのサウロを眺めながら、これからいったいどうなることかと、息詰まる思いで三日間を過ごしていたのではないかと思います。
そして話は突然主とアナニアとのやりとりに移っていきます。ダマスコにはアナニアという弟子がいました。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは「主よ、ここにおります」と言いました(10節)。すると、主は言われました。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねなさい。今、彼は祈っている(11節)。そしてアナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ(12節)。」
しかし、主のこの言葉を聞いたアナニアは、サウロのこれまでの行状を知っていますから、素直に従えずにためらっていました。当時の人々にとっては、このサウロという危険人物に対する警戒心は尋常ではなかったのです。アナニアは言いました。「(13節)主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。(14節)ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」すると、主は言われました。「(15節)行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。(16節)わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」と。
アナニアの懸念に対して、主はサウロが異邦人に伝道する器であることを告げられました。彼がどんなにそのことで苦しみ戦わなくてはならないかも伝えました。それでアナニアは、これを主の御心と信じてサウロを訪ねたのです。
一方のサウロは、「直線通り」と呼ばれる通りにあるユダの家で、目が見えずにうずくまっていました。彼はその時何を考えていたのでしょうか。「起きて町に入れ。」と言われたサウロは、目が見えず、人々に手を引かれてやっとユダの家にたどりついたのです。本来なら、サウロは同行者を引き連れて迫害の息を弾ませて旅のゴールに入ったのですから、町中の期待がサウロに注がれるはずでした。町にはサウロという勇敢な迫害の使徒を待ちわびる人たちがたくさんいたことでしょう。しかしその期待と声援を裏切って、囚人のごとく手を引かれて、とぼとぼとユダの家にたどりついたのです。考えるだけで恥ずかしい姿ではなかったでしょうか。人々の驚きや失望はどれほどだったでしょうか。
想像もしないそのような状況に追い込まれたサウロは、飲むことも食べることもできませんでした。断食です。そして「彼は今祈っている」という主の説明があります。「断食と祈祷」これが彼の生活でした。彼の心の動きが伝わってくるようです。すなわち罪の自覚とともにそのゆるしを乞う心ではないでしょうか。
サウロの「主よ、あなたはどなたですか」という問いに対しての答えは「わたしは、あなたが迫害しているイエスである(5節)。」でした。この言葉には、「わたし」と「あなた」が大変力強くはっきりと語られています。ここには主イエスとサウロとの一対一の人格的関係があります。主はご自身についての真理を知らせると同時に、サウロの今までの認識を改めさせようとしておられるのです。人格と人格の触れ合いは、互いに向き合った時にはじめて成立します。サウロはイエスという圧倒的な人格をお持ちの方と出会って、はじめて自分のことを今までとは違った角度から見ることができたのではないでしょうか。神の御子イエスを知ることと、自分を知るということは、密接に結びついているのです。私たちの信仰のプロセスも同様です。私を造ってくださったお方、私を救ってくださったお方にお会いした時に、私たちは本当の意味で自分がわかり、なすべきことが分かり、生きることができるのです。
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」という主のお答えは、何を伝えているのでしょうか。単純に考えれば、それは死んだイエスが今、生きて語っているということです。十字架で死んだイエスが復活して今生きておられるということです。もしそうであるならば、エルサレムで殉教したステファノやクリスチャンたちから聞かされた話が偽りではなかったということです。
人間の知性や理性は、「こういうことはあり得ない」とか、「それはこうでなければならない」というように人間に思い込ませてしまうものです。ですから、自分の知識の誤りや認識不足、視野の狭さを知らされることは、人間にとって大変大きなショックであり事件です。自分に正直で、良心的な者であるならば、それは二日も三日も考え込まずにはいられないほどの驚きであり、自分の全存在に革命を引き起こすほどのものなのです。ですから、目が見えず、断食して祈っていた三日間は、サウロにとって非常に大切な三日間だったと思います。
イエスは木に架けられ、呪われた罪人として死んでいかれました。ですから、このイエスを神として担ぎ出すクリスチャンたちを迫害する事こそ、自分が信じている神への正しい奉仕であると、サウロは固く信じていました。サウロは単なる感情的な反対で教会を迫害していたのではありません。神に対する熱心な信仰があったからこそ教会を迫害していたのです。ところが十字架で死んだはずのイエスが神から祝福を受け、栄光の内に生きておられるということは、いったい何を意味するのでしょう。サウロが熱心に信じて励んできた働きは無駄であった、いや反対に神への反逆であったということではないでしょうか。今まで自分がやってきたことや自分の生き方を思うと、サウロは全くの虚脱感に襲われたに違いありません。
また、イエスがサウロに言われた言葉「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか(4節)」を注意深く受け取るなら、イエスはサウロから迫害を受けている、と言っているではありませんか。ここには、復活されたイエスと、イエスを信じるクリスチャンたちとの間に一体化があります。サウロが縛り上げ、引きずり出そうとした多くの人たちは、実はイエスを縛り上げて引きずり出していたということです。サウロは自分がしていたことが正しい行為ではなく、神とイエスに対する罪であることを気づかされたのです。
ここで最も大切なことは、このイエスが受難のメシア(苦しみを受けられる救い主)であられるということです。主イエスが語られた「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」この短い言葉には、サウロを責める響きはありません。ただ赦しと憐みの響きが伝わってきます。
そうなのです。サウロが多くのクリスチャンたちを迫害してきたことは、神に対する敵意であり罪でした。それをイエスが受けて来られたということは、サウロの罪を引き受けて来られたということです。サウロが多くのクリスチャンたちをののしり、嘲り、鞭打ってきた、その辛さ、苦しさ、辱めをイエスが代わりに受けておられたのだということです。これはイエスがあのゴルゴダの丘で、十字架に架けられた死なれたことと何の違いがあるでしょう。サウロがクリスチャンたちを迫害したことは、あのゴルゴダでイエスを十字架につけたことと同じです。サウロにとって十字架は過ぎ去った昔話ではなくなったのです。サウロが今やっとつかんだ真理は、イエスによる身代わりの死という罪の赦しの福音、贖いの福音でした。
このことをサウロは後になって、テモテへの手紙に書いています。「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。」(テモテへの手紙一1章15節)
この贖いの福音の真理にたどり着いた時、サウロは別人になっていました。ちょうどそこにアナニアが到着しました。アナニアはユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言いました。「(17節)兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」
「(18節)すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。」目からうろこのようなものが落ちたというのは、目が見えるようになったということを例えて言ったことかもしれませんが、それが心の問題と深く関わっていることは言うまでもありません。私たちは皆、このサウロと同じです。イエスの贖いがわかった時、はじめて覆いが外され、心の目が見えるようになって自分という者がわかってくるのです。アナニアがサウロの上に手を置いて「聖霊で満たされるように」祈った時、サウロは主イエスを信じる信仰を持ったのです。
こうして、三日間の断食と祈りの時を終えたサウロは、訪問者アナニアに祈られた後、身を起こしてすぐさまバプテスマを受けました(18節)。そして食事をして元気を取り戻しました(19節)。サウロは肉体的にも霊的にも神からの力を得ました。そしてこの後、サウロは今までの行動から180度転換して、「イエスこそ神の子である」と宣べ伝えるようになっていくのです。このサウロの回心は、人間には予想できない神の選びでした。キリスト教の世界的広がりにはこのサウロの働きが必要だったのです。およそ人間には想像できない神の不思議なみ業を心から感謝いたします。
(牧師 常廣澄子)
聖書の引用は、『 聖書 新共同訳 』©1987,1988共同訳聖書実行委員会 日本聖書協会による