2024年12月8日(主日)
主日礼拝『 待降節第二主日・誕生日祝福 』
ルカによる福音書 15章11~32節
牧師 永田 邦夫
早速、本日箇所からのメッセージをご一緒にお聞きして参りましょう。
本日箇所を含む、ルカによる福音書(以下「本書」と呼ぶ)15章全体は、三つの段落に分かれていて、順次、「見失った羊」のたとえ、「無くした銀貨」のたとえ、そして本日箇所の「放蕩息子」のたとえ、と続きます。中でも「放蕩息子」のたとえは、皆さんに良く知られている箇所です。
また、よく例に出します岩波版聖書では、この三つの例話をいずれも、「失われた何々」と、統一した表現を取っていることも紹介しておきましょう。
次に、その三つのたとえの内容についてですが、初めの二つはいずれも、「失われていたものが見つかったときの喜びは極めて大きく、その関係者が皆集まって喜びを共にするだろう。そしてその喜びは、天にまで通じる喜びである。」と伝えています。その「天」とはもちろん「天の父なる神」のことです。
以上からこの15章は「福音の中の福音」と呼ばれている、とのことです。
ではこのように、「失われたものの発見と喜び」がテーマとなっているこの15章が、どのような経緯(いきさつ)で書かれているのか、このことを先に確認しておきましょう。
本書の冒頭の1節2節から「徴税人や、罪人と言われる人が、イエスの話を聞こうと近寄って来た。」すると例によって、ファリサイ派の人々や律法学者等の呟きがありました。「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」とです。これに対して主イエスは、たとえを用いて諭されました。これが15章です。
では本日箇所に入る前に、前の二つの段落の概略を確認しておきましょう。
最初の段落の内容は、ファリサイ派の人々や律法学者たちに直接向かっての諭の言葉で、「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。」とあります。主イエスの言いたいことは、「あなたがたは他の人々と違って、自分たちは律法の専門家だと自慢しているけれども、たとえのように、人の命を他者にも増して大切にしていますか」という諭です。
次の段落「無くした銀貨」のたとえ、その大筋は前段と近いですが、その違いは、銀貨一枚(この貨幣単位の1ドラクメとは、当時の一日の労働賃金相当と言われ、今日の1万円位でしょう)を無くしたのは、全くその持ち主の不注意からです。しかし前の段落と同様に、その無くした銀貨を見つけ出すまで家中捜しまわるだろう、と言っています。そしてそれが見つかったならば、知り合いとその喜びを分かち合うでしょう、と言っています。
以上の二つのたとえ、更には本日個所のたとえも含めて、ファリサイ派の人々や律法学者たちへの諭が続いています。
長くなりましたが、11節からの段落「放蕩息子」のたとえに入ります。
11節、12節「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。」とあります。これはいわゆる「財産の生前相続」です。因みに当時の遺産相続は、長子の取り分が3分の2、次男は3分の1だったそうです。
続いて13節には「何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。」とあります。
遠い国とは異邦人の土地でしょうか、父や兄がいる元の家とは物理的にも全く離れ、情報もうわさも全く入らない場所です。逆に、そのことをいいことにして、勝手気ままに生き、「そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。」のです。
続く14節には「何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。」とあります。不幸は得てして重なるものです。そしてそこには、頼るべき知人も全くいません。
次の15節、16節には、「その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べる物をくれる人はだれもいなかった。」とあります。全く、惨憺たる状況です。ここに出てきます豚は、当時“汚れた動物”とされていたのです。彼はそのような豚の飼育に携わることになりました。その豚の飼育に携わっても、その餌さえ自由にくれる人は無かった、と言います。
次は17節~19節、遂にその時が来たか、と思わせる出来事です。「そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』とその決断が記されています。“断腸の思い”と言いますが、正にそのような決断です。
20節「そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」とあります。これは正に劇的瞬間です。ここだけでも一つのドラマのようです。
ここから、わたしたちは何を示されるでしょうか。我が息子を思う父親の姿がここにあります。しかも、何年間でしょうか、わが家を離れ、それ以降は全く音信も絶えていたその息子が、いま帰って来たのです。父親は帰って来たその息子を憐れに思い、走り寄って抱きしめたのです。ここには何も記されていませんが、きっとその父親は、来る日も来る日も家の外に出て、その息子を待ち続けていたことでしょう。
“一日千秋の思い”(一日三秋ともいう)と言いますが、正にそんな心境だったのでしょう。
父親は息子を抱きしめ、そしてしばらくの時間がたったことでしょう。息子の方から父親に対する言葉がありました。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。」との謝罪の言葉です。このできごとは、わたしたちがここを何回読んでも胸を熱くさせられる出来事です。
息子の言葉を聞いた父親は、すぐさま僕たちに指示いたしました。それが22節です。
「急いでいちばん良い服を持ってきて、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。」です。いちばん良い服とは、特別な行事のときの服装や正装を表し、手に指輪をはめるとは、権威の象徴でもあります。さらに足に靴を履かせるとは、奴隷や雇い人ではなく、家族の一員としての扱いを示しています。
それからさらに、肥えた子牛を屠って食べることも、それが特別な行事であることを表しています。そして父親は言いました。24節「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」そして、祝宴が始まった、と結んでいます。
以上のことが、もしわたしたちの家族に起こり、またその祝宴を催すことになったら、どんなにか胸がわくわくすることでしょうか。現在のわたしたちの生活では、斯様な催しがほとんどなくなってしまったのも淋しいことです。
わたしが、ある年齢まで育った田舎生活では、祝い事がいくつかあったことを、いま懐かしく思い出しています。
次は、25節以降、兄息子が登場しての出来事です。「ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。」とあります。この記述から、この宴会はかなり賑(にぎ)やかだったことが想像できます。
この兄息子は、すぐ家には入らず、僕の一人を読んで、今何事が起こっているのか尋ねました(25節、26節)。すると僕は「弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。」と答えました。ここまでは、わたしたちも理解できます。しかしその後が問題です。28節に「兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。」とあります。
このときの兄貴の言動が、わたしたちにとって分からないでもありません。嫉妬心をむき出しにしている、人間的弱さがここにあります。
しかし、以上のすべてのことの成り行きの中で、この父親の姿にはわたしたちも敬服します。本当に素晴らしい父親の姿があります。弟息子がかつて、父親に“生前贈与”を申し出たときも、何も言わず、その依頼に応えてきました。そしてその後、放蕩に身を崩して帰って来た今この時も、苦情どころか、最高の持て成しをして、それを迎え入れているのです。
一方、そのときの兄の振舞いを、もう一度確認しておきましょう。
“怒って家に入ろうとしなかった”とあり、その後の言葉が29節です。「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。」とあります。
この様に、父親は普段一緒に生活している家族には、別段改まって、特別な振る舞いはしないものです。しかし、普段一緒に生活していて、家族団らんに何時も加わっている、そのこと自体が大きな幸せであり、また喜びなのです。そのことを兄息子は理解しなければなりません。
皆さまはもうお気づきと思いますが、この父親とは「父なる神」がそのまま映し出されているのです。そのことをわたしたちは覚えながら、父なる神に共に感謝しましょう。
(牧師 永田邦夫)
聖書の引用は、『 聖書 新共同訳 』©1987,1988共同訳聖書実行委員会 日本聖書協会による