ますます力を得て

2024年12月15日(主日)
主日礼拝『 待降節第三主日 』

使徒言行録 9章19b~31節
牧師 常廣 澄子

 前回私たちは、キリスト教を迫害していたサウロが復活のキリストに出会って、奇跡的に回心した出来事をみてきました。今朝お読みしたところには、180度人生の方向転換をしたサウロが、その後どのように生きていったかが書かれています。そしてその結果が最後の31節にあります。

「(31節)こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」サウロの働きによって、教会の平和が保たれ、教会が前進していき、信徒の数が増えていったのです。このところは、サウロ個人の記録というより、教会の歴史的経過が語られているところだと思います。

 ここではまず始めに、キリストに捕らえられてキリストを信じる者となったサウロが、キリストを信じる者を捕らえるために出かけて行ったダマスコで、今度は反対にどのようにキリストを宣べ伝えていくようになったかが記されています(19-25節)。ところがダマスコのユダヤ人たちがサウロを殺そうとしていたので、そこを逃れて、今度はエルサレム教会に行って仲間入りしたことが書かれています(26-29節)。当然のことながらエルサレム教会でも、昔のサウロに対する恐ろしいイメージがありますから、当初はなかなか警戒心が溶けなかったのですが、バルナバが間を取り持って執り成してくれたおかげで、使徒の仲間入りをして活躍し始めるようになったのです。しかしサウロは、エルサレムでもギリシア語を話すユダヤ人(ヘレニスト)たちに殺されそうになって、まずはカイサリヤへ逃れ、その後、故郷のタルソスへと出発していきました。ここにはだいたいこのようなことが書かれています。

 ダマスコでもエルサレムでも、信者の中には、今まで教会やキリストを信じる者たちを迫害していたサウロに対する警戒心がありますから、すんなりとサウロの回心を信じるわけにはいかなかったのです。当然の事かもしれませんが、彼を信頼するようになるには時間が必要でした。

 キリストを信じたサウロがまずやったことはただ一つの事です。「(20節)すぐあちこちの会堂で、『この人こそ神の子である』と、イエスのことを宣べ伝えた。」キリストを信じたサウロは、すぐにキリストを伝道し始めたのです。すぐに「この人こそ神の子です」とあちこちの会堂でイエスを宣べ伝えたのは、主に救われ、喜びに満たされている者としての本能的な行動でした。ダマスコの人たちは、彼がこのように伝道する様子に驚いて、「(21節)これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。『あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。』」と語り合っています。

 21節に「この名を呼び求める者たち」と言われているのは、キリストを信じるクリスチャンたちのことです。彼らは絶えずイエスの名を口にして祈り、賛美していましたので、そのことが彼らを他の人々から区別する呼び名にもなっていたのです。反対にサウロは、そのクリスチャンたちが口にしていた信仰告白を頭から否定して迫害していたわけです。ですから、回心したサウロは、今まで表明してきたキリスト教反対の態度を、今度はそれ以上にはっきりとした行為と言葉で、自分がどんなに強くキリストの救いを信じているか、大胆に公表する必要がありました。

 しかし、この事柄の奥にあるもっと深い理由は、信仰そのものには、語らずにおられないという喜びがあるということなのです。つまり、隠しておけるほどの小さな喜びなどは信じるに足りないものだということです。サウロ自身が後に語っています。「『わたしは信じた。それで、わたしは語った。』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。」(コリントの信徒への手紙二4章13節)

 ダマスコへの途上で復活の主に出会って地に倒れたサウロは、突然目が見えなくなりました。そのサウロのもとに遣わされたアナニヤには、二つの役目がありました。再び目が見えるようになるためと、聖霊に満たされるためです。17節にそう書いてあります。この第一の目的が達成されたことは、18節に「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。」と書かれていましたのでよくわかります。では、二番目の聖霊に満たされるということはどこで達成されたのでしょうか。

 それが20節以下の伝道開始の業なのです。サウロは聖霊に満たされていたがために語ることができたのです。このこともサウロは後に語っています。「神の霊によって語る人は、だれも、『イエスは神から見捨てられよ』とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも、『イエスは主である』とは言えないのです。」(コリントの信徒への手紙一12層3節)

 しかしそれにもかかわらず、私たちはなかなかキリストを宣べ伝えられないでいます。その理由の一つは何か気後れしてしまうような思いが起こってくるからではないでしょうか。回心したてのサウロが「大胆に宣教した(27節)」とか「恐れずに教えるようになった(28節)」というように書かれているのは意味のあることです。福音を伝える働きは「大胆さ」を要求し、「恐れずに語る」という勇気を必要とするのです。またサウロ自身も「わたしは福音を恥としない。」(ローマの信徒への手紙1章16節)と語っています。サウロ自身が「福音を誇りに思う」と言わずに、「恥としない」と言ったのは、時には彼自身が福音を語ることをためらって恥ずかしく思ったことがあり、その気持ちを良く知っていたからではないでしょうか。 

 しかし考えてみると、このためらいには、福音そのものに対するよりも、どのように語ったらよいかわからないという、伝道方法上の不安もあったと思います。しかし22節には「しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。」とあります。サウロはますます力を得て語っていったのです。ここでの「論証し」というのは、結びつけるということです。つまり、「イエスがキリスト(メシア)である」という命題を、聖書(当時は旧約聖書)の預言とイエスの出来事を組み合わせて立証することです。そこには雄弁さは必要ではありません。ただ聖書が語る言葉をそのまま伝えることが大切であることがわかります。このことは、私たちにも勇気を与えてくれます。ただ御言葉を伝えることが大切なのです。実際サウロは語っていくうちに、ますます力が増し加わり、さらに大胆になり、聖書の言葉が生きて迫って来たのだと思います。

 回心したサウロがやったことは、まだあります。「(19節)サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて」とあるように、サウロはダマスコの信徒たちの仲間入りをしたのです。サウロの回心を受け止め、サウロを信じて助ける者たちもあらわれました。しかしダマスコのユダヤ人たちの中にはサウロを殺そうとする者がいて、昼も夜も町の門で見張っていましたので、それを知った弟子たちは、夜の間にサウロを連れ出して籠に乗せてダマスコの町の城壁づたいにつり降ろして逃がしてくれたのです(25節)。

 イエスを信じる者たちの仲間になる、つまり彼らと交わり良い関係を持つための努力は、エルサレムに戻って行った時にもなされました。「(26節)サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。」ここには、サウロの悲しいまでの努力があったことが想像できます。教会側にはまだまだサウロの回心を信用できない人たちがいました。サウロはスパイとして潜入しようとしているのではないかと警戒する者もたくさんいたのでしょう。そのような状況の中で、サウロは健気に忍耐強く、教会側の誤解や警戒心が溶けて仲間入りができるまで、機会を待ちながら努力し続けたのです。

 ここを読んでいると気づかされますが、サウロを迎え入れる信徒たちの態度にも感心します。始めのうち、恐ろしい迫害者サウロを受け入れて仲間に加えることを警戒したのは、彼らにとっては当然のことだったでしょう。最初に接触したアナニヤの場合は、自分の不安な思いや、警戒する気持ちを率直に主なる神に打ち明けています。しかし神から、サウロの回心を告げられ、アナニヤがなすべき使命を説明されると、実に素直に、ただちにサウロのもとに行きました。そしてサウロの上に手を置いて祈り、その場で親しく「兄弟サウル」と呼んでいます(17節)。神の家族として迎え入れているのです。本当に奇跡的な出来事です。感動的な場面です。

 サウロを警戒していたエルサレム教会の人たちに対しては、バルナバが勇敢にもサウロを連れて使徒たちに紹介してまわりました。「(27節)しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。(28節)それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。」このアナニヤやバルナバのように、キリストを信じる者たちの間で、お互いを助けて結びあわせていく仲介の労を取る奉仕は、本当に豊かで大きな神の愛の業です。

 エルサレム教会の人たちは、バルナバからサウロの回心のいきさつを聞きました。心からサウロのために執り成しをするバルナバの話を聞いて、それを信じた使徒たちの態度も立派です。彼らはバルナバの言葉を信じただけでなく、弟子たちの仲間に加わろうとしているサウロを受け入れることをためらわなかったのです。彼らは主がサウロに現われて、彼を伝道者として召されたという事実を信じて、何の反発もしませんでした。それどころか、サウロの身に危険が及んでいるのを知ると、力を合わせてサウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させたのです。

 このように、回心したサウロとの仲を取り持ったアナニヤやバルナバにも、ダマスコやエルサレムの教会の信徒たちにも、実に強い愛によるつながりが感じられます。彼らにとっては回心したサウロが一人で信仰の旅をすることは考えられませんでした。どんな相手であろうと、苦しんでさまよっている者を助けるのが主の教えでした。主が選んだ器であるサウロを、自分たちが裁こうとはしなかったのです。ここで決定的に大事なのは、主の御心と御業を求めることであって、私たちの考えや好みによるのではないということです。主を信じる者とされた私たちが、主を喜び、主を証し、助け合って主の福音を宣べ伝えることは主にある一致の表われなのです。

 そう考えていくと、31節「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」という理由もよくわかります。それはサウロ一人の働きではなく、サウロと教会の信徒たち皆が主の御業を信じた結果なのです。「平和を保ち」「信者の数が増えていった」この二つの言葉が当時の教会の姿を表しています。平和であるところに発展が伴います。

 サウロは回心するとただちにキリストを証しし始めました。それは彼の熱心さというより、聖霊の励ましがあったからです。教会では、あの要注意人物の入会を認めました。あの恐ろしい人物サウロに主からの回心と召しがあったことを信じたからです。お互いに主が愛され、主の御用のために召されているのだという思いが、一人一人を結び合わせていきました。共に歩む者として互いに補い合い助け合いました。これが平和と信じる者の増加の大きな理由です。

 教会はキリストの体、その頭は主なるキリストですから、キリストの元に救われた一人ひとりが築き上げられていくのです。それがここにある「教会は」という言葉にはっきり示されています。この「教会」は単数形です。確かに教会はあちこちにあり、各地に散らばっていますが、いくつもの教会に分かれているのではありません。主にあってみな一つの教会、公同の教会です。主イエス・キリストの教会は一つなのです。この一体感こそが世界に平和をもたらす大きな要因です。

 主の御降誕を待つアドベントの喜びの日々を過ごしていますが、世界にあるすべての教会の思いが一つになり、この世界に神の平和が来ますように、と心から願いお祈りいたします。

(牧師 常廣澄子)

聖書の引用は、『 聖書 新共同訳 』©1987,1988共同訳聖書実行委員会 日本聖書協会による