ローマの信徒への手紙8章1~17節 牧師 常廣 澄子 7章でパウロは、私たち人間の心と体(霊と肉)の分裂と戦いについて語りました。良いと分かっていることができずに、悪いと分かっていながらやってしまうという人間の中の矛盾や弱さを嘆いていました。ところがこの8章ではキリストの霊にある者の勝利と解放について語っています。登山に例えるならば、7章は頂上に向かっての急な坂道を登っていく苦しさに満ちていましたが、この8章では、やっと頂上に到達して周囲の山々や遠くに見える景色を眺めているような平安と喜びがあります。この8章は昔から多くの人に愛され、尊重され、その人生に深く影響を与えてきた個所です。しかしながら読んでお分かりのように、このところは順序を追った書き方ではなくて、話の主題が行きつ戻りつしているので、なかなかわかりづらいところがあります。しかし注目すべきことは、パウロが今まで述べたことを繰り返しているようでいながら、実際にはさらに新しい視点に立ち、主イエスを信じる信仰の頂点を示しているということです。
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                45 ローマの信徒への手紙
キリストにある命
 
                44 使徒言行録
皆、同じ人間
使徒言行録14章1~20節 牧師 常廣 澄子 私たちは今、使徒言行録を読みながら、パウロとバルナバの伝道の旅をたどっています。ピシディア州のアンティオキアで伝道していたパウロとバルナバは、13章50-51節にあるように、「13:50 ところが、ユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。13:51 それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。」迫害を受けてアンティオキアから追われてしまったのです。それでその後、アンティオキアの南東百数十キロメートルの所にあるイコニオンに行きました。
 
                42 ルカによる福音書
富の危険
ルカによる福音書18章18~30節 牧師 永田 邦夫 先週は、宝田豊先生をお迎えしての特別礼拝で、本当に多くの恵みをいただきました。心から感謝いたします。また志村教会出身の先生が、アメリカで約半世紀に亘って福音伝道をしておられることにも感動であり、また誇りでもあります。
 
                46 コリントの信徒への手紙一
主を愛する人たち
コリントの信徒への手紙 一16章13~24節 牧師 常廣 澄子 パウロがコリントの信徒に宛てて書いた長い手紙もようやく最後の結びの部分になりました。普通は結びの挨拶などはさっと読みすごしてしまいがちですが、パウロらしさが十分に現れた大事なところだと思います。ここには事務的な事がいろいろ書かれているのですが、その中にあってまず13-14節では最後の奨励として四つのことが勧められています。「16:13 目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。16:14 何事も愛をもって行いなさい。」これはコリント教会の人たちだけでなく、現代の私たちにとっても大切なことです。
 
                44 使徒言行録
救いは地の果てまで
使徒言行録13章44~52節 牧師 常廣 澄子 キプロス島での伝道を終えたパウロたち一行は、その後、海路小アジア地方に向かい、ベルゲに到着しましたが、そこからさらに奥地に向かって、ピシディアのアンティオキアに行きました。この町にはユダヤ人の会堂がありましたから、パウロとバルナバは安息日にその礼拝に参加しました。そしてそこの会堂司から奨励の言葉を語って欲しいと依頼されたパウロは、立ち上がって伝道説教をしたのです。
 
                42 ルカによる福音書
神の国に受け入れられる人
ルカによる福音書18章15~17節 牧師 永田 邦夫 本日もルカによる福音書からのメッセージをご一緒にお聞きして参りましょう。 この箇所は、マタイによる福音書にもマルコによる福音書にも並行記事がありますので、必要に応じてその箇所も参考としていきましょう。
 
                44 使徒言行録
パウロの説教
使徒言行録13章13~43節 牧師 常廣 澄子 前回はバルナバの故郷キプロス島での伝道の様子を見てきました。キプロス島では、ローマ帝国から遣わされていた総督が主の福音を信じてクリスチャンになったのです。大きな成果です。彼らはその素晴らしい成果をもって、送り出されたアンティオキア教会に戻って行ったかと思いきや、彼らはそこから小アジアの方に向かって伝道活動を進めていきました。
 
                49 エフェソの信徒への手紙
キリストによる平和
エフェソの信徒への手紙2章11~22節 牧師 永田 邦夫 本日、わたしたち志村バプテスト教会は、主日礼拝を平和礼拝として奉げています。振り返りますと、今年に入って当初の頃はマスコミから「戦後80年」という言葉をよく聞きました。あの第二次世界大戦が終わってからもう80年経った、よって今は、平和な時代になっていますよ、との意味を込めての言葉だったかもしれません。
 
                24 エレミヤ書
北から災いが来る
エレミヤ書1章11~19節 牧師 常廣 澄子 前回は、エルサレムの北東にあるアナトトという地で祭司ヒルキヤの子として生まれたエレミヤが、ある時、神から預言者としての召命を受け、以後40年間、神から託された言葉を語るために働いたことをお話ししました。しかしこのエレミヤ書は、エレミヤという偉大な預言者の伝記とか偉人伝のようなものではありません。確かにこの書には、エレミヤが神の言葉を語っていく中で同胞たちから疎まれ、命の危険にさらされ、その心に失意と大きな痛みを抱えながら生きて行ったことが書かれています。ですからエレミヤは「涙の預言者」「悲しみの預言者」とも言われていて、私たちは彼の生涯に引き付けられます。元東大総長の矢内原忠雄は、その著書「余の尊敬する人物」としてあげられている四人の中の一人にエレミヤをあげています。逆境の中でも恐れずに真実を語っていくエレミヤの強さと聖さに惹かれたのかもしれません。しかしエレミヤ書は彼のそういう生涯について書いてあるのでないのです。
 
                44 使徒言行録
はじめての宣教旅行
使徒言行録13章1~12節 牧師 常廣 澄子 お読みしているこの使徒言行録は、内容的にここで大きく二つに分かれています。今まで読んできた1章から12章までと、本日からお読みする13章使徒言行録 13章1~12節 牧師 常廣 澄子 お読みしているこの使徒言行録は、内容的にここで大きく二つに分かれています。今まで読んできた1章から12章までと、本日からお読みする13章から最後までです。前半では宣教活動の中心はエルサレムでしたが、ここから宣教活動の基点はアンティオキアに移っていきます。また、宣教の主役がペトロからパウロに替わっていきます。そして、宣教の対象もユダヤ人から異邦人(ユダヤ人以外の民)に移っていくのです。このようにしてすべての人に対する神の救いの計画が着々と進められ、主の福音の本質が明らかになっていくのです。主なる神を信じるキリスト教はユダヤ人という一つの民族だけのものではありません。この救いの神はすべての民族、すべての国民の神であることを伝えていくことが、この使徒言行録の目的でもあるのです。