使徒言行録

神の住まい

使徒言行録 7章44~53節 牧師 常廣澄子         この7章には、ステファノが語った長い説教が書かれています。これまで43節まで読んできました。本日もその続きから学んでいきたいと思います。このステファノは、十二使徒たちを助ける働きをするために、教会が選んだ「霊と知恵に満ちた評判の良い七人」の中の一人です。一般には初代教会の最初の執事として考えられています。6章8節にありますように、彼は恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを人々の間で行っていました。彼は弁舌にもたけていたようで「(6章9節)ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる『解放された奴隷の会堂』に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。(10節) しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった。」とあります。 そこで、彼らは次の11節にあるように、人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせて、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引きだしたわけです。その時、大祭司はじめ最高法院に連なる律法学者たちを前にして語ったのがこの7章です。

モーセとイエス

徒言行録 7章17~43節 牧師 常廣澄子           お読みいただいた個所は、ステファノが語った長い説教の中の一部分です。前回は16節までを読んで、栄光の神についてお話ししました。アブラハムを導かれた神は、妬みによって奴隷として売られたヨセフの人生にも伴われ、遂にヨセフはエジプトの大臣となって、父ヤコブや兄弟たち、親族一同をエジプトに呼び寄せることになったわけです。そして17節にありますように、その後、イスラエルの民はどんどん増えて大きな民となり、エジプト中に広がっていきました。

栄光の神の導き

使徒言行録 7章1~16節 牧師 常廣澄子           おお読みいただいた個所は、新共同訳聖書では、その段落のタイトルが「ステファノの説教」となっています。2節から53節まで、ステファノが語った実に長大な説教が書かれているのです。これは、すぐ前の6章11節~14節に「そこで、彼らは人々を唆して、『わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた』と言わせた。また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。『この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」と書かれているように、ステファノは、エルサレム神殿とそれにまつわる儀式や律法に逆らって神とモーセを冒涜したと偽証されて捕らえられてしまったのですが、連れて行かれた最高法院で、大祭司や居並ぶ律法学者たちを前にして、堂々と弁明したのがこの演説なのです。使徒言行録には、この他にもペトロが語った説教や、パウロが語った演説がありますが、その中でもここで語られたステファノの説教が一番長いものです。

一人ひとりに与えられた

使徒言行録 2章1~13節 牧師 常廣澄子           本日はペンテコステ(聖霊降臨)の感謝礼拝です。お読みいただいたところには、イエスが天にお帰りになる前、弟子たちに約束されていた聖霊が降って来た様子が生き生きと書かれています。それまで恐れと不安の中で隠れていた信徒たちは、この出来事の後、聖霊に満たされて見違えるように大胆に主の福音を語り始めました。そしてそこに、教会という神を礼拝する民、福音を伝道する共同体ができていったのです。それで、ペンテコステ(聖霊降臨)が教会の誕生日だと言われるようになりました。

霊と知恵に満ちた人

使徒言行録 6章1~15節 牧師 常廣澄子           本日は、昨年秋から始められた教会の補修工事が無事に完了したことを感謝しての礼拝です。今、約半年間にわたる一連の工事の経過をお話しいただきましたが、教会のいろいろな業はすべて、神の御手の中にあることを思わされています。私たちの教会堂が立っている土地は高い擁壁で支えられていますが、この擁壁は建設されてから長い年月が経って劣化が目立ってきたので、ずっと心配していろいろと対応を話し合ってきました。しかしこのことを相談できるところがなかなか見つからなかったのです。ところが昨年の初め頃、不思議な導きで擁壁専門の会社との出会いがあり、私たちが当初考えていた以上にしっかりときれいに補修・補強工事を行うことができました。擁壁だけでなく教育館跡地の整地も含め、見違えるようにきれいになりました。これは私たちの祈りを聞かれた主が助け導いてくださったのだと心から感謝しています。続いてテラス側の柱の補強がなされ、屋根や外壁の補修と塗装が終わり、このようにきれいな教会堂になりました。教会堂の内部はそのままですが、私たち一人ひとりがその内部をつくっていることをしっかり覚えて、主の愛と御霊に満ちた教会でありたいと願っております。教会は主なる神のおからだであります。

神から出たもの

使徒言行録 5章17~42節 牧師 常廣澄子         イエスが復活されて天に上げられた後、聖霊が降りました。その聖霊を受けた使徒たちは生き生きと力あるしるしや奇跡を行い、主を信じる者がどんどん増えていきました。そういう中で、前回お話したアナニアとサッピラ夫妻の事件が起こったわけですが、これは教会内部で始めて生じた罪と裁きの出来事であり、すべての人に非常な恐れが生じました。しかしこの事件によって、初代教会が主の霊に満ちたどれほど聖い集まりであったかがわかったのです。ですからこの事件は初代教会に対するつまづきどころか、神の前に正しく生きようとする人々に畏敬の念を覚えさせました。人々はソロモンの回廊に集まって集会を開いていた信徒たちを称賛していました。エルサレムだけでなく付近の町や村からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れてきたのですが、使徒たちの手によって一人残らずいやされました。初代教会や使徒たちが人々に与えた影響がいかに大きかったかがわかります。

多くの奇跡

使徒言行録 5章1~16節 牧師 常廣澄子           天に挙げられたイエスに代わって聖霊が降ったペンテコステの出来事の後、ペトロを中心とした弟子たちは力強く主イエスへの信仰を証しして、主の教会を形作っていきました。神殿においては、生まれながら足の不自由な男の人を立ち上がらせるという驚くべき奇跡がなされ、議員や長老や律法学者たちというユダヤの権力者たちの迫害にも屈せず、大胆に救いの言葉を語り続けた

熱心な祈り

使徒言行録 4章23~37節 牧師 常廣澄子         警察や裁判所と聞くと、皆さんはどんな思いを抱かれるでしょうか。私たちは何も特別悪いことをしたわけではありませんが、警察や裁判所というところにはあまり行きたくないのではないでしょうか。何の覚えもないのに、ある日突然無実の罪で捕らえられたり、何らかの嫌疑を受けて逮捕され、長期間にわたって拘留されてしまったという恐ろしい事件を耳にすると、どうしてそういうことが起きるのだろうと疑問を感じることがあります。人を陥れる何らかの謀り事がめぐらされたのではないかと思ってしまいます。人間社会ではいつの時代でもそういうことが起こり得ます。

救いを与える名

使徒言行録 4章1~22節 牧師 常廣澄子          2023年最後の礼拝となりました。この一年を感謝しながら、今朝も聖書から私たちの命の糧である御言葉をいただきたいと思います。 前回は3章のところをお読みしました。神殿に詣でたペトロとヨハネが、生まれながら足の不自由な男の人を立たせて歩かせたという驚くべき出来事に驚いて、大勢の人々が弟子たちのいた「ソロモンの回廊」と呼ばれる所に集まって来たので、ペトロは神の御業について熱く語った場面でした。イエスが十字架に架けられた時には、「イエスなど知らない」と逃げ惑っていたペトロでしたが、この時は、大勢の人を前にして見違えるように堂々と語りました。

ペトロの説教

使徒言行録 3章11~26節 牧師 常廣澄子         前回はペトロとヨハネが午後3時の祈りに神殿に上って行った時のことをお話ししました。ペトロは、神殿の「美しい門」の所で施しを乞うていた、生まれながら足の不自由な男を見て、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。」と言って彼の右手をとって立ち上がらせたのです。癒された男は躍り上がって立って歩きだし、神を賛美しながら二人と一緒に神殿に入っていきました。そしてその後も弟子たちに付きまとっていました。