2021年07月

主に信頼する者

幸いなのはいったいどういう人だと言っているのでしょうか。それは「背きを赦された人」「罪を覆っていただいた人」「主に咎を数えられない人」「心に欺きのない人」です。つまり神から罪を赦されている人は幸いだと語っているのです。注意していただきたいのは、罪のない人が幸いだとは言っていないのです。罪がないのではありません。誰にでも罪はあるのです。罪はあるけれども赦されている。主に咎を数えられないでいる、罪を数えられないでいる人が幸いだということです。

人生の堅固な足場

まずこの手紙が二度目の手紙であることを示してから、この手紙を書いた目的を語っています。それは「(1節)あなたがたの記憶を呼び起こして、純真な心を奮い立たせたいから」「(2節)また聖なる預言者たちがかつて語った言葉(旧約聖書全体)と、あなたがたの使徒たちが伝えた、主であり救い主である方の掟(イエスの福音)を思い出してもらうため」だと言います。あなた方が信仰に入った時の純真な心を思い出し、教えられていたことをもう一度思い起こして主の再臨を待ち望む生活をしてほしいということです。

ヘブライ人への手紙

仮住まいの者

ヘブライ人への手紙は「手紙」という題になっていますが、中身はむしろ「説教」というべきもので、それが手紙の形で届けられているのです。この手紙は小アジア(今のトルコ)の各地に住んでいたユダヤ人キリスト者に宛てて書かれたものだと考えられています。当時、キリスト教徒はユダヤ教とは異なる教えであると考えられ、ローマ皇帝を礼拝せず、キリストだけを主として崇めていることを非難され迫害されていました。そしてその厳しい迫害のために、キリストを信じている者たちの中には、信仰を捨てる者が現れたり、教会の集まりを止めたりする人々が出てきたのです。

罪の赦し 病の癒し

ルカによる福音書からの説教が続いておりまして、本日の説教は、標題の通りですが、直前までの流れの大筋を確認しますと、ガリラヤ伝道たけなわの中で、主イエスはカファルナウムにおられたとき、さらに巡回宣教の拡大の抱負を語られました(4章43節)。そして、漁師のシモン・ペトロ、ゼベダイの子ヤコブ、ヨハネたちを弟子として招かれ(5章1節~11節)、さらに本日箇所の直前では、“重い皮膚病の人の癒し”(5章12節~16節)をされ、そして、本日箇所へと進んできました。

神の慈しみに生きる者

今朝の御言葉は詩編16編からです。この詩には、異教の風習が強要される異国の支配下にあるにも関わらず、真の神への確固とした信仰を持って歩む詩人の姿が美しい言葉で歌われています。始めに「ミクタム・ダビデの詩」とあります。ダビデを冠する詩編は数多いのですが、ある聖書学者によれば、この詩の内容から考えて、ダビデがサウル王に疎まれ、追われて逃げ惑っている時に作った歌の一つではないだろうかとも言われています。