ローマの信徒への手紙11章25〜36節
ローマの信徒への手紙の9章~11章は、“全人類の救い”を大きなテーマにしておりまして、11章25-26節「すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われるということです。」はその結論に当たります。
そして、神に先に選ばれたイスラエル、および異邦人が、御子イエス・キリストを通して与えられた福音に、どのように応えてきたか、また一方、神はその両者すなわち、イスラエルと異邦人をどのように救いへと導いて来られたか、これが全体の内容です。
では結論に至るまでの全体の要点を先に確認しておきましょう。9章の冒頭で著者パウロは、心の内にある同胞イスラエルの現状を思い、心の痛みを吐露しつつも、偉大な神への賛美で始まり、そして、11章の最後も神賛美で終わっています。要するに“全人類の救い”は人々には計り知れない神の大きな計画の中にあって、恵みと憐れみに満ちた出来事なのです。では要点を見ていきます。
- イスラエルは、先に神に選びを受けた民であることには、今もずっと変わりはない。
- イスラエルが福音を拒んでいる間に、異邦人が先に福音に達したが、それは一途な信仰のゆえであり、一方のイスラエルは、出エジプトと民族の結束のために与えられた律法を守って、自分の力でそれを行うことによってのみ、神の義が得られると思い込んできたために、いまも福音に達していないのである。
- 福音は、まず宣べ伝える人がいて、人は伝えられたみ言葉を聞いて信じ、受け入れて信仰者となるもの。したがって、始めに福音を宣べ伝えるその人の姿は、美しく賞賛に値する。
- イスラエルは福音のみ言葉を聞いたことがなかったか?そんなことはない。先に福音を信じた異邦人への妬みの心を起こさせ、異邦人がみな信じたのちイスラエルも信じる者となるのだ。
- では、イスラエルは退けられてしまったのか。そうではない。さらに旧約の預言者エリヤの例を挙げ、エリヤは偶像礼拝の預言者に勝利したものの、その仕返しを恐れ、“自分一人だけが残された”、と訴えたが、神は、“わたしは七千人を残しておいた”と神の大きな愛と、その計らいの大きさを告げ知らせたのである(これは“残りの者”の考え方の発祥である)。
そして11章25節以降の結論に入りまして、“神の秘められた計画(奥義)を知ってほしい”、として、「一部のイスラエル人が頑なになっているのは、異邦人全体が救いに達するまでであって、こうして全イスラエルが救われるということです。」すなわち全人類の救いがそこに達成するのです。と言います。そしてさらに、すべての人は、不従順の状態から、神の恵、福音へと導かれているのです、と結んでおります。
結び「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように。アーメン。」。神賛美の言葉へとわたしたちも導かれて参りましょう。
(牧師 永田邦夫)