2021年10月

神の真実

「コリントの信徒への手紙」は、パウロがコリントにある教会に宛てて書いたものです。このコリント教会は、パウロが第二回伝道旅行の時にこの地を訪れ、約一年半程滞在した時につくった教会です(使徒言行録18章参照)。パウロはその後エフェソに移りましたが、そこへコリントからやって来たクロエの家の人たちから、コリント教会の中で争いがあると聞いたものですから(1章11-12節参照)驚いて早速この手紙を書いているのです。パウロはコリントを去ってからも、この教会のことを思って祈り、心を砕いて関わっているのです。

正義と恵みを求めよ

職業的預言者でも何でもなかった南ユダの国に住む一介の牧者にすぎないアモスが登場して神の言葉を預言したのです。アモスはこの繁栄の陰にある罪を指摘しました。ここでアモスは「主の日」について語っています。「主の日」は神の正義が誰の目にも明らかなものとして示される時です。正義がなされる時には悪は裁かれます。アモスはイスラエルが神の前に悔い改めて生きること、主を求めて生きるようにと勧めているのです。悔い改めて主を求めて生きないならば、必ずイスラエルに主の裁きが臨むのだと語りました。

自分を鍛える

テモテは、ユダヤ人の母とギリシア人の父の家庭に生まれた人です。彼はキリスト者であった祖母ロイスと母エウニケの信仰を受け継いでキリストへの信仰を持つようになりました(テモテへの手紙二1章5節)。そしてパウロが二回目の伝道旅行でリストラを訪れた時に、そこの教会で大変評判の良かったテモテに会って、伝道旅行に同伴するようになったのです(使徒言行録16章1〜3節)。

手の萎えた人のいやし

「ある日、イエスが教えておられるとき、長年、中風を患っていた人を、仲間内で床に乗せイエスさまの許に運んで来ましたが、家の中に入ることができず、屋根から吊り降ろして、イエスの前に辿り着いたのをイエスはご覧になって、『人よ、あなたの罪は赦された』と言われたことで、一悶着(ひともんちゃく)はあったものの、更に、イエスさまの癒しと、励ましのお言葉によって、その中風の人が癒されたことに、人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた」と、5章17~26節にありました。

嘆きを聞かれる神

この6編は、キリスト教の伝統の中では七つある「悔い改めの詩編」の中の一つです。しかしながら読んでいただくとお分かりのように、ここには何かを悔い改めている言葉がありません。直接的に罪を告白しているようなところもありません。ただ2節や3節を読んでいきますと、「怒ってわたしを責めないでほしい、憤って懲らしめないでほしい。」と願う間接的な祈りがありますから、ここに罪の告白があると読み取られているのです。どうもこの詩人がなしたことを主が怒っておられ、その憤りによって自分は懲らしめられている、と告白しているようです。ですからここには詩人の深い罪意識があり、この詩には悔い改めや懴悔の気持ちが込められていると考えられているのです。