エフェソの信徒への手紙 5章15~20節 牧師 常廣澄子 本日は賛美礼拝ということで、ハンドベルの皆さまによる讃美歌の演奏、また三人の方々には賛美とお話をしていただきました。皆さま、本当にありがとうございました。今私達は本当に豊かな時間を過ごしています。神を賛美する時、賛美する者も聞く者も、共にその心が神に近づけられ、神の高みに引き上げられていくからです。本日の招詞(詩編66編1-4節)では「神に向かって歌え」と呼びかけられました。また詩編33編1節には「主に従う人よ、主によって喜び歌え。主を賛美することは正しい人にふさわしい。」とあります。これは、「時々は主を賛美しなさい」というのではなく、「賛美こそ信仰者の生活の中心になるべきものである」ということなのです。
2023年09月
エフェソの信徒への手紙
詩と賛美と霊歌によって
ローマの信徒への手紙
思うことと行うこと
ローマの信徒への手紙 7章7~25節牧師 常廣澄子 私達は今朝もこうしてご一緒に主なる神を礼拝するために集まっています。真の神を信じる者とされ、日々その神に導かれ、助けられ、守られて過ごせることを心から感謝したいと思います。ところで、このような恵み豊かな信仰の旅路を歩んでいる私達ですけれども、神を信じる者の生活がいつも平安と喜びで満たされているとは限りません。
ルカによる福音書
主の祈り
ルカによる福音書 11章1~4節 牧師 永田邦夫 本日も、主の日の礼拝に共に招かれましたことを感謝いたします。そして本日も引き続いて、ルカによる福音書からのメッセージをご一緒にお聞きして参りましょう。本日は、「主の祈り」について、皆さまと共に考え、そして分かち合うことができますようにと、願っております。
使徒言行録
ひたすら心を合わせて
使徒言行録 2章37~47節 牧師 常廣澄子 前回は主の御霊を受けたペトロが、堂々と説教するのを聞いてまいりました。ペトロが語った説教は、人間は罪深い者だから神を信じなさいというような一般的なことではなく、一つの明確な告知でした。ペトロはまず、今目の前で起きている聖霊降臨の現象を、これはヨエルが預言していたことの成就なのだと説明しました。そして、ナザレのイエスは、数々の力ある業や奇跡やしるしによって、御自身が神から遣わされた者、つまりメシアであるということを繰り返し示したにもかかわらず、人々はイエスを十字架につけて殺してしまったということ。しかし神はこのイエスをよみがえらせたのだということを伝えました。そして詩編16編を引用して、このことについてはダビデも予見していたことであったと語り、詩編110編の御言葉を通して、今やイエスは神の右の座に高くあげられたのだと語ったのです。