ヨハネの黙示録

神の激しい怒り

ヨハネの黙示録 16章1~21節 牧師 常廣澄子        ご一緒にヨハネの黙示録を読み進めていますが、黙示録に書かれている御言葉を語っていくのは大変難しいことです。この御言葉が私たちに伝えようとしていることはいったいどういうことなのか、実際のところ、それはなかなか理解しがたくてわからないことがたくさんあるからです。しかしながら、ヨハネが見た幻は、信仰を持って生きる者への励ましであり、イエスが勝利者として今天におられ、私たちを導いておられることを心から感謝したいと思います。

神の怒りと裁き

ヨハネの黙示録 15章1~8節 牧師 常廣澄子        グローバル世界に生かされている私たちは、日々、新聞やテレビやインターネット等の情報で、考えられないような事件や出来事を目や耳にするようになりました。世界では今のこの時も戦争が続けられ、各地で悲惨な恐ろしい出来事が起こり、何の罪もない多くの人たちが殺されています。人間世界に起こっているこの戦争というおぞましい出来事はいつまでたっても収束に至りません。残念なことに、世界の平和のために設立された国際連合は、当事国の反対や拒否権によって現状では正常に機能していません。こういう状況を見捨てておけないと、多くの国々が立ち上がり、多くの人たちが反対を叫んでいますが、どうにもならない状況に陥っています。ニュースを見る度に、ただただ無力感を感じてしまうことが多々あります。

刈り入れの時が来た

ヨハネの黙示録 14章14~20節 牧師 常廣澄子      先ほど、新生讃美歌601番を賛美しました。「やがて天にて、喜び楽しまん、君にまみえて勝ち歌を歌わん」と。この賛美には、主に結ばれて死ぬ者の幸いが歌われています。前回説教した御言葉から、ヨハネの黙示録14章13節をお読みします。[またわたしは天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ者は幸いである』と。」“霊”も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」]

行いは報われる

ヨハネの黙示録 14章6~13節 牧師 常廣澄子        元旦に能登半島で起きた大きな地震の被害は甚大で、もう三か月を過ぎましたが依然として水道が使えず、不自由な避難所生活をされている方々もたくさんおられ、まだまだ復旧作業が進んでいません。そういう中、先日は台湾でも大きな地震が起こりました。このような地震や津波という自然災害だけでなく、人為的な災害である、国と国との争いや戦争が世界各地で今なお止むことなく続けられています。爆弾を投げ落とされて廃墟となった町や、住む家を追われた人々が難民となって、悲惨な苦しい生活を余儀なくされている有様を見ますと、「神よ、どうか一日も早くこの世に神の国を来たらせたまえ」と祈らざるをえません。今この地球上で起こっている、これら人間世界の有様を私たちはどのように受け留めたら良いのでしょうか。

天から響く歌

ヨハネの黙示録 14章1~5節 牧師 常廣澄子        13章では、天から地上に投げ落とされた竜が、凶暴な二匹の獣の姿になって荒れ狂う様を見てきました。この14章に入ると、ヨハネは一転して天上での新しく光り輝く礼拝の幻を見ています。その中央にいて、崇高な勝利の座についておられるのは、神の小羊、イエス・キリストです。そしてそれを取り囲んでいるたくさんの聖徒たちが讃美をもって礼拝しているのです。

惑わされないように

ヨハネの黙示録 13章11~18節 牧師 常廣澄子      ご一緒にヨハネの黙示録を読み進めています。いつも同じことを言うようですが、ここに描かれているいろいろな場面や状況は何とも奇妙でなかなか理解できません。しかし何かしら感じる所があるのではないかと思います。七つの封印で封じられ、誰も開くことも見ることもできなかった巻物は、小羊イエスによって開かれていきました。そして、最後の第七の封印が解かれ、七人の天使が次々と吹き鳴らすラッパの音とともに明らかになって来たのは、神を離れた罪の心で生きる人間の有様、人間世界の不義の姿です。封印が解かれたということは、現実の有様をしっかり見させたということではないでしょうか。

悪しき力との戦い

ヨハネの黙示録 13章1~10節 牧師 常廣澄子        ヨハネの黙示録には、いったいどういうことをいっているのか想像できないような場面や、奇妙な怪物が出てきたりしますので、ただ漠然と読んでいても良くわかりません。けれども少しずつ考えながら読み進めていきますと、この書物は今私たちが生きている世界がたどってきた歴史や流れを生々しく映し出しているように思われます。そして今日の人間世界の有様を見抜き、その問題点を指摘しているようにも思われるのです。繰り返しくりかえし「耳ある者は聞くが良い。」とか「耳ある者は聞け。」と言われていますように、この文書を読む者は、しっかり耳を開いて聞きとる者とそうでなく聞き流す者、しっかり聞いて理解する者とそうでない者がはっきりしてくるのではないでしょうか。

天の戦い

ヨハネの黙示録 12章7~18節 牧師 常廣澄子        今までに繰り返し語ってきましたが、「ヨハネの黙示録」が書かれた時代は、キリスト者が迫害され、皇帝礼拝や偶像礼拝が強要されるような大変厳しい時代でした。その苦しさと生きづらさのゆえに、キリストへの信仰を持って生きるということを断念する者もあったようです。また周囲からキリスト信仰を捨てるように強いられたりもしました。そういう時代ですから、普通に読んでもわからないような表現を用いて書かれ、ただ聖霊によってわからせていただいたのです

大きなしるしが現れた

ヨハネの黙示録 12章1~6節 牧師 常廣澄子        聖書の中でも、ヨハネの黙示録は読んでいて、大変わかりにくくて理解しにくいところがたくさんある文書です。それは当時、キリスト教会が始まったばかりの頃はいろいろな迫害がありましたので、普通に書いたのではすぐにわかってしまいますから、わざと読んでもわからないように書かれているからです。けれども、著者ヨハネが神の霊に導かれて、天に引き上げられて見たその映像は、まるでコンピューターグラフィックで描かれたように精密な情景だったようで、それを伝えているヨハネの文章はまるで現実にそこにいるかのように生々しいものがあります。

天の神殿が開かれた

ヨハネの黙示録 11章15~19節 牧師 常廣澄子      8月に入りました。8月は平和を思う月です。それは78年前の8月6日と8月9日に、恐ろしい原子爆弾が広島と長崎に投下され、一瞬のうちに数えきれない多くの人の命が奪われ、数えきれない多くの人が悲しみと苦しみを背負って生きていかねばならなくなったという事実があり、戦争の悲惨さや愚かさを思うからです。私達は二度と同じ間違いをしてはならないと慰霊碑の前で平和を誓っています。しかし、世界では今も各地で争いが続いています。昨年2月に勃発したロシアとウクライナの戦争は、一年半を経過した今も終わりが見えない状況です。遠く離れた日本に暮らしている私達にとっても本当に心痛む日々であり、そのニュースは今も連日世界中をかけめぐり、一日も早い終息を願う祈りに満ちています。