エレミヤ書1章1~10節 牧師 常廣 澄子 エレミヤは悲しみの預言者、あるいは苦難の預言者と言われています。レンブラントが描いたエレミヤは、左手で頬を支え、洞窟の壁に寄りかかっているのですが、神の言葉を語るという、自分に課せられた預言活動の空しさを思っているのでしょうか、神の言葉に心を留めない傲慢な人間に対しての諦めのようなものが感じられます。システィーナ礼拝堂の天井画には、ミケランジェロが描いたエレミヤの姿があります。ここに描かれたエレミヤは、肩幅広くがっしりしているのですが、右手で顎を抑え、大きな重荷を負わされて何か考え込んでいるかのように見えます。とにかく、エレミヤが預言活動をしていた時代、人々は皆、彼の預言を馬鹿にして無視し、神の言葉をおろそかにしたために遂に国が滅んでしまったのです。
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24 エレミヤ書
万国の預言者

44 使徒言行録
祈りの答え
使徒言行録12章1~19節 牧師 常廣 澄子 本日は19節までしかお読みしませんでしたが、実は12章1節から24節は、バルナバとサウロの旅行記事に挟まれた挿入文だと考えられます。それはまず11章29-30節で、アンテオケ教会からの援助の品をバルナバとサウロがエルサレムの長老たちに送り届けたことが書いてあり、12章25節で「バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰って行った。」と結んでいることからわかります。そして何よりもここには「12:24神の言葉はますます栄え、広がって行った。」とあり、アンテオケ教会の発展に負けず劣らず、エルサレム教会においても、神の言葉が立派に前進していったことが書かれているのです。ではその力はどこから来ているのでしょうか。その一つの出来事として、ペトロの投獄とそこからの脱出事件が書かれているのではないかと思います。

46 コリントの信徒への手紙一
助け合う教会
コリントの信徒への手紙 一16章1~12節 牧師 常廣 澄子 コリントの信徒への手紙一の最後の章になりました。パウロの長い手紙もいよいよ終わりです。パウロはここまでずっと、コリントの教会からの質問に答えながら、ある時は警告を発し、ある時は勧めをなし、いろいろと教えを説いてきました。このあたりでだいたい語るべきことを語ってきたようで、そろそろ締め括りに入ろうとして、幾つか事務的な事に触れています。15章でのパウロは、息もつかせぬような見事な復活賛歌を語って読む者を感動させましたが、この16章では、交響曲の終楽章のように静かに語っています。

44 使徒言行録
聖霊の降臨
使徒言行録2章1~13節 牧師 永田 邦夫 本日は、ペンテコステ(聖霊降臨)礼拝です。はじめに、ペンテコステ、すなわち五旬祭の起源について説明しておきます。 ユダヤには大きな祭りが三つありました。それは過越祭、五旬祭そして仮庵祭です。この中で、本日の説教に関連します五旬祭は、過越祭(出エジプトを記念して定められた祭)から数えて50日目に当たることから命名されました。

66 ヨハネの黙示録
イエスよ、来てください
ヨハネの黙示録22章8~21節 牧師 常廣 澄子 2022年から月に一度のペースで読んできたこのヨハネの黙示録は、本日で結びの部分となります。ここは黙示録の最後であり、新約聖書の最後にあたります。迫害を受けていた初代教会の人たちはこの書物を通して何を聞き取っていたのでしょうか。彼らは最も神の御言葉が届けられにくい時代、御言葉を聞き取りにくい困難な時代を生きていた方々です。そういう時代にあって、ヨハネが見た幻をもとに書かれたこの黙示録から、神の教えを学び、御心を聞いていたのです。

44 使徒言行録
クリスチャンの始まり
使徒言行録11章19~30節 牧師 常廣 澄子 私たちは今、使徒言行録を読みながら、イエスの死後、その教えがどのようにして世界に広がっていったのかを学んでいます。イエスは当時ユダヤを支配していたローマ帝国に反逆した人物として十字架で処刑されました。ですから、イエスを信じていた弟子たちは、次は自分たちの身にも危険が及ぶと察して、逃げたり隠れたりしていました。しかし、天に挙げられたイエスに代わって、聖霊が降り、信じる者に豊かに与えられましたから(その感謝の礼拝が来月6月8日のペンテコステ礼拝です。)、ステファノのように堂々とキリストへの信仰を語って殉教する者が現れたのです。

42 ルカによる福音書
神の王国の到来
ルカによる福音書17章20~30節 牧師 永田 邦夫 本日の説教箇所は、すでに示されていますが、これにさらに18章1節から8節までを加えますと、「人の子イエスが再び来られる日まで、あなたはその備えができていますか。その日まで信仰と忍耐をもって祈り続けなさい。」との一貫したテーマとなっています。

66 ヨハネの黙示録
命の水のほとりで
ヨハネの黙示録22章1~7節 牧師 常廣 澄子 先日はイースター(召天者を覚えて)礼拝に続き、その週の土曜日には教会の墓地で墓前礼拝が行われました。その時には歌いませんでしたが、天に帰られた方々を想って集まる時によく歌われる讃美歌に、新生讃美歌602番があります。1節の歌詞はこのようになっています。「まもなくかなたの 流れのそばで 楽しく会いましょう また友だちと 神さまのそばの きれいなきれいな川で みんなで集まる日の ああなつかしや」ここに出てくる「神さまのそばのきれいな川」というのが、今朝お読みした聖書個所の1節にある「水晶のように輝く命の水の川」のことです。

44 使徒言行録
神がきよめたもの
使徒言行録11章1~18節 牧師 常廣 澄子 お読みいただいたところには、10章に書かれていた出来事が繰り返して書かれています。つまり、カイサリアにいたイタリア隊の百人隊長コルネリウスが祈っていた時に神の天使が来て、ヤッファにいるペトロを招きなさいと語ったことと、一方、ヤッファにいたペトロにはお昼ごろに、あらゆる獣や鳥などが入っている大きな布のような入れ物が天から下りて来て、それを屠って食べなさいという声が聞こえた、という二つの出来事が発端となって、その不思議な幻について考え込んでいたペトロに対し、神の霊がためらわずに一緒に行きなさいと言ったので、ペトロはヤッファの兄弟たちを伴って、迎えに来たコルネリウスの部下たち三人と一緒にカイサリアのコルネリウスの家に行き、そこに集っていた家族や友人たち一同に福音を語りました。するとペトロから神の言葉を聞いた人々の上に聖霊が降り、神を賛美し始めたというのです。その人たちはすぐに洗礼(バプテスマ)を受けてクリスチャンになりました。

43 ヨハネによる福音書
悲しみが喜びに
ヨハネによる福音書20章1~18節 牧師 常廣 澄子 皆さま、イースターおめでとうございます。 今日はイエス様が、十字架の死からよみがえられ、復活されたことをお祝いするイースターです。このことは、神の御子イエス・キリストが、死に勝利して、私たち人間の罪の贖いを完成してくださったという素晴らしい出来事で、主イエスの救いを信じるキリスト教信仰の中心です。