ルカによる福音書 14章25~33節 牧師 永田 邦夫 ルカによる福音書の本日箇所について、共観福音書では、マタイによる福音書に僅か二行だけの記事があるのみですので、本日の説教箇所は、ルカによる福音書だけの独自記事とみてよいと思います。
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ルカによる福音書
自分の十字架を背負う
使徒言行録
ここに水があります
使徒言行録 8章26~40節 牧師 常廣 澄子 私たちが信じているイエス様は、私たちの罪を負って十字架に架けられましたが、そのまま死んでしまわれたのではありません。死を打ち破
ヨハネの黙示録
大いなるバビロンは倒れた
ヨハネの黙示録 18章1~24節 牧師 常廣 澄子 このヨハネの黙示録には奇妙な獣たちが出て来ますし、想像することが難しいような幻想的な場面がいろいろ描かれています。それはこの黙示録が、キリスト信徒たちが自由にものを言えなかった時代に書かれたので、こういう表現をとらざるを得なかったのです。そういう厳しい時代に、神の霊に導かれたヨハネが書いたものですから、それを聞く者も読む者も、神の霊に導かれなければ、これらの事柄の意味をほんとうに理解することはできないのだと思います。17章9節に「ここに、知恵のある心が必要である」と書かれていますが、これは神を信じ、神を崇め、神を畏れる知恵のことです。神が示されたこの出来事はいったい何を語っているのだろう、何とか理解したいと、神の前に謙虚に出て行く者に、神の御心が明らかにされていくのではないでしょうか。
使徒言行録
広がる福音
使徒言行録 8章1~25節 牧師 常廣 澄子 前回までのところで、私たちは教会史上最初の殉教者ステファノについてみてきました。ステファノの死とその最後の素晴らしい説教は、それを聞いていた人々に大きな影響を与えました。1節から3節まで、ステファノの死によって引き起こされた出来事が書かれています。
ルカによる福音書
謙遜の心
ルカによる福音書 14章7~14節 牧師 永田邦夫 本日箇所の冒頭7節には「イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。」とありまして、このたとえは14節まで続いています。また、出来事としては、14章に入りましてから、1節から24節までが一つの大きな流れをなしていますので、これを先に確認しておきましょう。
ヨハネの黙示録
キリストの勝利
ヨハネの黙示録 17章1~18節 牧師 常廣澄子 皆さまとご一緒に難解なヨハネの黙示録を読み進めていますが、今朝お読みした個所も、すぐには何が書いてあるのか解らないような箇所です。けれども、今まで読んできたことから考えると、少なくともここには終末的な場面が書かれているということが想像できます。 1節を見ますと、七つの鉢を持っている七人の天使の一人が来て、ヨハネに語り掛け、「ここへ来なさい。」と連れ出します。「(1節)さて七人の天使の一人が来て、わたしに語りかけた。『ここへ来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。(2節)地上の王たちは、この女とみだらなことをし、地上に住む人々は、この女のみだらな行いのぶどう酒に酔ってしまった。』(3節)そして、この天使は“霊”に満たされたわたしを荒れ野に連れて行った。わたしは、赤い獣にまたがっている一人の女を見た。」
使徒言行録
ステファノの殉教
使徒言行録 7章54~60節 牧師 常廣澄子 本日は、主にある平和を感謝し、世界の平和を祈り願う平和礼拝としてお捧げしています。本日は、ステファノの最後の場面を読みながら、平和について考えたいと思います。
ルカによる福音書
安息日のいやし
ルカによる福音書 14章1~6節 牧師 永田邦夫 本日は八月第一主日の礼拝です。この月も、主の御導きと、そして恵みを沢山いただきながら、皆さんと共に歩んでいきましょう。ところで、八月と言いますと我が国では、特に年配者にとっては、辛い経験や悲しい思い出が沢山ある月です。それは第二次世界大戦のことです。そして、今この時も世界には戦争や争いが続いています。どうか一日も早く、それらの戦争が終わりますようにと願うばかりです。
コリントの信徒への手紙一
復活の福音
コリントの信徒への手紙 一 15章1~19節 牧師 常廣澄子 私たち主を信じる者は毎日聖書を読みます。聖書が私たちの人生を導く指針であるからです。
テモテへの手紙二3章16節には、「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」と書いてあります。聖書が神の言葉であるということを語っているのですが、もう少し具体的に考えてみたいと思います。
使徒言行録
神の住まい
使徒言行録 7章44~53節 牧師 常廣澄子 この7章には、ステファノが語った長い説教が書かれています。これまで43節まで読んできました。本日もその続きから学んでいきたいと思います。このステファノは、十二使徒たちを助ける働きをするために、教会が選んだ「霊と知恵に満ちた評判の良い七人」の中の一人です。一般には初代教会の最初の執事として考えられています。6章8節にありますように、彼は恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを人々の間で行っていました。彼は弁舌にもたけていたようで「(6章9節)ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる『解放された奴隷の会堂』に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。(10節) しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった。」とあります。 そこで、彼らは次の11節にあるように、人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせて、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引きだしたわけです。その時、大祭司はじめ最高法院に連なる律法学者たちを前にして語ったのがこの7章です。