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あの方は墓にはおられない

神の御子イエス様は、この世で真の人として生きられ、病気の人々を癒し、貧しく弱く虐げられている人々に寄り添い、神の国の教えを語られました。そのイエスを亡き者にしたいという思いを抱いていたのは、当時、神殿体制を批判されて苦々しく思っていた祭司長や律法学者たちでした。そして、ただそのことのためだけに真夜中にユダヤの議会が招集され、夜が明けるとすぐにイエスを処刑するために、ローマ総督ピラトのもとに連れていったのです。そこで、ピラトは彼らに扇動された民衆の声に押されて、十字架にかける決断を下しました。

ナインの若者の蘇生

本日の説教は、夫に先立たれ寡婦となったナインに住む女性が、追討ちをかけられるように、いま一人息子が死に、悲しみと孤独のどん底に突き落とされている葬送の途中、主イエスさまがこれに出会われ、その息子を蘇生させる、という出来ごとがメッセージの中心です。

白い小石を与えよう

ペルガモンという地は、以前お話ししたスミルナの北方にある町の名前です。今までお話ししてきたエフェソやスミルナの方がこのペルガモンよりもずっと大きいですし、商業都市として交通も便利だったようですが、このペルガモンはローマ帝国が統治していた当時、アジア州の首都であったと言われています。ペルガモンには歴代皇帝を礼拝する神殿が数多く作られていたと言われ、政治と文化の中心地だったのです。皇帝礼拝だけではなく、いろいろな神々を祭る神殿がたくさんあり、そこでいろいろな祭儀が行われていたようです。特に有名なのがアスクレピオスという神の神殿です。これは蛇をその神の使いとして象徴していて、病気を治してくれることで有名な神であったようです。きっと毎日多勢の人々が訪れていたのでしょう。

良き管理者

パウロがコリントにある教会の信徒に向けて書いた手紙を読んでいますが、このコリント教会はいろいろな問題を抱えていたようです。アテネやコリントなどギリシアの諸都市にはアゴラという広場があり、人々はそこに集まってきて哲学やいろいろな知識を語り合い、互いに意見を戦わせていました。人々は学問や知識があることを誇りにしていましたし、学閥というのでしょうか、そういう学問をする人たちの間にはある種の派閥や党派があったようで、それが教会の中にまで入り込んできたのです。キリストへの信仰に導き入れられた後でもなお、そのような習性が現れてきてパウロを悩ましていたようです。3章でお読みしたように、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」といったようにグループができて、それぞれ党派心に燃え嫉妬や紛争となって教会を乱していたのです。

福音の力

ローマの信徒への手紙 1章14〜17節 ローマの信徒への手紙は16章まであり、様々な内容が含まれていますが、今朝お読みした個所は、ローマの信徒への手紙全体の内容を凝縮してまとめたものであるとも言えると思います

百人隊長の信仰

ルカによる福音書からのメッセージをご一緒に聞いて参りましょう。7章1節に「イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。」とあります。このカファルナウムは、イエスさまが故郷ナザレから場所を移し、そこで数々の説教をされた場所です。さらにその後イエスさまは、山に行き十二使徒選びをし、続いて、“平地に下りての説教”がありました。「幸いと不幸」、「愛敵の教え」、「人を裁くな」等々でした。

初めの愛

本日からしばらく、七つの教会に宛てた手紙を読んでいきたいと思います。これらはヨハネがキリストから託された手紙で、どの手紙にもその冒頭に「…の教会の天使にこう書き送れ」というように呼び掛けられています。それを語っておられるのは1節にありますように「右の手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方」キリストです。

真実な土台

パウロは神によって使徒としてたてられてからは、主の福音宣教のために3回にわたる大伝道旅行を試みています。交通の便の極めて困難な時代ではありましたが、シリアのアンテオケ教会を基点として、小アジアの全域をめぐり、マケドニアやアカヤ(今のギリシア)、そしてローマへと地中海を巡る諸国に主の福音を語っていきました。パウロは一か所にあまり長く滞在することはなくて、もっぱらその地に教会の土台を据えることに力を注いだのです。

使徒とされた者

聖書は古代から人類の歴史に深く関わってきた書物ですが、その中でもこのローマの信徒への手紙ほど大きな影響を与えた文書はないと言われています。アウグスティヌスをはじめとする初代教父たちや、宗教改革期のカルヴァンやルターたちを経て、現代の多くの神学者たちに至るまで、キリスト教の発展に寄与した人たちはほとんどこの手紙から大きな神の霊感を受けました。

人を裁くな

ルカによる福音書からのメッセージが続いておりますが、本日箇所は、6章37節から42節までです。先に、本日箇所に至るまでの流れを簡単に確認してから、本日箇所に入りましょう。イエスさまは、十二使徒選びの後、平地に下り、本格的な伝道に入られましたが、集まって来た、大勢の弟子たちを見て、「あなたがたは」と、親しく呼びかけながら「幸い」とされる人々、「不幸」とされる人々について教えられました。すなわち、「今貧しい人々、今飢え渇いている人々、今泣いている人々、あなたがたは、人の子すなわち、このわたしを信じ、従うゆえに、今は苦しんでいるかも知れない、しかし、天では大きな報いがあり、御国に招かれ、そこに、あなたたちの居場所が用意されている。そのため、あなたがたは『幸い』である。」逆に、「今富んでいる人、満腹している人、笑っている人は、先の人々のように、やがて受けるであろう幸いを、すでに受けてしまっている、だから、あなたがたは『不幸である。』」と言われたのでした。