新約聖書

価値ある行い

私たちが真の神に立ち返り、主を信じてその御言葉に従って生きていく時、主はしっかり私たちを支え、力強い御手でその歩みを導いてくださいます。主を信じる者の生活には神の愛が宿っていますから、その生活には力があります。ですから信仰を持つということは力ある生活をすることでもあります。

新しいものが生じた

私たち、主を信じる者は皆、主の霊によって新たに生まれた者です。主なる神は信じる者一人ひとりの人生を豊かに祝福し、日々新しい命を与えて、助け導いていてくださいます。「(17節)キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」とあるとおりです。ここで「キリストと結ばれる人」とありますが、主なる神を信じる者は、神との交わりを回復された者、神と結ばれた者なのです。

あふれるほどのキリストの祝福

初めに本日箇所の概要を見ておきましょう、使徒パウロは、長いことローマ行きを願い続けてきましたが、“いよいよその時が来た”と思いつつも、はやる気持ちを抑えながら、イスパニアへ行く途中でそちらに立ち寄ります、と告げます。しかし、その前に自分には果たさなければならない大仕事があります。それはエルサレム行きです。そのことを無事に済ませてから、そちらに行きます。どうかそのためにも、わたしと祈りを共にしてください、との懇願をもって閉じている、それが本日箇所です。段落的には、自身の行動予定を初めの22節~29節に、そして、祈りについてのお願いが、後半の30節~33節となっています。

御足の跡を

ここでは、ペトロが「召し使いたち」と呼び掛けています。(口語訳聖書では「僕たる者よ」)この召し使いというのは「家に属する奴隷」(ギリシア語ではオイケタイ、一般的な奴隷はドウロス)という意味です。奴隷という言葉を聞きますと、ストー夫人が書いた「アンクルトムの小屋」等に出てくる鎖につながれ鞭で打たれて酷使されている人々を想像しますが、この当時の奴隷には医者も教師もいましたし、会計を預かったりしてご主人の大切な仕事を任せられている人がたくさんいたのです。

実のならない木

ルカによる福音書 13章1〜9節 近年、地球規模で気象が大きく変化していて、自然災害が多くなりました。地震や津波や大雨の被害等で多くの方が大変な被害を受け、苦しんでおられます。今は新型コロナウイルスという疫病

神のために働く誇り

この14節では、「兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。」とあります。この節は、先ずパウロが、宛先のローマ教会の人々に対して、親愛の情を込め、コミュニケケーションを図りながら、手紙の纏めに入ろうとしている様子を読み取ることができます。因みにこの節は、原文で「わたしの兄弟たち、わたしはあなたがたについて、次のことを確信しています。」となっています。しかも、“わたしの兄弟たち”という言葉は、ローマ書ではここにしか出てこない言葉です。 ではどのように、ローマ教会の兄弟姉妹たちを信じ切っているのか、を見て参りましょう。

愛の勝利

主の日の礼拝は神の国の雛型であると言われています。教団讃美歌191番(新生讃美歌339番)の歌詞には、「世に残る民、去りし民と、共に交わり、神を仰ぎ、永久の安きを待ち望みて、君の来ますをせつに祈る」とあります。この歌詞のように、主の日の礼拝はここに集っている私たちと、先に召された方々とがいっしょに捧げている礼拝なのです。今、この時、天上では、神に仕えている天使たちと先に天に帰られた方々の賛美が満ちていると思います。

神の僕として

私たちはこの礼拝に集い、イエスを信じる信仰に生きていますが、私たちがこの地上に生きている限り、家庭や職場や学校など具体的な生活の場において、さまざまな社会問題と関わらざるを得ません。そういうことは政治的領域と言っても良いかもしれません。日本の国に生きていれば、この国の政治に無関心でいるわけにはいかないのです。しかし、信仰的な話題と違って、政治に関しては個人個人の立場や考え方が異なります。教会と国家の問題は大変大切で避けて通れないものですが、その扱いは注意深くあらねばならないと思っています。

すべての民のための福音

ローマ書からの説教もいよいよ15章に入って参りました。そして、キリスト者の実践生活について、12章からずっと学び、そのメッセージをご一緒に聞いて参りましたが、15章はその締めくくりでもあります。なお、この個所は、1節から13節までが一つの段落ですので、そこからメッセージを聞いて参りましょう。

生きた石

ペトロの手紙2章のみ言葉から、神の教えを聞いていきましょう。まず1節は、「だから」という接続語で始まっています。これは1章23節「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。」を受けています。神を信じる者は新しく生まれたのだから、「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去りなさい」と言っているのです。神を信じるとは、神の家族の中に子どもとして生を受けたということですから、神の愛の中に生かされています。ですから神の愛に裏付けされる隣人愛や兄弟愛に反するような思いを捨てさるのは当然のことです。キリスト者として成長するためにはまず悪いものを捨てなくてはなりません。