パウロがコリントにある教会の信徒に向けて書いた手紙を読んでいますが、このコリント教会はいろいろな問題を抱えていたようです。アテネやコリントなどギリシアの諸都市にはアゴラという広場があり、人々はそこに集まってきて哲学やいろいろな知識を語り合い、互いに意見を戦わせていました。人々は学問や知識があることを誇りにしていましたし、学閥というのでしょうか、そういう学問をする人たちの間にはある種の派閥や党派があったようで、それが教会の中にまで入り込んできたのです。キリストへの信仰に導き入れられた後でもなお、そのような習性が現れてきてパウロを悩ましていたようです。3章でお読みしたように、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」といったようにグループができて、それぞれ党派心に燃え嫉妬や紛争となって教会を乱していたのです。
