神が選んだ器

使徒言行録 9章1~19a節 牧師 常廣 澄子           私たちは8章で、サマリアでの福音伝道や、エチオピアの高官の救いなど、御霊に満ちたフィリポの素晴らしい働きを見てきましたが、一方ではステファノの殉教をきっかけとして始まったキリスト教徒への迫害はますます激しくなっていました。この9章では迫害の急先鋒となっていたサウロに焦点が当てられています。しかしここでのサウロについての説明は、石を投げつけてステファノを殺した人たちが、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた(7章58節)ということと、彼はステファノの殺害に賛成していた(9章1節)という紹介記事があるだけです。

婚宴に招かれる者

ヨハネの黙示録 19章1~10節 牧師 常廣 澄子        お読みいただいた箇所には「ハレルヤ」という賛美が響き渡っています。「ハレルヤ」という言葉は、教会に行ったことがない人でも、どこかで聞いたことがあると思います。よく知られているのは「ハレルヤコーラス」ではないでしょうか。クリスマスの時期によく演奏されるヘンデル作曲の「メサイヤ」で歌われる大合唱です。この曲が1743年にロンドンで演奏された時、ハレルヤの合唱になった時に当時の国王ジョージ2世が感動して起立されたので、その場にいた聴衆も皆立ち上がったそうです。それ以来、ハレルヤコーラスの時には聴衆が起立して聞くような習慣が起こったのだと言われています。

自分の十字架を背負う

ルカによる福音書 14章25~33節 牧師 永田 邦夫     ルカによる福音書の本日箇所について、共観福音書では、マタイによる福音書に僅か二行だけの記事があるのみですので、本日の説教箇所は、ルカによる福音書だけの独自記事とみてよいと思います。

ここに水があります

使徒言行録 8章26~40節 牧師 常廣 澄子         私たちが信じているイエス様は、私たちの罪を負って十字架に架けられましたが、そのまま死んでしまわれたのではありません。死を打ち破

大いなるバビロンは倒れた

ヨハネの黙示録 18章1~24節 牧師 常廣 澄子        このヨハネの黙示録には奇妙な獣たちが出て来ますし、想像することが難しいような幻想的な場面がいろいろ描かれています。それはこの黙示録が、キリスト信徒たちが自由にものを言えなかった時代に書かれたので、こういう表現をとらざるを得なかったのです。そういう厳しい時代に、神の霊に導かれたヨハネが書いたものですから、それを聞く者も読む者も、神の霊に導かれなければ、これらの事柄の意味をほんとうに理解することはできないのだと思います。17章9節に「ここに、知恵のある心が必要である」と書かれていますが、これは神を信じ、神を崇め、神を畏れる知恵のことです。神が示されたこの出来事はいったい何を語っているのだろう、何とか理解したいと、神の前に謙虚に出て行く者に、神の御心が明らかにされていくのではないでしょうか。

広がる福音

使徒言行録 8章1~25節 牧師 常廣 澄子           前回までのところで、私たちは教会史上最初の殉教者ステファノについてみてきました。ステファノの死とその最後の素晴らしい説教は、それを聞いていた人々に大きな影響を与えました。1節から3節まで、ステファノの死によって引き起こされた出来事が書かれています。

謙遜の心

ルカによる福音書 14章7~14節 牧師 永田邦夫      本日箇所の冒頭7節には「イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。」とありまして、このたとえは14節まで続いています。また、出来事としては、14章に入りましてから、1節から24節までが一つの大きな流れをなしていますので、これを先に確認しておきましょう。

キリストの勝利

ヨハネの黙示録 17章1~18節 牧師 常廣澄子        皆さまとご一緒に難解なヨハネの黙示録を読み進めていますが、今朝お読みした個所も、すぐには何が書いてあるのか解らないような箇所です。けれども、今まで読んできたことから考えると、少なくともここには終末的な場面が書かれているということが想像できます。 1節を見ますと、七つの鉢を持っている七人の天使の一人が来て、ヨハネに語り掛け、「ここへ来なさい。」と連れ出します。「(1節)さて七人の天使の一人が来て、わたしに語りかけた。『ここへ来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。(2節)地上の王たちは、この女とみだらなことをし、地上に住む人々は、この女のみだらな行いのぶどう酒に酔ってしまった。』(3節)そして、この天使は“霊”に満たされたわたしを荒れ野に連れて行った。わたしは、赤い獣にまたがっている一人の女を見た。」

ステファノの殉教

使徒言行録 7章54~60節 牧師 常廣澄子         本日は、主にある平和を感謝し、世界の平和を祈り願う平和礼拝としてお捧げしています。本日は、ステファノの最後の場面を読みながら、平和について考えたいと思います。

安息日のいやし

ルカによる福音書 14章1~6節 牧師 永田邦夫        本日は八月第一主日の礼拝です。この月も、主の御導きと、そして恵みを沢山いただきながら、皆さんと共に歩んでいきましょう。ところで、八月と言いますと我が国では、特に年配者にとっては、辛い経験や悲しい思い出が沢山ある月です。それは第二次世界大戦のことです。そして、今この時も世界には戦争や争いが続いています。どうか一日も早く、それらの戦争が終わりますようにと願うばかりです。