コリントの信徒への手紙二 5章16〜21節
私たち、主を信じる者は皆、主の霊によって新たに生まれた者です。主なる神は信じる者一人ひとりの人生を豊かに祝福し、日々新しい命を与えて、助け導いていてくださいます。「(17節)キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」とあるとおりです。ここで「キリストと結ばれる人」とありますが、主なる神を信じる者は、神との交わりを回復された者、神と結ばれた者なのです。
断絶されていた私たち人間と神との間に交わりが回復されたのは、すべて神の方から出たことです。新共同訳聖書ではこの段落のタイトルは「和解させる任務」となっていますが、「神との交わりの回復」つまり「神との和解」は人間の側からその道を切り開くのは全く不可能なことでした。ただ神が、その一方的な愛と憐れみによって、罪の中にあって断罪されても仕方のない私たち人間を赦し、罪から解放し、神を天の父とお呼びできる者に変えてくださったのです。ですから、いまや神を信じる者は、誰はばかることなく、神の恵みのみ座に近づくことができるようになったのです。
この和解の福音を信じてそれに応えるのがキリストへの信仰です。そして神と和解させていただいた私たちは、ただ神にのみ栄光を帰し、神のみこころに添って生きるようにと求められています。しかし、今、新型コロナウイルス感染拡大の中にあるこの厳しい現実社会の中で生きていくことは、この世の複雑な人間関係の中で、経済的に、社会的に、心理的に、あらゆる面で緊張とストレスを伴っています。ですから私たちは時には、ロトの妻のように後ろを振り向きたくなる時もありますし、放蕩息子のように家を飛び出したくなる時もあります。しかし、和解の恵みを与えてくださった神は、どんな時も私たちを見放すことも見捨てることもなさいません。それどころか、私たちを和解の福音の使者として用いていてくださるのです。
「(18〜19節)これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。」これは驚くべきことです。私たちが神との和解の恵みをいただいただけでなく、和解のために奉仕する任務を授かっているというのです。これをパウロは「キリストの使者の務め」(20節)だと語っています。ここで「使者」と訳されている言葉は、英語の聖書ではアンバサダーとなっていまして、大使とか外交官を意味する言葉です。つまり「キリストの使者」というのは、キリストからこの世に派遣されている全権大使ということなのです。
たまたま今私は、長年国連公使としていろいろな役職を担われ、昨年10月に亡くなられた緒方貞子さん(1976年国連公使、1978年特命全権公使、ユニセフ執行理事会議長、国連人権委員会日本政府代表等、1991~2000年、国連難民高等弁務官として難民救済を指揮、2008~2012年国際協力機構JICA理事長、国際基督教大学准教授や上智大学教授を歴任)の回顧録を読んでいまして、パウロがいう「キリストの使者」、全権大使と言う意味が本当によくわかります。大使としての大切な任務はその国の意思を表す言葉を伝えるということです。日本の国から派遣されて国際連合のいろいろな機関で働いている者は、会議で発言する時は個人の意見でなく、国を代表して意見を述べなければいけないわけです。今のようにどこにいてもすぐに通信ができて意見交換、情報交換ができていれば良いですが、それができなかった当時、その場その場で緊急の対応を迫られた時のご苦労がひしひしと伝わってきました。もちろんカトリックのクリスチャンである緒方さんは、紛争当時国の利害よりも人命救助を優先して決断されていかれたのですが、防弾チョッキをつけて難民となって苦しんでいる人々の現地に乗り込まれたり、国と国との複雑な関係の中で大きな組織を動かしていく壮絶な苦闘の記録を読んでいますと、大きな感動と同時に、世界中の人は皆同じ人間としての命を与えられている者同士、お互いに助け合わなくてはいけないのにどうして憎んだり殺しあうのだろうかと心から思います。
さて、そのような大切な働きである全権大使ですが、パウロがここで私たちに語っているのは、主を信じる者はこの世にあって「キリストの使者」なのだということです。私たちにそのような任務が与えられているとは誠に畏れ多いことですが、これは神が私たちに委託されたものであり、私たちがこの世に生きているのは、神がこの世に私たちを派遣しておられるだということです。すべてのことは神から出ています。土の器にすぎない私たちは、ただ主なる神の道具であります。パウロは語ります。「(20節)ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。」神と和解すること、人が断ち切られていた神のもとに帰っていくこと、これこそがキリスト教信仰の核心です。
パウロが「キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。」と言う時、その心では「もうすでに神はあなたを赦し、和解していてくださるのですよ。」と言っているのです。「あなたは神からこの世に命を与えられて生かされている人です。あなたは神との平和の関係に生かされています。どうかそれに気づいてください。それを受け入れてください。」それがキリストの使者が伝えるべき言葉、教会がこの世に向かって語るべき言葉です。
そしてパウロは神の和解の根拠が神の愛であることを述べています。「(21節)罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」このことを言い換えているのがヨハネの手紙一4章10節です。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」
来週からアドベントに入ります。今、新型コロナウイルスの脅威が全世界を覆っている中で、今まで以上にクリスマスの喜びを待ち望む思いが強くなっているのではないでしょうか。私たちは今ここに神との和解を受けていますが、さらに世界が救われていくためにはキリストの平和こそが必要です。「神との和解を受けて欲しい。」これがキリストの切なる願いであります。そこに新しいものが生じていくのです。武力で世界は救えません。一か月後に「平和の君」である御子イエスの御降誕をお祝いするクリスマスを迎える今、一人でも多くの人が神の和解の福音を受け入れられますようにと祈り願います。そしてキリストの祝福が世界を救うことを信じて歩んでいきたいと願っております。
(牧師 常廣澄子)