列王記下 6章8~17節 宣教師 郭修岩 皆さん、明けましておめでとうございます!神さまからの恵みが豊かな一年となりますように。再び志村教会の礼拝に出席でき、またメッセージを語る機会が与えられることを、心より感謝致します。それと、今まで東京北キリストのために、お祈りとお支えをありがとうございます。まず少し自己紹介をさせていただきます。私は郭 修岩(カク シュウガン)と申します。中国の大連の出身です。2019年からIJCSの派遣宣教師として、東京北キリスト教会で仕えさせていただいています。実は私がシンガポールにいた頃、伊藤世里江先生はメッセージの中でよく志村教会のことを語ってくださいました。先生の志村教会への深い愛情が私によく感じられたのです。一体どのような教会だろうと思いました。前回伊藤先生と一緒に志村教会の礼拝に出席した時、とても歴史があり、信仰熱心、熱意がある教会だと感じられ、とても励まされました。
2023年01月
列王記下
目に見えない現実
コリントの信徒への手紙一
自由にされた者
コリントの信徒への手紙 一 9章1~18節 牧師 常廣澄子 主イエスを信じる人は、自分を愛して受け止めていてくださるお方を知っていて、いつもその守りと導きを信じていますから本当に自由に生きることができます。現に主にあってのびのびと自由に生きておられるたくさんの素晴らしい方々を私は知っています。本日は9章を読んでいきますが、8章では偶像に供えられた肉についてパウロの自由な態度を見てきました。何を食べようと何も問題はないけれども、もし弱い人たちをつまずかせるようなことがあるのであれば、自分は喜んで肉を食べないと宣言したのです。この手紙を書いているパウロは、コリント教会が置かれている厳しく難しい問題を前にしているわけですがとても自由に語っています。自分でもそう言っています。「(1節)わたしは自由な者ではないか。」パウロのこの自由な思いや行動はどこから来るのでしょうか。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(ヨハネによる福音書3章8節)の御言葉を思い起こします。パウロの自由というのは、このような主の御霊がなせる業なのだと思います。
ヨハネの黙示録
神のものとされた者
ヨハネの黙示録 7章9~17節 牧師 常廣澄子 新しい年が明けてから、早くも二週間が過ぎてしまいました。元旦には、私たちはここで新年礼拝を捧げましたが、コロナ禍とはいえ、お正月三が日には老若男女多くの人たちが神社仏閣にお参りされたようです。今世の中には問題が山積みですから、神様にお願いすることばかりです。新型コロナウイルスの感染者は、減るどころか、今年に入ってますます増加していて、亡くなる方も増えていますし、ロシアとウクライナの戦争も終わる気配がないまま年を越してしまいました。日常生活においては、物価が高騰していて生きていくのに四苦八苦している方々や、コロナ禍の影響もあって、孤立する方々が増えています。私たちの世界はこれからどうなっていくのでしょうか、不安や心配が後を絶ちません。
ルカによる福音書
変貌のイエス
ルカによる福音書 9章28~36節 牧師 永田邦夫 新しい年、2023年が明けて、本日は第二週の主日礼拝となりました。どうか今年も主の御心に聞きながら、皆さまと共に歩み、そして、聖書が示すメッセージを皆さまにお届けしていきたいと願っております。本日は「変貌のイエス」と題し、ルカによる福音書からのメッセージです。
コロサイの信徒への手紙
光の中の相続
コロサイの信徒への手紙 1章9~14節 牧師 常廣澄子 皆さま、新年明けましておめでとうございます。 つい一週間前に、私たちはクリスマス・イブ礼拝、そしてクリスマス礼拝をお捧げして、主イエス・キリストの御降誕をお祝いいたしました。その恵みと喜びがまだ心に満ちている中で、2023年が幕を開けました。誰もが、どうか今年こそ平和な佳い年になって欲しいと祈り願いつつ、新しい年を迎えたことと思います。その祈りに主が応えてくださいますようにと心から願っております。