2023年9月3日(主日)
主日礼拝『 主の晩餐 』
使徒言行録 2章37~47節
牧師 常廣澄子
前回は主の御霊を受けたペトロが、堂々と説教するのを聞いてまいりました。ペトロが語った説教は、人間は罪深い者だから神を信じなさいというような一般的なことではなく、一つの明確な告知でした。ペトロはまず、今目の前で起きている聖霊降臨の現象を、これはヨエルが預言していたことの成就なのだと説明しました。そして、ナザレのイエスは、数々の力ある業や奇跡やしるしによって、御自身が神から遣わされた者、つまりメシアであるということを繰り返し示したにもかかわらず、人々はイエスを十字架につけて殺してしまったということ。しかし神はこのイエスをよみがえらせたのだということを伝えました。そして詩編16編を引用して、このことについてはダビデも予見していたことであったと語り、詩編110編の御言葉を通して、今やイエスは神の右の座に高くあげられたのだと語ったのです。
ペトロが語ったこれらのこと、つまり十字架につけて殺されたイエスが復活して、神の右に座しておられるということは、キリスト・イエスは、イエスを信じるすべての者に罪の赦しを与える力を持っておられるということです。また、主の弟子である自分達が今ここで聖霊を受けたのは、そのことを証しするためであり、自分達が神に受け入れられているということの証明に他ならないとペトロは語ったのです。
ペトロはこの他にも多くの言葉で、メシアであるイエスを力強く証ししました。それを聞いた人々は驚き、その心は痛みました。そして「(37節)人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか』と言った。」のです。
ペトロの説教を聞いた人々の心に動揺が生じています。彼らは「自分たちはどうしたらいいのだろう、救われるためにはどうしたらよいのだろう」と感じ始めたのです。それというのも、この後の3章に書かれていますが、「(使徒言行録3章13-15節)ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。」
このように、ローマの総督ピラトが赦すことを決めていたにもかかわらず、それを彼の面前で拒み、その上、人殺しの男を赦すように要求して、命の君であるイエスを殺してしまったというのです。それほどまでにひどいことをしてしまったからです。そのことがあってからまだ50日ほどしかた経っていませんから、人々の心にはまだ生々しい記憶が残っていたのです。
ですから「何ということをしてしまったのだろう、とんでもないことをしてしまった」と気が付くのはそれほど難しい事ではありませんでした。良心的な痛みを感じ、罪の自覚を持つことは十分できたのです。ペトロの話を聞いている人々の中には、イエスの教えを聞いた人々も大勢いたでしょうし、数々の奇跡を見た人達がたくさんいたと思われます。そしてペトロが旧約聖書の預言に関連付けて語るイエスについての見事な論述は、極めて納得しやすかったと思われます。何よりもここに集まっている人々は、聖霊の力によって良心が目覚めていたのです。
「(38-39節)すると、ペトロは彼らに言った。『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。 この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。』」
ペトロが示した救いの条件は、罪に対する悔い改めと、救い主イエスの名によって洗礼を受けることでした。またそうすれば聖霊の賜物を受けるというのは自然のことでした。この約束は、主が招いてくださる者ならだれにでも与えられているというのです。今この説教を聞いている人達だけでなく、その人達の子ども達にも、遠くにいるすべての人達にも与えられていると語ります。遠くにいるすべての者というのは、たぶん時間的、空間的に隔たっているだけでなく、民族的に隔たっている者達をも指していると思われます。今、日本人の私達が主の福音に与っていることの発端もここにあります。
「(40-41節)ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、『邪悪なこの時代から救われなさい』と勧めていた。ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。」多くの人の心に主イエスへの信仰が呼び起こされ、このペンテコステの日に仲間に加わった者が何と三千人ほどにもなったといいます。イエスを信じる群れが急成長していく様子がわかります。とにかく聖霊の働きが目覚ましく、この日を境にして教会に加わる者達がどんどん増えていったのです。
確かにここには聖霊の大きな働きがありました。ペトロの招きに対して、人々が直ちに応じていきました。しかしこの収穫の種は、この日にまかれたものだけではありません。たぶん彼らは今までにイエスの言葉を聞いていたのでしょう。ある人達はイエスによって癒されたのかもしれません。イエスの最後の時を目撃していた人もいたことでしょう。あらゆる時と場面で、イエスの教えと成された業を見聞きしていた人たちが大勢いたことも見逃してはならないと思います。
ペトロが人々に「悔い改めて、バプテスマを受けなさい」と勧めたように、主の福音が宣べ伝えられるところでは決断が求められます。それはこのイエスを信じて従うのか、あるいは拒むのか、どちらかを選ばねばならないところに人々を導くからです。そしてイエスを信じて従う決心が成された時、人々の生き方が変わってきます。そこには聖霊が与える豊かな人生が待っているからです。これが今日この世に置かれている教会が、何よりも第一に語るべきメッセージであると思います。近代科学が発達し、人口知能による技術の進歩は著しいものがありますから、教会もまた新しい形ややり方を求めるかもしれませんが、どんなに技術が進歩し発展していこうと、神が造られた人間の魂に神の言葉を語り、その心を神に向けて生きるようにと願う教会の務めは素朴に変わりません。すなわち、神がイエスによって驚くべき御業を成されたという事、そしてこのことは世界中の誰一人として無視できないことであること、いやむしろこれに関わらなければならないことを伝えることなのです。
このように、ペンテコステの日は、エルサレムにおけるキリスト教会の輝かしい発会式となりました。それは一番最初のキリスト教会が生まれた誕生日ともいうべき日でした。今お読みしている使徒言行録は、この事件があったから生まれました。このペンテコステの事件無くしては、初代教会の生き生きした信仰も伝道も奉仕も活動も何一つ起こることはできませんでした。
「(42節)彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」彼らは使徒達の教え(ディダケー)を守り、信徒相互の交わりを大事にし、パンを裂くこと、つまりそれによって主イエスと共に食卓を囲んだ日々を追想して、主が成された御業を現実的に感じて慰められ力を受けました。祈ることが最後になっていますが、祈りが重んぜられなかったのではありません。礼拝は賛美であり祈りです。使徒の教えを守ることも、パンを裂くことも礼拝に深く関係していて、礼拝と切り離せないものです。彼らは熱心に主なる神を礼拝していたのです。
聖霊の導きによって始められたこのような信徒の生活は、それ自体が大いなる証しでありましたが、それはさらに外的な力になって現れました。「(43節)すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。」使徒達によって、多くの不思議な業やしるしが行われたのは、その働きが神によるものだということの証拠でもあります。そこには聖霊が力強く働いていたことがわかります。
「(44-45節)信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」一人ひとりが一つの御霊に与る時、彼らが共有したものにはどんなものよりも価値がありました。彼らは初代キリスト教会の特徴的な生活様式である原始共産社会を構成していたのです。信徒たちはこの世で与えられている自分たちの財産は、キリスト者共同体の必要のために自由に用いるべきものと考えました。みんなが共に助け合って共同生活をしていたのです。もちろんこの共産社会は、恒久的にずっとそうであったわけではなく、最初の頃はただそのように助け合わなければならない特別な事態に置かれていたからです。一時的にお互いが資産を売り、それぞれの必要に応じて皆がその分配に与るという生活をしていたのだと解すべきだと思います。
それは大多数の信仰者達が貧しい人々だったこと、またガリラヤから出てきた人のように家を捨て、自分の職業を離れて来た人達がいたのですから止むを得ませんでした。言葉を変えて言うなら「当然のあり方」だったのです。イエスの十二弟子達も家を捨て、職を捨てて、一つの財布で生活していたのですから、この原始共産社会生活が必ずしもとんでもないことではありませんでした。資産や持ち物を売ったお金は使徒達のところに集められ、おのおのの必要に応じてみんなの者に分け与えられたのです。しかしここで留意しておくべきことは、この事は決して強制的になされていたのではないということです。所有物を売ることも、売ったお金をどう用いるかも所有者の自由でしたし、個人の資産、つまり私有財産が良くないものだとは考えられていませんでした。
「(46-47節)そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」
この個所からは、新生なったキリスト教会が非常に親密な交わりと固く結ばれた団結心とで、一つの共同体として成長していく姿を読み取ることができます。しかし、前後をもう少し注意して読むと、この教会は単にイエスを主と信じる共同体として結ばれていただけではなく、弟子たちの指導や教育のもとに秩序ある組織共同体として成長していったことがわかります。なぜならば、信徒達が集まる時は決まって、使徒達から教えを受け、神の言葉の教育に与っているからです(2章42節、6章2-3節参照)。使徒達が新しい信者達に教えたのはもちろんでしょうが、イエスの生涯とその教え、旧約聖書の解説も行われていたと思われます。これを知ると、私達バプテストの群れが、教会学校で御言葉を学んでいることの意義はとても大きいと思います。
46節に「神殿に参り」という表現がありますので、ユダヤ人が神殿で毎日犠牲をささげ、宮参りをしていたような行動を考えるかもしれませんが、この時期のキリスト教徒達は、そういうユダヤ教の伝統の中で、神殿礼拝という儀式に参加しながら、ユダヤ教の長い歴史の終焉を感じていたのでしょう。彼らはイエス・キリストを中心に据えた新しい信仰へと脱皮する過渡期を歩んでいたの
だということを理解したいと思います。
初期のキリスト教会の生活を彩る特色は、何といっても喜びと愛の交わりにありました。神は愛であり、御霊は一つという信仰によって結ばれた信徒達は、本当に豊かな赦しと分かち合いの中で暮らしていたのです。現代の損得の社会、私利私欲の世界からは想像できない世界かもしれません。
しかし、今も主は教会に御霊を豊かに注がれ、いつまでも私達と共に住んでいてくださいます。先日の総会で、私達の教会建物の補修補強工事が決議されました。今のこの終わりの時代にあって、教会こそが神の民です。ひたすら心を合わせて、主の救いの福音の働きのために、私達の教会が用いられていきますよう祈っていきたいと思います。
(牧師 常廣澄子)