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アダムとキリスト

ローマの信徒への手紙 5章12~21節 牧師 常廣澄子    私たち人間が住むこの地球上で、今、国と国がいがみあい、人間同士が殺し合いをしています。理由がどうであれ、人が人を殺すということはやってはならないことです。一方的で独善的なこのような戦争は、誰が見ても誰が聞いても理不尽なことではないでしょうか。いったい人間の心には何があるのでしょうか。人間というものは、どうしてこのような行動を起こすのでしょうか。国と国の関係だけではありません。私たちはすぐ身近にいる人に対してさえ、妬みや憎しみという悪い感情を抱いてしまい、ついには殺人にまで発展してしまうことがあります。

歴史からの教訓

コリントの信徒への手紙一 10章1~13節 牧師 常廣澄子  イースターを前にして、私たちは今受難節(レント)の時を過ごしています。私たちの救いのために神の御子が十字架に向かって進んでおられるのです。私たちの信じている神は、天の高みにおられてはるか遠くから私たちを見下ろされているような方ではなく、天から降って人間世界に飛び込まれ、ご自分の命さえも捨てることがおできになるお方なのです。そのような愛の神を信じて生きる者がどんなに祝福された者かを、今朝はコリントの信徒への手紙から見ていきたいと思います

互いに受け入れ合う

ルカによる福音書 9章46~50節  牧師 永田邦夫       本日は3月第二週の主日礼拝です。また昨日の3月11日は、12年前に起きた東日本大震災を記念する日でした。また世界では、約一か月前に発生したシリア、トルコでの大地震があります。このように、突然起こるかもしれない大きな地震や自然災害に対して、わたしたちは普段からの心備えが大切であることを、また改めて考えさせられているときでもありました。

天使のラッパが鳴る

ヨハネの黙示録 8章6~13節 牧師 常廣澄子       最近、AI(人口知能)が論文を書いたり、人間の病気を診断したり、医学的な処方を教えてくれたりするということを知り、人間の技術開発はいったいどこまで進歩するのだろうと驚いています。しかしそのようなことは、目まぐるしく進化する人間世界の一端かもしれません。今私たちが生きている世界は、科学技術の目覚ましい発達によって、かつてないほど豊かになり、様々な便利なものに溢れ、季節を問わずいつでも快適に過ごせる時代になっています。しかし一方で、今までは考えられなかったような凶悪な犯罪が横行し、次々と複雑な事件や思いもしない事故が起こっています。ロシアとウクライナの戦争は長期戦となりつつあり、世界の国々は一触即発の緊張状況にあり、いつ破滅的な事件が起きてもおかしくないほどの危うさに満ちています。今の時代は本当に先の見通せない危険な状況にあるように思えます。皆さまは今の世界をどう見ているでしょうか。

神にある平和

ローマの信徒への手紙 5章1~11節 牧師 常廣澄子     4章では、アブラハムの生涯やダビデの言葉などを通して、神を信じるとはどういうことか、信仰の本質について学んできました。続くこの5章では、信仰によって救われて義とされた者の祝福と喜びについて語られています。「(1節)このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、」信仰によって義とされた者は「神との間に平和を得ている」というすばらしい約束です。平和(エイレーネー)という言葉は、あらゆる善と祝福を意味する言葉です。ユダヤ人は挨拶の時に「あなたに平和がありますように!」と言いますが、それは平和だけではなく、あらゆる善と祝福がありますように!という意味です。

朽ちない冠

コリントの信徒への手紙 一 9章19~27節 牧師 常廣澄子  私たちは今、コリントの信徒への手紙を読み進めていますが、パウロがキリストの福音を自由に語っている姿を見るとほんとうに感動します。パウロが各地を訪問して、あらゆる人たちにキリストの福音を語っているのは、彼の持っている大きな人類愛であったと思いますが、ある意味で、それは自分のような反逆児にさえも現れてくださった復活のイエスに対する感謝の現れです。そして同時に、そのイエスを遣わされた神に対する負い目でもあったのではないでしょうか。ローマの信徒への手紙の1章14節には「わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。」というように「果たすべき責任」とまで言っています。パウロはキリストの福音を語ることでの様々な苦労を、キリストの十字架の苦しみ、あるいは自分が迫害してきたクリスチャンたちの苦しみに重ねていたのかもしれませんし、何よりもその働きをすることを、神の御前にあって大変光栄なことだと感じていたのではないでしょうか。

悪霊追放

ルカによる福音書 9章37~45節 牧師 永田邦夫      本日は、二月第二週の主日礼拝となりました。本日も引き続いて、ルカによる福音書からのメッセージをご一緒に聞いて参りましょう。先ほどお読みいただいた箇所から「悪霊追放」と題しての説教です。その中心的な出来事は、“ある男の人に一人息子がいて、その息子が悪霊に取りつかれて苦しんでいるので、どうか見てやって欲しい、とのある男(父親)からの依頼に、イエスさまが応じられ、その子を癒して、父親にお返しになった”という出来事です。さらのその後に続いて、イエスさまによる、二回目の十字架予告の記事があり、これを含めての出来事が本日の説教箇所となっております。

聖なる者の祈り

ヨハネの黙示録 8章1~5節 牧師 常廣澄子        「ヨハネの黙示録」の著者ヨハネは、今、御霊に感じて、霊の目に映し出されているものを見ています。そして天上の礼拝の様子を私たちに教えてくれています。その祝福に満ちた礼拝の様子は、地上で神への信仰の故に苦しんでいる者たちにとっては大きな慰めであり、忍耐や希望を与えるものでした。

目に見えない現実

列王記下 6章8~17節 宣教師 郭修岩            皆さん、明けましておめでとうございます!神さまからの恵みが豊かな一年となりますように。再び志村教会の礼拝に出席でき、またメッセージを語る機会が与えられることを、心より感謝致します。それと、今まで東京北キリストのために、お祈りとお支えをありがとうございます。まず少し自己紹介をさせていただきます。私は郭 修岩(カク シュウガン)と申します。中国の大連の出身です。2019年からIJCSの派遣宣教師として、東京北キリスト教会で仕えさせていただいています。実は私がシンガポールにいた頃、伊藤世里江先生はメッセージの中でよく志村教会のことを語ってくださいました。先生の志村教会への深い愛情が私によく感じられたのです。一体どのような教会だろうと思いました。前回伊藤先生と一緒に志村教会の礼拝に出席した時、とても歴史があり、信仰熱心、熱意がある教会だと感じられ、とても励まされました。

自由にされた者

コリントの信徒への手紙 一 9章1~18節 牧師 常廣澄子   主イエスを信じる人は、自分を愛して受け止めていてくださるお方を知っていて、いつもその守りと導きを信じていますから本当に自由に生きることができます。現に主にあってのびのびと自由に生きておられるたくさんの素晴らしい方々を私は知っています。本日は9章を読んでいきますが、8章では偶像に供えられた肉についてパウロの自由な態度を見てきました。何を食べようと何も問題はないけれども、もし弱い人たちをつまずかせるようなことがあるのであれば、自分は喜んで肉を食べないと宣言したのです。この手紙を書いているパウロは、コリント教会が置かれている厳しく難しい問題を前にしているわけですがとても自由に語っています。自分でもそう言っています。「(1節)わたしは自由な者ではないか。」パウロのこの自由な思いや行動はどこから来るのでしょうか。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(ヨハネによる福音書3章8節)の御言葉を思い起こします。パウロの自由というのは、このような主の御霊がなせる業なのだと思います。