ルカによる福音書 11章37~54節 牧師 永田邦夫 待降節の第三週の主日礼拝を迎えまして、アドベント・クランツにはローソクが三本灯され、明るさも増しております。この灯は「世の光」として来られたイエス・キリストの象徴でもあります。本日の説教箇所の初めの37節が、「イエスはこのように話しておられたとき」と始まっていて、この段落は直前の「体のともし火は目」の箇所とも内容的に関連があることが分かります。それを先に見ていきましょう。
42 ルカによる福音書

42 ルカによる福音書
神は内側も造られた

42 ルカによる福音書
神の国の到来
ルカによる福音書 11章14~28節 牧師 永田邦夫 本日もご一緒に、引き続きルカによる福音書からのメッセージをお聞きして参りましょう。 本日箇所に入りますと、その冒頭14節aは 「イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする悪霊であった。」 と、主イエスが日常的に、悪霊追放による病気の癒しを行っておられたことを伺わせる記述です

42 ルカによる福音書
求める者への約束
ルカによる福音書 11章5~13節 牧師 永田邦夫 本日も皆さんとご一緒にルカによる福音書からのメッセージを聞いて参りましょう。 新共同訳聖書には、11章1節から13節まで、「祈るときには」の小見出しがついていますので、この箇所全体が、“祈りについての箇所”であることが分かります

42 ルカによる福音書
主の祈り
ルカによる福音書 11章1~4節 牧師 永田邦夫 本日も、主の日の礼拝に共に招かれましたことを感謝いたします。そして本日も引き続いて、ルカによる福音書からのメッセージをご一緒にお聞きして参りましょう。本日は、「主の祈り」について、皆さまと共に考え、そして分かち合うことができますようにと、願っております。

42 ルカによる福音書
善いサマリア人
ルカによる福音書 10章25~37節 牧師 永田邦夫 わたしたちが今過ごしておりますこの8月は、わたしたち日本人にとりまして、原爆記念日、そして敗戦記念日があり、「平和についての思いを一層深くするとき」です。テレビや新聞では、そのことが連日、伝えられてきました。わたしたちキリスト者にとっては、主なる神、そして、キリストにある平和に思いを深くしていくときです。

42 ルカによる福音書
聖霊による喜び
ルカによる福音書 10章17~24節 牧師 永田邦夫 本日も、ルカによる福音書からのメッセージをご一緒にお聞きして参りましょう。 主イエスさまのご生涯での伝道は、御自身の十字架と復活の予告を分岐点として、その前後で、大きく変わっていきます。そして、十字架と復活予告後の福音伝道に関する記事は、ルカによる福音書だけの独自記事としても、その多くが記されております。それは、このルカによる福音書が世界伝道を視野に入れながら、執筆され、ローマの高官テオフィロあてに献呈されている(本書の冒頭に記されています)ことからも理解できます。

42 ルカによる福音書
待つ、父
ルカによる福音書 15章11~32節 シンガポール国際日本語教会牧師 伊藤世里江 昨年11月に伊藤が志村教会に来てから、半年余りの間に、教会の大切な方々を続けて、天に送る経験をされたことを思います。シンガポールでも、訃報の連絡が入るのですが、その時に、なになにさんは、天の家にお帰りになりましたというように書かれてきます。Went back to Home 家に帰る、地上の仮の住まいから、永遠の天の住まい、家賃の心配も、雨漏りも心配しなくていい、契約更新の必要もない、天の永遠の住まいへと居を移す。クリスチャンの地上での別れのとらえ方は、悲しく寂しいけれども、ポジティブです。辛いけれども絶望ではない。地上では辛いことも次々と経験する。しかし、どっこい、それは絶望で終わることはない。その先の永遠の希望へと導かれていく。天に帰ると考えるときに、わたしが思う聖書の箇所は、いわゆる放蕩息子の帰郷の箇所です。

42 ルカによる福音書
収穫のための働き人
ルカによる福音書 10章1~16節 牧師 永田邦夫 本日も、ルカによる福音書からのメッセージをご一緒に聞いて参りましょう。本日の説教題は、ご案内の通り「収穫のための働き人」です。ここでの「収穫」とは、御国のために、主なる神ご自身が中心となって収穫される、その「収穫」のこと、そしてこれを受け「働き人」とは、御国に連なって、主のために用いられて働く「働き人」のこと、今日のわたくし達も、その一人一人です。

42 ルカによる福音書
主はよみがえられた
ルカによる福音書 24章1~12 牧師 常廣澄子 イースターおめでとうございます。本日は、イエス・キリストの復活を喜び感謝し、そのことをお祝いするイースター礼拝です。 このキリストの復活という出来事は、キリスト教信仰の最も中心にあるものです。毎週日曜日に行われる主の日の礼拝は、このイエスの復活を記念する礼拝であることは言うまでもありません。今では「復活」という言葉をいろいろなところで自然に使っていますが、「復活」つまり「死人のよみがえり」ということは、受け取りようによっては、不気味なことです。しかし、キリスト者ははっきりそのことを信じるという信仰告白をいたします。なぜならイエスの復活という出来事こそが人間の罪の贖い、つまり救いの完成だからです。けれどもこの復活ほど、私たち現代人にとって理解し難くて分かりにくいものはないのです。実を言えば、イエスの弟子たちでさえも、当初はイエスの復活を信じることができませんでした。

42 ルカによる福音書
十字架に向かって
ルカによる福音書 9章51~62節 牧師 永田邦夫 本日は2023年度に入りまして最初の主日礼拝です。そして、イースター前の受難節、わたしたちは、主イエスさまの十字架の受難のことに思いを馳せながら、この時を過ごしております