魂の沈黙

詩編は神への賛美であり、神殿の礼拝で歌われた讃美歌でもありました。もちろん150編もある詩編の中には、賛美だけでなく感謝や祈り、嘆願、そして悔い改めや懴悔などがあります。多くのキリスト者がこれらの詩編の御言葉から慰めを受けたり、励まされたりしてきました。今朝お読みした詩編131編の表題は1節に「都に上る歌。ダビデの詩。」となっていて、詩人でもあるダビデ王の名がつけられています。「都に上る歌」というのは、120編から134編のすべて詩編の表題になっています。これは過越祭などでエルサレム神殿に巡礼する時、つまり都に上る時にみんなで歌ったものだと考えられています。けれども実際は、そういう巡礼の時だけでなく、いつでもどこでも歌われた信仰の歌だといってもよいのではないかと思います。詩編131編は3節しかない大変短い詩です。

御足の跡を

ここでは、ペトロが「召し使いたち」と呼び掛けています。(口語訳聖書では「僕たる者よ」)この召し使いというのは「家に属する奴隷」(ギリシア語ではオイケタイ、一般的な奴隷はドウロス)という意味です。奴隷という言葉を聞きますと、ストー夫人が書いた「アンクルトムの小屋」等に出てくる鎖につながれ鞭で打たれて酷使されている人々を想像しますが、この当時の奴隷には医者も教師もいましたし、会計を預かったりしてご主人の大切な仕事を任せられている人がたくさんいたのです。

実のならない木

ルカによる福音書 13章1〜9節 近年、地球規模で気象が大きく変化していて、自然災害が多くなりました。地震や津波や大雨の被害等で多くの方が大変な被害を受け、苦しんでおられます。今は新型コロナウイルスという疫病

神のために働く誇り

この14節では、「兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。」とあります。この節は、先ずパウロが、宛先のローマ教会の人々に対して、親愛の情を込め、コミュニケケーションを図りながら、手紙の纏めに入ろうとしている様子を読み取ることができます。因みにこの節は、原文で「わたしの兄弟たち、わたしはあなたがたについて、次のことを確信しています。」となっています。しかも、“わたしの兄弟たち”という言葉は、ローマ書ではここにしか出てこない言葉です。 ではどのように、ローマ教会の兄弟姉妹たちを信じ切っているのか、を見て参りましょう。

苦難の日に

聖書の民であるユダヤ人は大変信仰深い民族です。神を畏れ、神の律法を大切にし、神に対する礼拝を怠りませんでした。当時神を礼拝する時はいけにえを捧げていました。8節に書かれている「焼き尽くす献げもの」というのは、最も大切ないけにえで、罪が赦され、神との交わりが回復されるために捧げられたもので、神殿ではそのいけにえを焼く煙が昼も夜も絶えなかったと言われています。

愛の勝利

主の日の礼拝は神の国の雛型であると言われています。教団讃美歌191番(新生讃美歌339番)の歌詞には、「世に残る民、去りし民と、共に交わり、神を仰ぎ、永久の安きを待ち望みて、君の来ますをせつに祈る」とあります。この歌詞のように、主の日の礼拝はここに集っている私たちと、先に召された方々とがいっしょに捧げている礼拝なのです。今、この時、天上では、神に仕えている天使たちと先に天に帰られた方々の賛美が満ちていると思います。

神の僕として

私たちはこの礼拝に集い、イエスを信じる信仰に生きていますが、私たちがこの地上に生きている限り、家庭や職場や学校など具体的な生活の場において、さまざまな社会問題と関わらざるを得ません。そういうことは政治的領域と言っても良いかもしれません。日本の国に生きていれば、この国の政治に無関心でいるわけにはいかないのです。しかし、信仰的な話題と違って、政治に関しては個人個人の立場や考え方が異なります。教会と国家の問題は大変大切で避けて通れないものですが、その扱いは注意深くあらねばならないと思っています。

すべての民のための福音

ローマ書からの説教もいよいよ15章に入って参りました。そして、キリスト者の実践生活について、12章からずっと学び、そのメッセージをご一緒に聞いて参りましたが、15章はその締めくくりでもあります。なお、この個所は、1節から13節までが一つの段落ですので、そこからメッセージを聞いて参りましょう。

神の栄光

この詩編は神の啓示を称える歌でもあります。「啓示」というのは、創造者である神が、神のその偉大な真理を人間に伝えることです。この詩編には、始めに「自然を通して示される神の啓示」次は「律法を通して示される神の啓示」最後にそれらをまとめて「神の啓示を受け入れた人の信仰による応答」が美しく書かれています。山であれ川であれ、木々も岩も自然界のあらゆるものは、それをお創りになった神の知恵や力、御性質、つまり神の栄光のすべてをもって絶えず私たちに語りかけています。多くの科学者が自然を研究すればするほど、神が存在すること、神の言葉である聖書が確かな真理であることを証言しています。私たちも自然に触れる時、創り主である神を想い、神からのメッセージを聞き取りたいと思います。

生きた石

ペトロの手紙2章のみ言葉から、神の教えを聞いていきましょう。まず1節は、「だから」という接続語で始まっています。これは1章23節「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。」を受けています。神を信じる者は新しく生まれたのだから、「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去りなさい」と言っているのです。神を信じるとは、神の家族の中に子どもとして生を受けたということですから、神の愛の中に生かされています。ですから神の愛に裏付けされる隣人愛や兄弟愛に反するような思いを捨てさるのは当然のことです。キリスト者として成長するためにはまず悪いものを捨てなくてはなりません。