ヨハネの黙示録

目を覚ませ

今日はヨハネの黙示録3章のサルディスにある教会に宛てた手紙から、主の御言葉を聞いていきたいと思います。今までアジアにある七つの教会の一つひとつに宛てた手紙を読んできましたが、サルディスにある教会は五番目の教会で、先日のティアティラにある教会の東南にあり、ここからさらに東南に下ると最後の七番目の宛先であるラオディキア教会があります。ここにある七つの教会はすべて現在のトルコ共和国の西海岸近くにあります。

主の業を守り続けよ

今朝は七つの教会の一つ、ティアティラにある教会に宛てた手紙を通して、神の言葉を聞いていきたいと思います。「(18節)ティアティラにある教会の天使にこう書き送れ。」ティアティラという地名を聞いて、皆さんはすぐに使徒言行録16章11〜15節に書かれていることを思い浮かべられたのではないでしょうか。そこにはパウロが聖霊に導かれてマケドニア州のフィリピに行った時のことが書かれています。そこでパウロが主の福音を語っていた時、集まった人たちの中に、ティアティラ市出身の紫布を商うリディアという女性がいたのです。当時紫布を扱うのは上流階級の人であったと言われています。彼女は神を崇め、一家をあげてバプテスマを受けて信仰に入りました。そして神に仕えてフィリピの教会建設に大きな力となったのです。このリディアの出身地であるティアティラがこの手紙の舞台です。

白い小石を与えよう

ペルガモンという地は、以前お話ししたスミルナの北方にある町の名前です。今までお話ししてきたエフェソやスミルナの方がこのペルガモンよりもずっと大きいですし、商業都市として交通も便利だったようですが、このペルガモンはローマ帝国が統治していた当時、アジア州の首都であったと言われています。ペルガモンには歴代皇帝を礼拝する神殿が数多く作られていたと言われ、政治と文化の中心地だったのです。皇帝礼拝だけではなく、いろいろな神々を祭る神殿がたくさんあり、そこでいろいろな祭儀が行われていたようです。特に有名なのがアスクレピオスという神の神殿です。これは蛇をその神の使いとして象徴していて、病気を治してくれることで有名な神であったようです。きっと毎日多勢の人々が訪れていたのでしょう。

初めの愛

本日からしばらく、七つの教会に宛てた手紙を読んでいきたいと思います。これらはヨハネがキリストから託された手紙で、どの手紙にもその冒頭に「…の教会の天使にこう書き送れ」というように呼び掛けられています。それを語っておられるのは1節にありますように「右の手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方」キリストです。

生と死を支配される方

ドミティアヌスが皇帝崇拝を強要し、キリストを信じる者たちはいろいろな面で迫害を受けました。敢然とそれに立ち向かった者たちは当然処罰されたり、殉教したりしたのです。そういう厳しい状況の中で、ヨハネは、「(9節)わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。」と自己紹介しています。まず、自分は、アジアの諸教会にいる主を信じる者たちの仲間であり兄弟であることを言い表し、苦しみの中で忍耐しているのはわたしもあなた方と同じですと言っているのです。「その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである」というところは、「私ヨハネは、主を信じるがゆえに今苦難を受けています。しかしそれは主イエスのお苦しみの一端に与かっていることであり、私は神のご支配の中にいます。私はイエスによって備えられた神の国の民としていただいたことを喜び、その希望によって今ここで忍耐をもって過ごしているのです。」ということではないでしょうか。

時を支配される方

お読みいただいた「ヨハネの黙示録」の「黙示」というのは、先日もお話ししましたように、「啓示」とも訳すことができる言葉です。隠されているものの覆いが取り除かれて現れるという意味です。これはイエス・キリストについて解き明かしているのです。そして「(1節)この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったもの」であり、それを、「(2節)ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。」ものです。

死に至るまで

黙示録といいますと、何か終末の恐ろしい有様が書かれたものを想像するかもしれませんが、1章1節には「イエス・キリストの黙示」と書いてあります。黙示というのは「啓示」とも訳され、隠されているものの覆いが取り除かれて現わにされることです。黙示録に書かれていることは、「(1:1)キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。」「(1:2)ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。」とあるように、イエス・キリストについて解き明かしている書物なのです。